35.新事実
休日。
私は朝から、王都の中心部に建つ王立図書館を訪れていた。
外から眺めただけでも、その巨大さには圧倒される。何階あるのか一目では分からないほど高い建物の正面には太い石柱が並び、その向こうには一般の利用者が絶えず出入りしていた。けれど、サクから借りた閲覧許可証を受付で提示し、一般区域よりさらに奥へ進んだ先にある貴族家専用区画へ案内されてからは、建物そのものよりも、そこに収められている情報量のほうに呆然とすることになった。
イージス公爵家専用書庫の扉を開けば、壁一面を埋め尽くす書棚が奥まで幾列も続いている。歴代当主や領地経営に関する記録だけではなく、過去の戦争、竜人族の血統、魔力や妖力、先祖返りについてまとめられた資料まで揃っているらしく、年代ごとに整理されているとはいえ、何から手をつければいいのか見当もつかない。
「うわぁ……どれだけあるのよ」
入口で思わず立ち尽くすと、付き添いで来ていたカインも棚を見上げながら肩をすくめた。
「だから言っただろ。イージス家の記録なんて、簡単に読み切れる量じゃねぇって」
「でも、探すしかないじゃない」
サクは、この書庫に何かのきっかけがあるかもしれないと言っていた。
ツガイを解く方法そのものが記されているとは限らない。それでも、あれだけツガイを大切にしているサクが、わざわざ私に閲覧許可証を貸してくれたのだから、少なくとも何か気になる情報がここにあるのだろう。
問題があるとすれば、それを見つけ出すまで私の集中力が持つかどうかだった。
「……片っ端から読むしかないかぁ」
覚悟を決めて最初の一冊を開いたものの、その決意は半刻もしないうちに揺らぎ始めた。古い時代の記録になるほど文章は堅苦しく、知らない言葉も多いうえ、一頁を埋め尽くす細かな文字を追っているだけで頭が重くなってくる。
この調子で最初から最後まで読んでいたら、目的の情報へ辿り着く前に私のほうが力尽きる。
そこで早々に方針を変え、まずは歴代当主の概要や家系、人物姿絵がまとめられている資料から目を通すことにした。気になる人物や年代を見つけてから、その周辺だけ詳しく調べればいい。文章を一冊ずつ読み潰すより、よほど現実的な方法に思えた。
そうして大判の資料を机へ広げ、歴代イージス公爵家の人物姿絵を順番にめくっていたときだった。
意外にも、最初の異変はすぐに見つかった。
「……ん?」
王歴二百年代、第四代当主の頁で指が止まる。
当主は女性で、その隣には婿養子としてイージス家へ入った男性の姿絵が載っていた。何気なく名前を確認した私は、その馴染み深すぎる響きに眉を寄せる。
「……クレノ?」
もちろん、同じ名前の人間くらい珍しくない。
そう思って姿絵へ目を落としたものの、今度は簡単に偶然だとは思えなくなった。
描かれているのは成人した男性だから、十三歳のクレノとまったく同じではない。それでも、細い輪郭や目元、黒髪の流れ方まで妙によく似ており、今のクレノが成長したらこうなるのではないかと考えれば、不思議なほど自然に納得できてしまう。
「……は?」
思わず声が漏れた。
しばらく姿絵を見つめていたものの、たまたま名前と顔立ちの似た遠い親族なのかもしれないと思い直し、私は気を取り直して頁をめくった。
「いやいや……偶然よね」
けれど、その言葉は十六代目当主の記録まで辿り着いたところで、完全に意味を失った。
こちらも女性当主で、その隣には夫の姿絵が載っている。
名前は、またクレノ。
しかも姿絵の男は、第四代当主の夫と驚くほど同じ顔をしていた。服装や髪型には時代の違いがあるのに、顔立ちそのものは同一人物を描いたと言われても疑わないほど似ている。
「待って……どうなってるの」
頁を押さえたまま、私は動けなくなった。
頭に浮かんだのは、以前メローネから見せてもらった最初のヘルケの写し絵だった。
