36.確信に近い推測
「エターナ……?」
思わず名前を呼ぶと、彼女はいつもの静かな表情を崩さないまま、書棚の間からこちらへ歩いてきた。
ツガイ科ではアベルの隣で本を読んでいる姿をよく見かけるけれど、こうして教室の外で話すのは初めてだった。腰まで伸びた黒髪を揺らしながら私たちの机まで来ると、エターナは抱えていた本を脇へ置き、空いている向かいの椅子へ静かに腰を下ろした。
「……騒がしい声が聞こえてきたから、もしかしてと思って」
どうやら私とカインのやり取りは、思っていた以上に書庫へ響いていたらしい。
少し恥ずかしくなって口をつぐむ私をよそに、エターナは机の上へ散らばった資料へ視線を走らせた。第四代と十六代目のイージス家の記録、歴代当主の姿絵、それからカインが持ってきてくれた王国史。何を調べていたのか、大体察したようだった。
「ツガイがいつ頃から始まったのかを知りたいのでしょう?」
「う、うん」
「それなら、見ての通り王歴二百年以降よ。その頃から、高位家門の記録に『ツガイ』という言葉が現れ始めている」
やっぱり。
自分の見間違いではなかったのだと分かり、私は思わず身を乗り出した。
「じゃあ、それより前には本当にツガイってなかったの?」
「少なくとも、今と同じ形で記録されてはいないわね」
エターナは断定せず、目の前の歴史書へ手を差し出した。
「貸して」
「あ、はい」
言われるまま、開きっぱなしにしていた分厚い本を向こう側へ滑らせる。
エターナは慣れた手つきで頁をめくっていった。私なら一頁読むだけでも嫌になりそうな細かな文章を、ほとんど迷うことなく追っていく。
やがて目的の頁を見つけると、細い指先で一行を示した。
「ここ。分かる?」
「えっと……」
私は身を乗り出し、示された箇所へ目を凝らした。
古い言い回しを追いながらどうにか読んでいくと、そこには当時の王家に一人の王女が誕生したことが記されていた。
その名前を見た瞬間、さすがの私でも分かった。
「……ラマンサ様?」
現人女神ラマンサ。
その名なら、子どもでも知っている。
遥か昔に王家へ生まれ、現在も生きていると伝えられている女神。グリズナー大公家が代々その身辺を支え、今も王都の神殿にいる――とされている。
ただし、一般の人間がその姿を見る機会はない。
何百年も公の場へ姿を見せないせいで、本当に生きているのか、それとも神殿が象徴として祀っているだけなのかと噂する者もいるくらいだった。
「ラマンサ様が……ツガイに関係しているのでしょうか?」
尋ねると、エターナはすぐに答えず、歴史書の頁をさらに何枚かめくった。
「少なくとも、無関係とは思えないわ」
指先が年代を追うように文字の上を滑っていく。
「ラマンサ様が生まれる以前のアートランティス王国では、大貴族同士の衝突も、領地を巻き込んだ戦争も珍しくなかった。けれど、彼女の誕生からおよそ百年が過ぎた頃には、それまで頻発していた大規模な戦争がほとんど姿を消している」
「百年後……」
私は首を傾げた。
百年と言われると、私には十分すぎるほど長く感じる。
「でも、百年もあれば、普通に国をまとめたりできるんじゃないですか? 戦争してた人たちが死んで、次の世代になって、だんだん仲良くなったとか……」
エターナが私を見た。
そして、深いため息をついた。
「はぁ……」
その顔には、はっきり書いてあった。
――この子、何を言っているのかしら。
「す、すみません……」
反射的に謝ってしまう。
エターナは一度目を閉じてから、仕方がないというように説明を続けた。
「百年経ったから自然に平和になった、で済むなら、歴史を調べる意味がないでしょう。見るべきなのは、その百年間に何が起きたかよ」
彼女は机の上に放置していた第四代イージス公爵家の資料を引き寄せた。
「たとえば、あなたが開いたままにしているこの第四代当主。彼女は、当時起きていた戦争の大半で中心的な役割を果たしている。イージス家の軍を率い、何度も勝利へ導いたことで、王国の勢力図そのものを変えているわ」
「この、サクに似た人が……?」
改めて姿絵を見る。
確かに、顔立ちだけではなく、まっすぐ前を見据える眼差しまでサクレティアを思わせる。
「そして、こちらも面白いわ」
エターナは別の記録を開いた。
「アルデリヒ公爵家よ」
「アベル様の家?」
「ええ。今でこそ外交や情報、知識に優れた名門として知られているけれど、ラマンサ様が生まれる以前は、今とはずいぶん違う役割を持っていた」
彼女は淡々と告げた。
「娼館や酒場、賭場のようなものが集まる夜の街を支配し、そこから財と情報を得ていたの。社交や交渉に長けた一族ではあったけれど、今のように王国の外交を担う家とは言い難かったわね」
「えぇ……」
今のアベル様からは、まったく想像できない。
寡黙で近寄りがたいあの人の先祖が、かつて夜の街を取り仕切っていたというだけでも驚きだったが、エターナはそんな私の反応には構わず、指先で年代を追いながらさらに頁をめくっていった。
「ところが王歴二百六十年を過ぎた辺りから、それまでの商売からほとんど手を引いて、外交や情報収集を中心とした家へ急速に変わっていくの。その転換期のアルデリヒ公爵が――」
そこで彼女の指が止まった。
開かれた頁へ目を落とした私は、そこに描かれている男性の姿を見た瞬間、思わず息を呑んだ。何百年も前の人物であることは分かっているのに、黒い髪も鋭い顔立ちも紫の瞳も、今のアベルがそのまま大人になった姿だと言われれば信じてしまいそうなほどよく似ていた。
