30.ごめんなさい。
翌朝。
ツガイ科第一教室へ入った私は、自分の席へ向かう途中で足を止めた。
ちょうど教師が入ってくる少し前だったらしく、教室にはすでに私とカイン以外の十四人が揃っていた。八組それぞれの机では、隣同士で静かに話している者もいれば、朝から教本を広げている者もいる。エターナは相変わらず本に目を落とし、フェリオスは隣のエテシアへ何かを話しかけていた。窓際ではシャルシアが穏やかにダルクと話し、その少し向こうにはメローネとヘルケも並んで座っている。
そして当然、この場にいる全員が、昨日の朝、私がいきなり「ツガイの呪いを解きたい」と宣言した相手でもある。
昨夜から、ずっと考えていた。
メローネに注意されたから謝るのではないし、ツガイを解きたいという考えそのものを引っ込めるつもりもない。私にとって、望んでもいないのに将来を決められていくこの制度が息苦しいことには変わりなかった。
けれど、自分以外のツガイがどんな事情を抱えているのかも知らないまま、私にとっての苦しさだけを基準にして「呪い」と言い切ったことについては、きちんと謝るべきだと思った。
私は一度深く息を吸うと、そのまま教室の中央へ進んだ。
「みんな! ちょっといい!?」
声を張った途端、それまで穏やかに流れていた話し声が止まり、十四人分の視線が一斉にこちらへ向いた。
思っていた以上の注目に、急に胃の辺りがきゅっと縮む。
昨日は勢いだけであれほど大きなことを言えたくせに、今日は謝るだけで妙に緊張するのだから、自分でも勝手なものだと思う。
すぐ後ろでは、カインが何を始める気だと言いたげな顔でこちらを見ていたけれど、ここまで来て黙って席へ戻るほうがよほど恥ずかしい。
「昨日の自己紹介のことなんだけど……ごめんなさい!」
私は勢いよく頭を下げた。
教室の空気が静まる。
「私、自分のことしか考えないで『ツガイの呪いを解きたい』なんて言っちゃった。みんながどういう事情でここにいるのかも、ツガイのことをどう思ってるのかも知らないのに……すごく無神経だったと思う」
言葉にしながら、昨日のヘルケの涙を思い出した。
私にとっては、覚醒してからというもの、それまで通っていた校舎を離され、両親の生活まで変わり、知らないところで婚約まで決められた。周囲からすれば守るために必要なことだったのかもしれないけれど、私には自分の人生を勝手に動かされているようにしか思えなかった。
だから、ツガイという仕組みそのものを壊したいと思った。
けれど、ヘルケにとっては違った。
彼は「ツガイを解く」という言葉を、メローネと引き離されることだと受け取った。あんなに小さな子が泣くほど怖がるとは、昨日の朝の私は考えもしなかった。
きっと、この教室にいるほかの人たちにも、私の知らない事情がある。
「ツガイを解く方法を探したいっていう気持ちは、今も変わってない。でも、それをみんなにも押しつけるみたいな言い方をしたのは悪かったです。本当に、ごめんなさい」
もう一度、今度は先ほどよりゆっくり頭を下げた。
すぐに返事は返ってこなかった。
けれど、その沈黙を嫌なものだとは思わなかった。謝ったからといって、その場で全員が笑って許してくれる必要はないし、私だってそこまで都合のいいことを望んではいない。
頭を上げると、こちらを見たまま黙っている者もいれば、少し考え込むような顔をしている者もいた。フェリオスなどは腕を組んだまま、まだどこか納得していないように見える。
やがて、その沈黙を破ったのはシャルシアだった。
「うちはえぇよー、別に」
窓際の席から届いたのんびりとした声に顔を向けると、シャルシアは眼鏡の奥の瞳を柔らかく細めていた。
「まぁ、なかには許せん人もおるやろけどねぇ。みんな、それぞれいろんな境遇があるし」
彼女はそこで隣のダルクへ一度だけ視線を向けた。
ほんの短い仕草だったけれど、そこにもきっと、私の知らない何かがあるのだろう。
「でも、それ言うたら、うちらかてミケリアちゃんがどんな思いしてきたんか、よー理解しとらんもんねぇ。自分が嫌やったことを嫌やって言うところまで、悪いことやとは思わへんよ」
「シャルシア様……」
思わずそう呼ぶと、彼女は小さく笑った。
「シャルシアでえぇって」
柔らかな調子で訂正され、張りつめていた肩から少し力が抜ける。
全員が同じように思っているわけではないだろうし、私自身、それでいいと思った。
一度謝っただけで、昨日知り合ったばかりの人たちと何もかも分かり合えるはずがない。むしろ、これから同じ教室で過ごしながら、一人ずつ知っていけばいい。
そんなことを考えていると、廊下の向こうから靴音が近づいてきた。
ほどなくして教室の扉が開き、担当教師が入ってくる。教室の中央に立ったままの私を見て一瞬だけ不思議そうな顔をしたものの、事情を聞くことはせず、そのまま教卓へ向かった。
私も慌ててカインの隣へ戻る。
全員が席についたところで、教師は教室を見渡し、ぱんぱんと二度手を叩いた。