一度亡くなったツガイ伴が、同じ名前と同じ顔で再び生まれてくる。
もし、クレノにも同じことが何度も起きているのだとしたら。
私は慌てて第四代当主について詳しく記録された資料を探し出し、机へ持ってきた。婚姻の時期や家族構成、夫がどこから来た人物なのかを、読めそうな箇所から順番に追っていく。
ところが、そこで新しい疑問が生まれた。
「……ツガイって書いてない」
第四代当主の記録には、クレノという男性が婿養子としてイージス公爵家へ入ったことが確かに残されている。二人の婚姻についても書かれているのに、私が今まで教わってきた「ツガイ」や「伴」という言葉は、どこにも出てこなかった。
一方、十六代目の資料では事情がまるで違う。
当主とその伴がツガイとして覚醒したことも、正式な手続きを経て婚姻したことも、はっきり記録されている。
私は二冊を机の上へ並べ、何度も見比べた。
同じ名前で、ほとんど同じ顔をした二人の男。
それなのに、一方にはツガイの記録がなく、もう一方にはある。
「……どういうこと?」
第四代の頃には、まだツガイという仕組み自体が存在していなかったのだろうか。それとも存在はしていたものの、今とは呼び方や扱いが違っていて、記録に残されなかっただけなのか。
考えれば考えるほど分からなくなる。
そのとき、書棚の向こうからカインの声がした。
「ミッケー。次の本持ってきたぞー」
ほどなくして、頼んでいた資料を何冊も抱えたカインが戻ってくる。
けれど今の私には、それより確認したいことが増えていた。
「カイン! そっちじゃなくて、普通の歴史の本も持ってきて! できれば王国の最初から載ってるやつ!」
「は?」
「あと、グレゴリー家の歴代当主の姿絵も!」
突然注文を増やされたカインは、腕の中の分厚い本と私を交互に見比べ、露骨に嫌そうな顔をした。
「えぇ……今持ってきたばっかだぞ」
「お願い! ちょっと気になること見つけたの!」
私が身を乗り出して頼むと、さすがにただの思いつきではないと察したらしい。カインは面倒そうに息を吐いたものの、結局は文句を言いながら再び書棚の奥へ戻っていった。
その背中を見送りながら、私は改めて資料へ目を落とす。
サクは、このことに気づいていたのだろうか。
だから私へ、イージス家の専用書庫を調べてみろと言ったのかもしれない。
けれど、それなら「歴代のクレノを見てみろ」と教えてくれてもよかったはずだ。それをしなかったのは、自分で見つけろという意味なのか、それともサク自身も何かを疑っているだけで、答えまでは持っていないからなのか。
今の私には判断できなかった。
とにかく、もう少し遡ってみるしかない。
十六代目より前、第四代より後、そしてさらに古い時代へと資料を辿っていくうち、今度はクレノだけではなく、当主の姿絵にも妙な既視感を覚えるようになった。
「……サクっぽい」
ある女性当主の頁で、私は小さく呟いた。
もちろん、サク本人と瓜二つというわけではない。それでも深い群青色の髪や整った顔立ち、姿絵の中でも崩れない凛とした佇まいが、今のサクレティアを思わせる。
さらに別の時代を見れば、また似た雰囲気の当主がいる。
竜人族の血を代々受け継ぐ同じ家系なのだから、似た顔の人間が生まれるのは不思議ではない。それでも、ヘルケの転生を知り、二人のクレノを見つけた直後では、ただの血縁による類似だと簡単に片づける気にはなれなかった。
そうしてさらに古い記録を遡り、初期の当主へ辿り着いたところで、今度は別の違和感が浮かび上がった。
最初の代には、ツガイについての記載そのものが見当たらない。
婚姻相手や子どもの存在は残されているのに、現在なら高位家門の記録からまず外れるはずがない「ツガイ主」や「ツガイ伴」という言葉が、どこにも書かれていなかった。
