31.玉遊び
それから、数週間が過ぎた。
ツガイ科で過ごす毎日にも、いつの間にかそれなりのリズムができていた。最初の頃こそ、聞き慣れない専門用語を一つ覚えるたびに別の疑問が増え、授業が終わる頃には頭の中まで疲れ果てていたものの、今では教本を開くだけで身構えるようなこともない。
魔力制御の訓練も続いているし、カインとの魔力供給についても、専任教師の監督のもとで定期的に状態を確認していた。
初めて供給量を測った日は、限界へ近づいた途端に強烈な眠気に襲われ、三限目と四限目を丸々寝て過ごす羽目になった。けれど、それも少しずつ変わってきている。同じくらいの時間、カインへ魔力を流していても、以前のように身体の芯から急激に力が抜けることはなくなっていた。
「――はい。今日はここまでで大丈夫です」
教師の声を合図に、首の後ろへ触れていた温もりが離れた。
カインが左手の甲を私のツガイ紋から離し、軽く指を曲げ伸ばししている。私も持ち上げていた髪を下ろしながら、手のひらで首筋をそっと撫でた。
机の上では、魔力の流れを測っていた魔道具が淡い光を収めていく。その数値を確認していた教師は、記録用紙へいくつか書き込んだあと、満足そうに頷いた。
「ようやく安定してきましたね。覚醒直後と比べると、二人の間を巡る魔力の流れがずいぶん滑らかになっています」
「じゃあ、もうミッケが毎回眠くなる心配はないんですか?」
カインが尋ねると、教師は首を横へ振った。
「限界を超えて供給を続ければ、当然ながら疲労も眠気も出ます。ただ、以前ほど無駄なく魔力が流れるようになったということです。同じ量を循環させても、身体へかかる負担は軽くなっていますよ」
なるほど、と頷いてみたものの、私にはいまひとつ実感がなかった。
手のひらを裏返したり、自分の腕を眺めたりしてみても、見た目には何も変わっていない。カインのように耳や尻尾が現れるわけでもないので、「安定しました」と言われても、何がどう強くなったのかが分かりにくいのだ。
そんな私の様子に気づいたらしく、教師は少し考えてから細い針を一本取り出した。
「では、分かりやすい変化を見てみましょうか。ミケリアさん、少し手をお借りしても?」
「はい?」
言われるまま差し出した指先へ、教師が針の先をそっと押し当てる。
何をするつもりなのか理解した瞬間、反射的に手を引きそうになった。
ところが、痛くない。
確かに針は指へ触れている。それなのに皮膚へ食い込む直前で、目には見えない何かに押し返されるように止まっていた。
「え……?」
私が目を丸くしていると、教師は今度は実習用の小さな刃を手に取った。危険がない程度の力で腕へ当て、そのまま軽く滑らせてみせる。
こちらも、傷一つつかなかった。
「現在のお二人なら、この程度の針で指を刺そうとしたり、生活の中で刃物が軽く当たったりした程度では、簡単に皮膚までは届きません」
「そんなに!?」
思わず大きな声が出た。
私は慌てて自分の腕を撫でたけれど、触り心地は以前とまったく変わらない。硬くなっているわけでもなく、普通に摘めば皮膚は柔らかいままだ。
「身体そのものが丈夫な素材に変化したわけではありませんよ」
教師は私の疑問を察したように笑い、使った刃を元の場所へ片づけた。
「魔力によって、身体の表面にごく薄い防護層が作られていると考えてください。ツガイ主と伴の回路が安定すると、供給された魔力が一方通行で終わらず、主側から伴へ戻る流れも整ってきます」
教師は私とカインの間を指で示しながら説明を続ける。
「ミケリアさんの場合、カイン君から戻ってきた魔力が身体を覆い、外からの小さな傷を防いでいるのです。ツガイ主の魔力には、対となる伴を守ろうとする性質が強く現れますからね」
「カインの魔力が、私を?」
「そうです」
自分の腕を見下ろしながら想像してみる。
目には見えないけれど、私の身体の表面にはカインの魔力が薄くまとわりつき、何かが当たれば勝手に守ってくれているらしい。
なんだか、四六時中カインに取り囲まれているような気がした。
「……なんか嫌」
「なんでだよ!」
すぐ横から抗議が飛んできた。
