1.悪友との出会い
ミモザ第三王女とカインは、いつか結婚する。
私は、ずっとそう信じていた。
幼い頃から二人を見てきた私にとって、それは願望でも予想でもなく、いつか当たり前のように訪れる未来だった。
カインは、決して分かりやすい男ではない。誰にでも愛想よく振る舞うような性格ではなかったし、自分の気持ちを言葉にするのも昔から得意ではなかった。嬉しいのか、楽しいのか、それとも怒っているのか、付き合いの浅い人間なら表情だけでは判断に困ることも多かったと思う。
けれど、そんなカインがミモザを見るときだけ、ほんのわずかに目元を和らげることを、私は誰より近くで知っていた。
ミモザもまた、彼の前では少しだけ違っていた。
第三王女として人前に立つ彼女は、幼い頃から驚くほどしっかりしていた。相手が大人であっても物怖じせず、王族として求められる礼儀をきちんと守り、同年代の子どもたちがはしゃいでいる場でも自分の立場を忘れない。けれど、カインと一緒にいるときだけは、そんな彼女も年相応の少女に戻ったように笑った。
だから、きっと二人は一緒になるのだと思っていた。
大人になれば婚約し、やがて結婚して、昔からそう決まっていたかのように隣同士に並ぶ。私の中では、その未来を疑う理由など一つもなかった。
――少なくとも、あの日までは。
◇
私――ミケリアが王立魔導アカデミーへ通い始めたのは、八歳の頃だった。
親しい者からは、昔からミッケと呼ばれている。
焦げ茶色の髪は肩にも届かないほどの長さで、柔らかな癖があるせいか、朝にどれだけ丁寧に整えても、昼頃には毛先が好き勝手な方向へ跳ねてしまう。瞳は琥珀を溶かしたような明るい茶色で、母からはことあるごとに「黙って座っていれば、もう少し令嬢らしく見えるのに」と言われながら育った。
その言葉の意味は、自分でもよく分かっていた。
顔立ちだけを見れば、おそらくそれなりに令嬢らしく見えるのだろう。問題は、その「黙って座っている」という条件を私がほとんど満たせないことだった。
面白そうなものを見つければ近づいて確かめたくなるし、「入ってはいけない」と言われれば、その向こうに何があるのか余計に気になってしまう。授業中であろうと、窓の外に見たことのない鳥でも止まろうものなら、教師が黒板に書いている文字より、そちらの羽の色のほうが気になった。
そんな私を「好奇心旺盛」と好意的に評してくれる大人もいたけれど、母に言わせれば、単なる落ち着きのない娘である。
私が八歳になったその年、アートランティス王国では、ちょうど子どもたちへの義務教育制度が始まったばかりだった。
国は身分や生まれにかかわらず、すべての子どもに最低限の読み書きや計算を学ばせようとしていた。けれど、制度が定められたからといって、翌日から国中の子どもが同じように学校へ通えるわけではない。
地方の町や村にまで学校を建てるには時間がかかり、教師の数も圧倒的に足りていなかった。子どもに家業を手伝わせなければ暮らしていけない家もあれば、そもそも近くに学校がなく、通学するだけでも一苦労という土地もある。
国中の子どもが当然のように机へ向かい、同じように教育を受けられる時代には、まだほど遠かった。
そう考えると、私はずいぶん恵まれていたのだと思う。
八歳から王立魔導アカデミーへ通い、読み書きや算術だけでなく、魔法学や歴史、礼法まで、それぞれを専門とする教師から学ぶことができたのだから。
そして何より――そこで、カインと出会った。
もっとも、最初の印象は最悪だった。
口数が少なく、愛想もない。こちらが何か冗談を言ってみても、面白いのか面白くないのか分からない顔をしているだけで、放っておけば一日くらい誰とも話さずに過ごせそうな子どもだった。
一方の私は、入学して数日もしないうちに校舎の大まかな構造を覚え、どの階段を使えば教師と鉢合わせしにくいのか、どの廊下なら授業中に人通りが少なくなるのかを勝手に調べ始めていた。
今になって考えても、どうしてそんな二人が仲良くなったのか不思議なくらいである。
実際、入学したばかりの頃は、同じ教室にいてもほとんど言葉を交わさなかった。
そんな私たちの関係が変わったのは、入学してまだそれほど日が経っていない頃のことだった。
その日の午後、私は授業が始まってしばらくしたあたりから、窓の外ばかり眺めていた。
教師が黒板へ書きつける文字を目で追おうとはしたものの、話の内容は少しも頭に入ってこない。窓から差し込む陽射しは暖かく、外では風に揺れた木々の葉がきらきらと光っている。それを見ているうちに、机に座っていることがひどくもったいないことのように思えてきた。
しかも、私は少し前から気になっている場所があった。
校舎の裏手にある古い庭園である。