「……アベル様?」
私が呟くと、エターナは何も言わず、その隣に描かれている女性の姿絵へ視線を移した。
「その妻は……私ね」
「え?」
思わずエターナ本人と姿絵を見比べる。
長い黒髪に、静かな紫の瞳。髪飾りや服装こそ時代によって違うものの、顔立ちはあまりにもよく似ていて、単なる血縁の名残と言われるより、同じ人物だと言われたほうが納得できるほどだった。
ヘルケが同じ顔と名前で生まれ変わったという話を聞き、今度は歴代の記録の中から何度も現れるクレノを見つけ、さらにサクによく似た当主と、アベルやエターナそのものに見える夫婦まで出てきた。
ここまで重なると、さすがに偶然とは思えない。
「これって……本当に先祖返りってだけなの? 顔まで同じなら、むしろ転生って考えたほうが自然なんじゃ……」
自分で口にしながらも、どちらが正しいのか分からなくなる。先祖の血が濃く出た結果なのか、それとも同じ人物が何度も生まれ直しているのか。今まで別々だと思っていたものが、急に一つの線で繋がり始めたような感覚だった。
エターナは姿絵をしばらく見つめたあと、静かに本を閉じた。
「アルデリヒ家は、知識と記録を重視する家よ。イージス家以上に、過去の当主やその家族について細かく残しているわ」
その声音には、何もかも分かっている者の確信というより、長い時間をかけて自分なりに考えてきた者の慎重さがあった。
「だから私も、昔の記録を随分読んだ。そのうえでの推測でしかないけれど……私は、これを単なる先祖返りだとは思っていないの」
「じゃあ……」
「自分自身で選んだ道なのではないかと思っている」
エターナは、閉じる直前まで見ていた自分によく似た女性の姿絵へそっと指を置いた。
「もう一度生まれて、もう一度同じ人と出会って、愛した相手と添い遂げるためにね」
その言葉を聞いた瞬間、私はすぐには返事ができなかった。
メローネも、似たようなことを言っていたことを思い出す。ツガイ伴が同じ顔で生まれてくるのは主に見つけてもらうためで、もしかすると、どの両親のもとへ生まれれば同じ姿になれるのかまで、転生する側が何らかの形で選んでいるのではないか――と。
あのときは、あくまでメローネ個人の推測として聞いていた。
けれど、何百年も前の記録にまで同じような顔が繰り返し現れているとなれば、ただの思いつきとして片づけるには重すぎる。
「エターナ様……」
「エターナでいいわよ、ミケリア。将来は同じ公爵夫人になるようですし」
静かに訂正され、私は思わず目を瞬いた。
「いや……私は……」
反射的に否定しようとしたものの、エターナはそれを遮るように続けた。
「もし私の推測が正しいなら、今の人生も、この世に生を受ける前にあなた自身が選んだものなのかもしれない。かつて愛した人と、もう一度出会うために」
その言葉には、不思議なくらい重みがあった。私は無意識に隣のカインへ視線を向けると、彼は何も言わず、ただ静かにこちらを見つめていた。
もしかしたら、本当にそうなのかもしれない。私が覚えていないだけで、ずっと昔の私はカインを愛し、もう一度会いたいと願って、この人生を選んだのかもしれない。けれど、たとえそれが事実だったとしても、今ここにいる私の気持ちまで、過去の私に決められてしまうのは違うように思えた。
「……それでも」
私は机の上でそっと手を握り、考えを確かめるように言葉を続けた。
「もし、本当に昔の私がこの人生を選んだんだとしても、それでも私は今の自分で決めたい。ツガイを解いたあとでもカインが私を好きでいてくれるなら、そのときは私も全力でカインに寄り添うと思う」
隣でカインがわずかに息を呑んだ気配がしたけれど、私はそちらを見なかった。
「でも、ツガイを解いた途端にその気持ちが全部なくなるなら……それは、私が欲しいものとは違うと思う」
言い終えると、書庫の中には再び静けさが戻った。
エターナはすぐには何も言わず、怒るでも否定するでもなく、しばらく私の顔をじっと見つめていた。けれど、やがてその紫の瞳からわずかに柔らかさが消え、代わりに冷静な厳しさが宿る。
「考えが甘いわね、ミケリア」
「え?」
思わず顔を上げると、エターナは淡々とした口調のまま、私がどこかで考えないようにしていた現実を突きつけてきた。
「あなた、ツガイ科へ編入する前に命を狙われたのでしょう?」
その一言で、胸の奥がひやりと冷えた。
黒い鞭が空気を裂いた音や、目の前で傷ついていくカインの姿が、一気に記憶の底から蘇ってくる。
「ツガイ伴である今ですら狙われたのよ。グレゴリー家の庇護を受けて、カインがそばにいて、それでも襲われた。なら、本当にツガイを解くことに成功して、その結果グレゴリー家との繋がりまで失えば、どうなると思う?」
そこまで言われて、ようやく私は彼女の言いたいことを理解した。これまで私は、ツガイを解けば自由になれると、そのことばかりを考えていたけれど、実際に解いたあと、自分がどんな立場に置かれ、何を失うことになるのかまでは、ほとんど考えていなかったのだ。
そんな私の甘さを見透かしているかのように、エターナは一度も目を逸らさず、静かな声で容赦なく言い切った。
「解いた瞬間、あなたは死ぬわよ」
息が詰まり、返す言葉が見つからないまま、私はただエターナを見つめることしかできなかった。