「だって、あんたの魔力がずーっと私の身体にくっついてるってことでしょ? なんか暑苦しい」
「魔力に暑苦しいも何もねぇだろ!」
心底納得できないという顔でカインが眉を寄せる。
教師は私たちのやり取りにはもうすっかり慣れたらしく、口元に苦笑を浮かべるだけだった。
「便利な力ではありますが、過信はしないでくださいね。あくまでも小さな傷を防ぎやすくなったという程度です。強い攻撃や魔法、大きな衝撃まで何でも防げるわけではありません」
「はーい」
「お前、絶対ちゃんと聞いてねぇだろ」
「聞いてるわよ」
そんなことを言い合っているうちに、校舎へ放課後を告げる鐘の音が響いた。
長かった授業がようやく終わったことに、私は教本を閉じると大きく伸びをする。最近では授業後に頭がぐったりすることも減ったとはいえ、放課後の鐘を聞けばやはりほっとするものだ。
ところが、帰り支度を始めようとしたところで、教室の向こうから軽い足音が近づいてきた。
「ミッケー! あそぼー!」
弾んだ声に振り向くと、ヘルケがこちらへ駆けてきていた。
ここ数週間ですっかり顔を合わせることが増え、以前のような遠慮はもうほとんどない。けれど、今日は一人ではなかった。
ヘルケの小さな手が、もう一人の少年の手をしっかり握っている。
「え? クレノ様も?」
連れてこられたクレノは、私と目が合った途端、気恥ずかしそうに俯いた。
艶のある黒髪が顔へ少しかかり、赤みを帯びた瞳もこちらから逃げるように床へ向けられている。無理やり連れてこられたのかと思ったけれど、ヘルケは嬉しそうに手を握ったままだった。
「クレノね、遊びたいって」
「そっか」
私は頷いてから、自然とカインへ顔を向けた。
その視線だけで意味を察したらしく、カインは露骨に嫌そうな顔をする。
「なんで俺らの周り、ガキばっか集まってくんだよ」
「そんな歳変わらないわよ。クレノは十三歳でしょ?」
「お前の頭とはな」
「どういう意味よ!」
むっとして睨みつけると、少し遅れてこちらへ来たメローネが、口元へ手を添えて楽しそうに笑った。
「ふふふ。相変わらずですね、お二人とも」
「メローネまで笑わないでよ」
不満をこぼしながらも、私はまだ少し遠慮がちに立っているクレノへ視線を戻した。
せっかく自分から遊びたいと言って来てくれたのだから、四人でできるものがいい。何かないかと考えているうちに、ふと子どもの頃の記憶が浮かんだ。
「あ、そうだ。あれやろ?」
思いついた途端、私はカインの袖を引っ張った。
「ねぇ、久しぶりにあれ作って!」
「あ?」
カインは最初、何のことだという顔をした。
そこで私が両手で丸を作ってみせると、少し考えたあとに思い出したらしい。
「……あれか」
「そう、それ!」
私たちだけが分かっている会話に、ヘルケとクレノが揃って顔を見合わせた。
カインは仕方なさそうに息を吐いたものの、拒む気はないらしい。片手を上向きにすると、掌の上へ少量の魔力を集め始めた。
集まった魔力を指先で丁寧に練り合わせていくと、淡い光が少しずつ丸みを帯びていく。
やがて出来上がったのは、手のひらほどの大きさをした、ふわふわと宙に浮く球体だった。
攻撃用の魔力弾とは違い、触れても傷つかないよう柔らかく調整された遊び用の魔力球で、子どもの頃、カインがよく作ってくれたものだ。
ヘルケが興味津々で身を乗り出す。
その隣では、クレノも言葉こそ発しなかったものの、さっきまで伏せていた瞳を上げ、淡く光る球を食い入るように見つめていた。
きらきらと輝くその目が年相応に見えて、私は少し嬉しくなる。
「遊び方は簡単よ。こうやって、指先でトンって触って、次の人に渡していくの」
カインの掌から浮かび上がった球へ、人差し指をそっと当てる。
軽く弾くと、魔力球は綿毛のようにふわりと宙を漂った。
「落としたら負け。あと、強く叩きすぎると割れちゃうから気をつけてね」
説明を聞いたヘルケは、待ちきれない様子で身を乗り出した。
「やる!」
「じゃあいくよ。それっ!」
私が指先で球を送ると、淡い光がヘルケへ向かって飛んでいった。
初めてだからか少し慌てたものの、ヘルケはきちんと球の動きを追い、人差し指を伸ばす。
「わっ……ははっ!」