授業で使われることもなく、生徒たちもほとんど近寄らない場所だったが、以前二階の窓から覗いたとき、大きな木が何本も生えているのが見えた。太い枝が横へ伸びた木を見つけて以来、あれは絶対に登りやすい、とずっと目をつけていたのだ。
教師が黒板へ向き、生徒たちの視線もそちらへ集まった隙を見計らって、私はそっと席を立った。
教室の後ろまで気配を殺して進み、音を立てないよう慎重に扉を開ける。廊下へ出てから静かに閉めるところまで成功すると、思わず口元が緩んだ。
あとは庭園へ向かうだけだった。
ところが、廊下の角を曲がったところで、背後から低い声が飛んできた。
「どこ行くんだ」
びくりとして振り返ると、少し離れたところにカインが立っていた。
どうやら私が教室を抜け出したところを見ていたらしい。普段と変わらない無愛想な顔でこちらを見ている彼に、私はよりによって一番面倒そうな相手に見つかった、と内心で舌打ちした。
「ちょっと散歩」
何食わぬ顔で答えると、カインの眉間にわずかに皺が寄った。
「授業中だぞ」
「知ってるよ」
そんなことは当然承知している。知らずに抜け出してきたわけではないのだから、わざわざ教えてもらう必要もない。
カインはしばらく私を見つめたあと、当然のことを言い聞かせるように口を開いた。
「戻れよ」
「嫌」
迷う理由もなかったので即答すると、カインは心底理解できないものを見るような顔になった。
それなら、そのまま私を放って教室へ戻ればよかったのだ。
ところが私が再び歩き出すと、なぜか背後から彼の足音までついてきた。
最初は教師へ言いつけるつもりなのかと思った。しかし、私が廊下を抜け、裏口から外へ出ても、カインは一定の距離を保ちながら後ろを歩いてくる。とうとう古い庭園まで辿り着いても戻ろうとしないので、さすがに気になって振り返った。
「なんでついてくるの?」
「お前が戻らないからだろ」
「じゃあ、先生呼んでくればいいじゃん」
そう言うと、カインは少し黙った。
理由を考えていたのか、それとも自分でも分からなかったのかは、今でも知らない。
私はそれ以上気にすることもなく、目当てにしていた大木へ駆け寄った。近くで見ると思っていた以上に幹が太く、低い位置から枝が伸びている。これなら八歳の私でも十分に登れそうだった。
幹の凹みに靴をかけ、枝へ手を伸ばして身体を引き上げると、背後から慌てた声がした。
「おい、何してるんだ!」
「見れば分かるでしょ。木登り」
「危ないから降りろ!」
下から見上げるカインは、さっきまでの無愛想な顔が嘘のように焦っていた。その様子が妙におかしくて、私は枝へ腰掛けながら笑った。
「大丈夫だって。ほら、簡単だよ」
「そういう問題じゃない!」
真面目な顔で怒っているのを尻目に、私はさらに一段高い枝へ手を伸ばした。
そのまま見ていられなくなったのか、やがてカインまで幹へ手をかける。危ないから降りろと言っていた本人が登ってくるものだから、私はますます笑いを堪えられなくなった。
「カインも登るんじゃん」
「お前を降ろすためだ!」
「自分から降りられるってば」
「じゃあ今すぐ降りろ!」
「やだ。せっかくここまで来たのに」
枝の上から見える景色は、教室の窓越しに眺めるものとはまるで違っていた。庭園の向こうには校舎の屋根が見え、そのさらに先には王都の建物が連なっている。頬を撫でていく風も心地よく、退屈な授業を抜け出してきた甲斐があったと、私はすっかり満足していた。
問題は、その楽しい時間があまり長く続かなかったことである。
「――そこで何をしている!」
庭園いっぱいに響き渡った怒声に、私とカインは揃って身体を強張らせた。
恐る恐る下を見ると、木の根元には、先ほどまで教壇に立っていたはずの教師がいた。腕を組み、こちらを見上げているその顔は、遠目からでもはっきり分かるほど怒っている。
逃げ場など、どこにもなかった。
結局、私たちは揃って木から降ろされ、そのまま教室へ連れ戻された。
当然ながら、教師には大目玉を食らった。
授業を勝手に抜け出したこと、生徒だけで庭園へ入ったこと、さらには木へ登ったことまで、一つずつ順番に説教される羽目になったのだが、私は隣に立たされているカインを見るたび、どうしても笑いそうになってしまった。
私が勝手に抜け出しただけなのに、こいつはわざわざ追いかけてきて、挙げ句の果てには一緒になって木まで登ったのである。
あれほど真面目そうな顔をして「戻れ」と言っていたくせに、結局最後までついてきたのだ。
隣を見ると、カインは耳まで真っ赤にしながら俯いていた。教師の叱責を一言も聞き漏らすまいとするように唇を固く結び、本気で反省しているのが横顔からでも伝わってくる。
その姿がますますおかしくて、私は教師に気づかれないよう必死に口元を引き締めた。
たぶん、あの日からだった。
私がカインという無愛想な少年を、少しだけ面白い奴だと思うようになったのは。




