2.悪友の恋路
ミモザと出会ったのは、私とカインがアカデミーで「問題児」として認識され始めた頃だった。
もっとも、私としては少し心外だった。確かに授業を抜け出したことは何度かあるし、教師から立ち入りを控えるよう言われた場所へ入り込んだこともある。けれど、何かを壊そうとか、人を困らせようとか、そんなつもりでやっていたわけではない。
ただ、気になるものがあると確かめずにはいられなかっただけなのだ。
そしてカインも、最初こそ私を止めようとしていたくせに、いつの間にか当然のようについてくるようになっていた。
その日も、授業が終わったあと、私たちは普段ほとんど使われていない中庭へ入り込んでいた。
校舎の奥にひっそりと取り残されたような庭で、手入れそのものはされているらしいものの、生徒が立ち寄ることはほとんどない。以前、廊下の窓からそこを見下ろしたとき、庭の隅に見覚えのない花が咲いているのを見つけた私は、授業が終わるまでずっと気になって仕方がなかった。
だから見に来た。
それだけである。
「これかな。窓から見えてたやつ」
花壇の前にしゃがみ込み、私は細い茎の先に咲いた小さな花を覗き込んだ。淡い色の花弁が幾重にも重なっていて、近くで見ると思っていたよりずっと可愛らしい。
少し遅れてやって来たカインは、私の背後に立ったまま呆れたように息を吐いた。
「わざわざここまで来たのか」
「だって見たことなかったんだもん。気になるでしょ?」
「俺は別に」
「カインは何にも興味なさすぎるのよ」
「お前がありすぎるんだろ」
いつものように言い返しながら振り向いた、そのときだった。
「あなたたち、そこで何をしているの?」
突然聞こえてきた少女の声に、私は肩を揺らした。
庭の入口に、一人の少女が立っていた。
最初に目を引いたのは、陽の光を受けて鮮やかに輝く長い緑色の髪だった。背中を流れるそれと同じ色の瞳は澄み、まだ幼いながらも顔立ちは端正で、何より背筋を伸ばしてこちらを見つめる姿には、同年代の子どもとは思えないほど品があった。
誰なのかなど、聞くまでもない。
アートランティス王国において、緑は王家だけに許された特別な色である。まして髪も瞳もこれほど鮮やかにその色を宿している者となれば、該当する人間は限られていた。
アートランティス王国第三王女、ミモザ・アートランティス。
私は花より先に、面倒なものを見つけてしまったと思った。
王女ともなれば礼儀には厳しいだろうし、本来なら私たちのほうから姿勢を正して挨拶をするべき相手だ。しかも、よりによって人の来ない中庭へ勝手に入り込んでいるところを見られてしまったのだから、教師へ報告されても文句は言えない。
隣のカインまで、さすがに少し姿勢を正していた。
「えーっと……花を見に来ただけです」
とりあえず正直に答えてみると、ミモザは私たちと花壇を交互に眺めた。
「花?」
「窓から見えたの。見たことないやつだったから、近くで見たくて」
叱られることを半分覚悟しながら説明したのだが、ミモザは意外にも眉をひそめなかった。それどころか興味を持ったようにこちらへ歩み寄ると、私の隣まで来て花壇を覗き込んだ。
「ああ、この花ね」
「知ってるの?」
「ええ。春の終わり頃から咲く花よ。日陰を好むから、表の庭園よりこういう場所のほうが育ちやすいの」
そう言って、花の名前まで教えてくれた。
少なくとも、私が想像していた「勝手に入ってはいけません」と眉を吊り上げる王女様ではなかったらしい。
少し拍子抜けしながら話しているうちに、いつもの癖で何気ない冗談を口にすると、ミモザは一瞬目を丸くしたあと、小さく吹き出した。
その笑い方があまりにも普通の女の子らしくて、今度はこちらが驚いたほどだった。
後になって知ったことだが、ミモザは王女だからと周囲から必要以上に畏まられることを、あまり好んでいなかったらしい。
もちろん、自分が王族であることも、その立場に責任が伴うことも理解している。公の場ではきちんと振る舞い、教師や目上の者への礼儀も欠かさない。それでも、同年代の子どもにまで距離を置かれ、自分だけ別扱いされることには、どこか居心地の悪さを感じていたようだった。
そんな彼女と私たちが親しくなるまでに、そう長い時間はかからなかった。
それから、三人で過ごすことが増えていった。
もっとも、最初のうちのミモザは、私たちの行動を止める側だった。
「駄目よ。戻りなさい」
ある日、授業の合間に抜け出そうとした私の前へ回り込み、ミモザは腰に手を当ててそう言った。