指先に触れた球がふわりと方向を変えた瞬間、嬉しそうな笑い声が響いた。
今度はクレノのほうへ飛んでいく。
クレノは少し緊張したように身体を固くしたものの、落ちてくる球をじっと見つめ、慎重に指を伸ばした。
とん、と柔らかく触れる。
魔力球は綺麗な弧を描き、今度はカインへ向かった。
「お。上手いじゃねぇか」
カインは余裕を持って受け止めると、次の相手を探すように辺りを見回した。
そして、私と目が合った。
口元が、わずかに意地悪く歪む。
その顔だけで嫌な予感がした。
「ちょっと、カイン。変なことするんじゃ――」
「ほらよ」
言い終える前に、球が急な角度で飛んできた。
「あ! ちょっとー!!」
慌てて身体を伸ばしたものの、指先は僅かに届かない。
球はそのまま床へ落ち、ぱちん、と小さな音を立てて淡い光へ戻った。
私が悔しさに顔をしかめる一方で、カインは満足そうに笑っている。
「はい、ミッケの負けー」
「今のはカインが意地悪だった!」
「落としたほうが負けって言ったのお前だろ」
もっともらしいことを言いながら、カインはすでに次の魔力球を作り始めている。
「子ども相手の遊びで本気出さないでよ!」
「お前にしかやってねぇよ」
それならなおさら腹が立つ。
私が頬を膨らませていると、新しく作られた球が今度は先ほどよりずっと穏やかな軌道で飛んできた。
「ほれっ」
「今度は絶対落とさないからね!」
しっかり指先で受け、そのままヘルケへ返す。
そこからは順番などすぐに曖昧になった。途中からは誰へ送ってもいいことになり、変な方向へ飛べば全員で追いかけ、ぎりぎりで拾えれば歓声が上がる。
最初は控えめだったクレノも、何度か成功するうちに次第に身体を大きく動かすようになり、遠くへ逸れた球を追って駆け出すまでになっていた。
メローネは参加こそしなかったものの、少し離れた席から楽しそうにこちらを眺めている。
気づけば、随分長いこと夢中になっていた。
ようやく休憩することになった頃には、私は肩で息をし、ヘルケも床へ座り込んでいる。カインでさえ額に薄く汗を滲ませており、クレノも頬を赤く染めながら何度も息を整えていた。
けれど、その表情はここへ来たときとはまるで違っていた。
少し乱れた黒髪の奥にある目は明るく、口元にもまだ遊びの余韻らしい笑みが残っている。
壁際へ並んで腰を下ろしたところで、ふと気になったことを尋ねた。
「そういえば、クレノ様は? お迎えはまだなの?」
するとクレノは、一度私を見たあと、少しだけ迷うように俯いた。
「クレノで……いいよ」
「え?」
「様……いらない」
小さな声だったけれど、はっきり聞こえた。
先日ヘルケに同じことを言われたときのことを思い出し、自然と頬が緩む。
「じゃあ、クレノ」
名前だけで呼ぶと、クレノは少し照れたように視線を逸らしたものの、嫌そうではなかった。
「それで、いつも放課後はどうしてるの?」
尋ねると、クレノは膝の上へ両手を置き、まだ息を整えながらゆっくり答えた。
「サクがね……剣術部に入ってるから。いつも……終わるまで、待ってるの」
「そっか」
サク、というのはサクレティアのことだろう。
彼女が部活動を終えるまで、クレノは毎日こうして待っているらしい。
今日まで一人で過ごすことが多かったのだろうか。
そう考えた途端、口が勝手に動いた。
「じゃあ、クレノが寂しくないように毎日遊ぼう!」
「毎日!?」
すぐ横からカインの素っ頓狂な声が飛んできた。
けれど私は無視して、クレノの返事を待った。
クレノは驚いたように目を見開き、それから私、ヘルケ、カインを順番に見た。
しばらく迷ったあと、その頬がほんの少しだけ緩む。
「……うん」
控えめではあったけれど、今まで見た中では一番自然な笑顔だった。
それを見たヘルケも嬉しくなったらしく、すぐ隣から声を弾ませる。
「明日もやろ!」
「やろうやろう!」
私まで勢いよく同意すると、カインが深いため息をついた。
「勝手に俺を数に入れんなよ」
「でも、あの魔力玉作れるのカインだけじゃない」
にやりと笑って見上げると、カインは一瞬言葉に詰まり、盛大に眉を寄せた。
「……最初から俺が必要じゃねぇか」




