37.ずっと馬鹿やってたかった
王立図書館を出てからというもの、私はずっと難しい顔をしていたらしい。
夕方の王都を走る馬車の窓からは、休日を楽しんだ人々が行き交う通りや、店じまいを始める露店の姿が流れていく。いつもなら珍しいものを見つけるたびに窓へ張りついていたところだけれど、今日はそんな気分にはなれず、向かいに座るカインの存在も半ば忘れたまま、膝の上で組んだ指を見つめていた。
頭から離れないのは、図書館で見つけた記録と、エターナから突きつけられた言葉だった。
もしツガイを解けば、私は今のようにグレゴリー家の庇護を受けられなくなるかもしれない。その途端、再び何者かに命を狙われ、今度こそ本当に殺されてしまう可能性だってある。
けれど、死んだら終わりなのだろうか。
メローネの話が本当なら、ツガイ伴は死んでも再び生まれてくる。最初のヘルケが亡くなったあと、今のヘルケが同じ顔と同じ名前で生まれてきたように、私もまた、どこかの家の子どもとして生まれるのかもしれない。
そのとき、カインはどうするのだろう。
生まれ変わった私を探すのだろうか。見つけたら、それが私だと分かるのだろうか。それとも、今のメローネがヘルケを育てているように、カインも幼い私を自分のそばへ置くのだろうか。
そこまで考えて、私は妙なことに気づいた。
今、私が十六歳で死んですぐに生まれ変わったら、新しい私は赤ん坊なのに、カインは十六歳のままなのではないだろうか。
つまり十六歳差。
やがて私が八歳になった頃には、カインは二十四歳。
その私が、今のヘルケみたいにカインのそばをちょこちょこと歩いていたら――。
想像した途端、何とも言えない気持ちになった。
いや、それ以前に。
その子は、本当に今の私なのだろうか。
同じ顔で、同じ名前で、同じ魂だったとしても、今ここで考えていることも、カインと馬鹿をやってきた十六年間の記憶も何も持っていなければ、それを「私」と呼んでいいのか分からない。
メローネは、今のヘルケを迷うことなくヘルケとして愛している。
けれど、カインはどうなのだろう。
そして――私は?
「ミッケ」
不意に名前を呼ばれ、私ははっと顔を上げた。
「ん?」
向かいでは、カインがこちらを見つめていた。
いつから見られていたのか分からない。普段なら「なんだその顔」と笑われそうなところなのに、今日のカインは妙に静かで、窓から差し込む夕暮れの光の中、何かを言い出しかねているように眉を寄せていた。
「なに?」
尋ねても、すぐには答えない。
しばらく迷った末、カインは膝の上で握っていた拳をわずかに緩め、低い声で口を開いた。
「……ミッケが、また悲しむと思って言えてなかったんだけどさ」
その前置きだけで、胸の奥が落ち着かなくなる。
カインは一度視線を落としたものの、逃げるように逸らすことはせず、やがて真っ直ぐ私を見た。
「俺は、心からミッケを愛してる」
何度も聞いた言葉のはずなのに、今日は妙に重く聞こえた。
森で覚醒した直後とは違う。あの頃のように、ただ溢れた感情をそのままぶつけているのでもなかった。
カインは自分の気持ちがツガイによって生まれたものかもしれないことも、私がそれを怖がっていることも分かったうえで、それでも言っている。
「でも……もし、お前が本当にツガイを解く方法を見つけて、この気持ちが全部なくなったとしても」
そこで一度、カインの声が詰まった。
私は何も言わず、続きを待った。
「ミモザのところには、もう戻らねぇよ」
胸の奥が、きゅっと縮んだ。
「ミモザとは俺が終わらせた。お前のせいじゃねぇし、もしツガイじゃなくなったからって、なかったことにして戻るつもりもない」
それはきっと、私を安心させるために言っている。
図書館で私が「ツガイを解いたあとでもカインが私を好きなら」と言ったから、カインなりに考えたのだろう。たとえ自分の気持ちが消えたとしても、ミモザとの別れまで私の責任にする必要はないのだと伝えようとしてくれている。
「それだけは、覚えといてくれ」
「……やだ」
口から出た言葉に、カインの表情が固まった。
「ミッケ……」
「やだ」
もう一度言うと、今度は自分でも何を拒んでいるのか分からなくなった。
ミモザのところへ戻ってほしいわけではない。かといって、このままツガイに縛られていたいわけでもない。
それでも、カインが「この気持ちがなくなったら」と口にした瞬間、どうしようもなく嫌だと思ってしまった。
「頼むから……」
困り果てたような声に、胸が苦しくなる。
私は膝の上で拳を握りしめた。
「いやなのよ……」
どう言えば伝わるのか分からず、しばらく俯いたまま言葉を探した。
「あんたが私を好きだからとか、ミモザのところへ戻るとか戻らないとか……そういうことだけじゃないの」
カインは黙って聞いていた。
窓の外から差し込む夕日の色が少しずつ薄くなり、馬車の中には車輪が石畳を踏む規則的な音だけが響いている。
「私、あんたとはずっと友達でいたいの」
ようやく言葉にすると、胸の奥に押し込めていたものまで一緒に溢れてきた。
「昔みたいにくだらないことで喧嘩して、変なところ探検して、馬鹿なことして怒られて……そういうの、ずっとやってたいのよ。ツガイを解いたら、好きじゃなくなりました、はい終わり、なんて嫌なの」
恋人になりたいのかと聞かれたら、まだ答えられない。
ツガイを受け入れたいのかと聞かれれば、今だって嫌だと思う。
けれど、カインそのものまで失いたいわけではなかった。
「ずっと……」
声が小さくなる。
「あんたとは、馬鹿やってたい」
カインはしばらく何も言わなかった。
やがて、その強張っていた表情が少しだけ緩み、どこか寂しそうに目を細める。
「……そうだよな」
それは肯定にも聞こえたし、諦めにも聞こえた。
私は何か言わなければと思ったけれど、その前に――馬車が突然、大きく跳ねた。
身体が座席から浮き、窓枠が激しい音を立てる。向かいにいたカインが即座に足を踏ん張り、私の身体が投げ出されないよう腕を伸ばした。
「何!?」