「ちょっとだけだから」
「その『ちょっとだけ』で、前は一時間いなかったでしょう」
「あれは思ったより遠かったのよ。今日は三十分くらいで戻るから」
「そういう問題ではないわ」
もっともな反論である。
隣ではカインまで「そうだぞ」と言いたげな顔をしていたので、私は思わず睨んだ。お前だって毎回ついてきているだろう、と言いたかったけれど、その場で口にすれば話がややこしくなりそうなので我慢した。
結局、私一人が先に歩き出すと、少し遅れてカインの足音が続き、そのさらに後ろから深いため息が聞こえてきた。
振り返ると、ミモザまでついてきていた。
「来るんじゃん」
「あなたたちだけで行かせるほうが心配なのよ!」
そう言っていたくせに、目的地へ着く頃には一番楽しそうにしていることさえあった。
そして当然のように、三人揃って教師に見つかって叱られた。
さすがに王女相手なら教師も遠慮するのではないかと思ったが、少なくともアカデミーの中ではそうでもなかったらしい。ミモザも私たちと並んで注意を受け、終わった頃にはすっかり頬を膨らませていた。
「もう二度と付き合わないから」
帰り道でそう宣言した彼女に、私は素直に「分かった」と答えた。
けれど数日後、また面白そうな場所を見つけて誘ってみると、ミモザは散々迷った末に結局ついてきた。
そんなことを繰り返しているうちに、三人でいることが当たり前になっていった。
庭園を駆け回り、どこかから貰った菓子があれば三等分し、教師に見つからないよう少し遠回りして帰ることもあった。もちろん遊んでばかりいたわけではなく、試験が近づけば机を囲んで勉強もした。
もっとも、その時間だけは私にとって少し苦痛だった。
「もう無理。頭に入らない」
教科書を閉じ、そのまま机の向こうへ押しやると、隣にいたカインが無言でそれを引き戻してくる。
「まだ半分だぞ」
「半分もやったのよ。十分じゃない?」
「十分じゃないわよ」
向かいに座るミモザが呆れたようにため息をつき、私がどこまで理解しているのか確かめるように問題を指差した。
「ここまでは分かっていたでしょう? だったら次は、この式を使えばいいの」
「数字を見るだけで眠くなる」
「寝たら起こす」
「カイン、そういうときだけ頼もしいの腹立つ」
そんなやり取りをしながら、それでも結局は二人に付き合ってもらい、どうにか試験を乗り越えていた。
いつでも仲がよかったわけではない。
くだらないことで喧嘩もしたし、本気で腹を立てて何日か口を利かなかったこともある。けれど、仲直りしようと大げさに話し合った記憶はほとんどなく、気づけばいつの間にか誰かが話しかけ、いつも通り三人で歩いていた。
子どもの頃の私は、そんな毎日がずっと続いていくものだと思っていた。
三人で大きくなり、大人になっても変わらず顔を合わせれば馬鹿な話をして、昔と同じように笑うのだろう。少なくとも、その頃の私にとっては、それ以外の未来を想像する必要などなかった。
けれど、私たちの身体が少しずつ成長し、子どもから少年少女へ変わっていくにつれて、三人の関係にも、それまでにはなかった変化が生まれ始めた。
最初に気づいたのがいつだったのかは、もう覚えていない。
何か決定的な出来事があったわけではなく、本当に些細なことの積み重ねだったのだと思う。
カインは昔から愛想がない。
私が新しい髪飾りをつけても、いつもとは違う服を着ても、こちらから言わなければ気づかないことなど珍しくなかった。珍しく母に着飾らされ、普段よりずっと綺麗なドレスを着てアカデミーへ行った日ですら、朝から顔を合わせていたカインは昼になるまで何も言わなかった。
ところが、ミモザのこととなると違った。
彼女がいつもと少し違う結い方をしてきただけで、カインは一目見て気づいた。
「今日、いつもと違うな」
本人はただ目についたことを口にしただけなのだろう。
けれど、それを言われたミモザが一瞬固まり、何でもないことのように髪へ触れたのを、私は横からしっかり見ていた。
「……そうかしら」
「髪」
「少しだけ変えてみたの」
「似合ってる」
たったそれだけだった。
それなのにミモザは平静を装いながら、耳までほんのり赤くしていた。
私は危うく吹き出しかけた。
それから注意して見ていると、似たようなことはいくらでも見つかった。
カインはミモザの好きな菓子を覚えていて、誰かから貰えば何気なく彼女へ渡した。肌寒い日にミモザが腕を擦れば、本人が何も言わないうちから「寒いのか」と気づいたし、人の多い場所を三人で歩けば、いつの間にか彼女を庇うような位置へ移動している。