「……どういうことなの」
私は椅子の背へ身体を預け、積み上がった資料を眺めた。
私はこれまで、ツガイというものは大昔から当たり前に存在していて、高位貴族はずっとそれと共に生きてきたのだと思っていた。
でも、記録を見る限り、そうとは限らない。
もし歴史の途中からツガイが現れたのだとすれば、この仕組みにも「始まり」があることになる。
そして、始まったものなら――どこかに終わらせる方法だってあるのではないか。
その考えが浮かんだ途端、疲れていた頭が少しだけ冴えた。
「ミッケー。歴史書持ってきたぞ」
ちょうどそこへ、両腕いっぱいに本を抱えたカインが戻ってきた。
「うん、ありがとう」
受け取った一冊を机へ置き、期待しながら表紙を開く。
けれど、中身を見た瞬間、その期待は急速にしぼんだ。
頁の端から端まで、細かな文字がびっしり並んでいる。
歴代の王や戦争、法制度、貴族家の成立、神殿の変遷まで年代順にまとめられているらしく、必要な情報がどこかにあるのは間違いなさそうだった。
ただし、見つけるためには、この文字の海を泳ぎ切らなければならない。
「うぅ……文字びっしり……」
しばらく本を見つめたあと、私は諦めるように顔を上げた。
「ねぇ、カイン」
「なんだよ」
「これ、ツガイがいつ頃から始まったのか調べてくれない?」
カインなら私より遥かに読むのが速い。次期公爵として難しい法律書や領地の資料を日常的に読まされているし、私が一頁と格闘している間に何頁も進められるだろう。
いつもの調子なら、「自分で読め」と一度は文句を言いながら、結局は手伝ってくれる。
だから今回もそうなると思っていた。
ところが、返事がない。
「……カイン?」
不思議に思って見上げると、カインは開かれた歴史書を見つめたまま、妙に固まっていた。
面倒だから嫌がっている顔とは違う。
眉間には深い皺が寄り、何かを考え込んでいるようにも見えるのに、その視線は本の文字を追ってはいなかった。伸ばしかけた手も途中で止まり、指先だけがわずかに動いている。
「どうしたの?」
もう一度声をかけると、カインはようやくこちらを見た。
その顔には、本人にも理由が分からないことを聞かれたような困惑が滲んでいた。
「……ごめん」
「え?」
「それは……無理だ」
予想もしなかった返事に、私は目を瞬いた。
「なんで?」
カインは口を開いたものの、しばらく言葉が続かなかった。
何かを答えようとはしている。
それなのに、適切な言葉を探しているというより、そもそも答えること自体を身体のどこかで拒まれているような、不自然な沈黙だった。
やがて彼は苦しそうに視線を逸らした。
「……やりたくねぇ」
「えー? そんなこと言わずにさぁ。私よりカインのほうが絶対読むの速いでしょ?」
いつもの面倒くさがりだと思い、軽く頼み直してみる。
けれどカインは笑いもせず、ゆっくり首を横に振った。
「いや……無理だ」
その反応に、今度は私のほうが戸惑った。
カインは文句を言うことはあっても、私が本気で困っているときには結局手を貸してくれる。まして、歴史書を読んでツガイの始まりを探す程度のことで、ここまで頑なに拒む理由が思いつかない。
「そんなに読みたくないの?」
「そうじゃねぇんだ。でも……」
カインは額へ手を当て、何かを振り払うように目を閉じた。
それ以上の説明は出てこなかった。
何なのよ、と思いながら彼を見ていると、そのとき、静かな書庫の中へ第三者の声が落ちた。
「無理よ……」
聞き慣れない女性の声に、私とカインはほとんど同時に振り返った。少し離れた書棚の陰には、一人の少女が静かに立っている。腰まで伸びた黒髪の向こうから覗く紫の瞳は落ち着いていて、その腕には一冊の本が大切そうに抱えられていた。
「エターナ……様?」