おそらく、本人には特別扱いしている自覚すらなかったのだろう。
けれど、長いあいだ隣で見てきた私からすれば、あまりにも分かりやすかった。
そして何より違ったのは、ミモザを見るときの目だった。
普段のカインは少し目つきが鋭く、黙っているだけでも不機嫌そうに見られることがある。ところがミモザへ視線を向けるときだけ、その鋭さがほんの少し和らいだ。
私と話しているときには滅多に見せないような、柔らかな顔になる。
それに気づいたとき、頭の中に一つの答えがすとんと落ちた。
――ああ、こいつ、ミモザが好きなんだ。
不思議なくらい驚かなかった。
むしろ、これまで何となく引っかかっていたものの正体がようやく分かったようで、妙に納得したのを覚えている。
しかも、どうやら一方通行でもなかった。
ミモザもまた、分かりやすいくらいカインを意識していた。
カインがほかの令嬢と話していれば、興味などありませんという顔をしながら何度もそちらへ目をやる。何かを褒められれば澄ました顔で礼を言うくせに、後から耳が赤くなっているし、私にはいくらでも言い返す彼女が、カインから不意に真っ直ぐ見つめられると、途端に言葉へ詰まることさえあった。
王女として振る舞っているときのミモザは、本当に立派だった。
身分の上下を問わず人には穏やかに接し、礼儀を忘れず、自分が王家の人間として見られていることを幼い頃から理解している。そんな彼女がカインの前でだけは、ときどき王女の顔を忘れる。
些細なことで照れ、腹を立てれば遠慮なく怒り、思い通りにならなければ拗ね、それでも楽しくなれば年相応の少女のように笑う。
私はそんな二人を見るたび、口には出さずとも内心ではずっとにやにやしていた。
さすがの私にだって、それくらいは分かる。
二人は互いに恋をしている。
だったら、あとは時間の問題だと思っていた。
ミモザは第三王女で、カインは公爵家の子息。身分の釣り合いという点でも大きな問題はなく、何より二人は幼い頃から互いの良いところも悪いところも知っている。それでもなお惹かれ合っているのなら、これほど似合う相手などほかにいないように思えた。
だから私は、ずっと二人を応援していた。
ときには用事があるふりをしてわざと席を外し、二人きりにしたこともある。カインが余計な一言でミモザを怒らせれば、後からその頭を叩いて「そういうところだぞ」と説教したし、ミモザが何か悩んでいる様子なら、それとなくカインの話題を持ち出して反応を窺った。
本人たちは知らなかっただろうけれど、これでも私なりにかなり気を遣っていたのである。
そうして月日は流れ、私たちは十六歳を迎える年になった。
八歳の頃には果てしなく遠いものに思えていた成人が、いつの間にか手を伸ばせば届くところまで来ている。
そして、ミモザの十六歳の誕生日も間もなく訪れようとしていた。
――きっと、その日だろう。
私は何となく、そう思っていた。
さすがのカインだって、いつまでも黙ってはいないはずだ。
十六歳という節目の日に、きちんとミモザへ想いを告げるのではないか。あいつのことだから気の利いた台詞など言えず、不器用で、聞いているこちらがむず痒くなるような告白になるかもしれない。
それでもミモザはきっと驚いて、それから嬉しそうに笑うのだろう。
二人はやがて婚約し、何年か後には結婚する。
当然、その結婚式には私も呼ばれる。
そうなったら、八歳の頃から知っている二人の恥ずかしい話を、披露宴で山ほど暴露してやろうと決めていた。
あの木に登ったことも、三人揃って教師から逃げ回ったことも、カインがミモザの前でだけ妙に格好をつけていたことも、本人たちが忘れていそうな話まで全部掘り返してやる。
その光景を想像するだけで楽しくて、私はひとりで何度も笑った。
何も心配していなかった。
疑う理由など、どこにもなかった。
ミモザ第三王女とカインは、いつか結婚する。
私にとってそれは、明日になればまた朝が来て、太陽が昇ることと同じくらい、疑いようのない未来だった。
だから、もうすぐミモザの十六歳の誕生日だと話題にしたあの日も、私はただ、カインが彼女へ何を贈るつもりなのか、それを面白半分に聞いてみただけだった。
その問いかけの先で、八歳の頃から当たり前だった私たち三人の関係が、根底からひっくり返ってしまうなど――。
考えたことさえ、なかった。