「それでは皆さん、朝の連絡を始めます。まずは今日の予定から確認していきますね」
その声を合図に、教室の空気はいつもの授業前へ戻っていった。
私も教本を取り出そうと鞄へ手を伸ばしたところで、隣からカインが顔を寄せてくる。
「お前さぁ……次からああいうことするなら、一回俺に相談してからやれよ」
教師に聞こえないよう声を落としているものの、その顔にはまだ少し居心地の悪さが残っていた。
「なんで?」
「朝っぱらからこっぱずかしいだろうが。お前が真ん中で頭下げてるせいで、俺まで一緒に見られんだよ」
確かに、私はカインのツガイ伴なのだから、私だけの問題とは受け取られにくいのかもしれない。
それでも、昨日気づいたことを何も言わずに済ませるよりは、ずっとよかったと思う。
「いいじゃない。ちゃんと謝れたんだから」
「開き直るな」
さらに言い返そうとしたところで、教卓から教師の視線が飛んできた。
私とカインはほとんど同時に口を閉じ、何事もなかったように前を向いた。
◇
午前中の授業を終え、昼休みになる頃には、朝の緊張もすっかり抜けていた。
というより、緊張を維持していられないほど疲れていた。
食堂へ着いた私は空いている席を見つけるなり腰を下ろし、そのままテーブルへ上半身を預けた。
「う゛あ゛ー……疲れた……」
喉の奥から漏れた自分の声が、我ながら十六歳の少女のものとは思えない。
向かいへ座ったカインも同じことを思ったらしく、心底嫌そうに眉を寄せた。
「……酒場のおっさんかよ」
「だってぇ……朝から謝罪して、授業受けて、魔力の訓練までして……疲れたものは疲れたのよ」
頬をテーブルへつけたまま答えると、カインは「行儀悪ぃぞ」と呆れながらも、それ以上は何も言わなかった。
そろそろ料理を取りに行かなければと思い、重たい身体を起こしかけたところで、こちらへ近づいてくる小さな足音が聞こえた。
顔を向けると、少し離れたところにヘルケが立っている。
昨日のような幽霊姿ではなく、今日はきちんと制服を着ていた。けれど、その表情はひどく緊張していて、胸の前で重ねた両手を落ち着かなさそうに何度も動かしている。
「あの……」
私と目が合うと、ヘルケは一度俯いた。
そのすぐ後ろにはメローネが立っていたけれど、何も促さず、ただ静かに見守っている。
やがてヘルケは小さく息を吸い、意を決したように顔を上げた。
「昨日は……ごめ……ごめんなさい」
途中でつかえながらも、どうにか最後まで言い切った。
その途端、後ろにいたメローネの表情がふっと和らぐ。
彼女はヘルケの隣へしゃがみ込むと、銀灰色の髪へそっと手を置いた。
「よくできましたね」
優しく頭を撫でられ、ヘルケはほんの少しだけ安心したように目を細めた。
昨日、泣き疲れてメローネの膝の上で眠ってしまった姿を思い出す。
あんなに不安そうだったこの子が、自分から謝りに来てくれたのだ。それだけで、責める気など最初から起こるはずもなかった。
「ううん。私のほうこそ、ごめんね」
私は椅子へ座り直し、なるべくヘルケと目線が近くなるように身体を少し前へ傾けた。
「私が何も考えないで、あんなこと言ったからだよね。ヘルケ様が、メローネと離れちゃうんじゃないかって不安になることまで考えてなかった。怖がらせてごめんね」
ヘルケはすぐには答えず、どうすればいいのか確かめるようにメローネを見上げた。
メローネは代わりに答えることなく、ただ安心させるように微笑んでいる。
それを見てから、ヘルケは私へ向き直り、小さく頷いた。
けれど、そのまま立ち去る気はないらしい。
何か言いたそうに唇を動かし、しばらく迷った末に、ようやく小さな声を出した。
「……僕のことも」
「ん?」
「ヘルケって……呼んでいいよ」
思ってもいなかった言葉に、私は少し目を丸くした。
昨日までずっと「ヘルケ様」と呼んでいた私にとって、それは彼なりに差し出してくれた仲直りの印なのだと、すぐに分かった。
「いいの?」
尋ねると、ヘルケは今度は先ほどよりもしっかりと頷いた。
「……うん」
その隣では、メローネも嬉しそうに微笑んでいる。
「じゃあ、ヘルケ。改めてよろしくね。私のことはミッケでいいよ」
そう言うと、ヘルケは一度だけ私の顔をじっと見た。
愛称で呼んでいいのか確かめるような視線だったけれど、やがてほんの少しだけ口元を緩める。
「……よろしく、ミッケ」
それだけのやり取りなのに、不思議と昨日までより距離が縮まった気がした。
竹槍を持った子どもたちを集めて私を追い回した張本人だと思えば随分なことをされたはずなのに、こうして目の前で緊張しながら謝っている姿を見ると、本当にただの八歳の少年なのだと改めて思う。
そこで、黙って様子を見ていたカインが、少し気まずくなった空気を払うように口を開いた。
「せっかくだし、一緒に飯でも食うか?」
ヘルケは驚いたようにカインを見たあと、私、それからメローネへと順番に視線を向けた。
メローネが小さく頷く。
それを確認してから、ヘルケもこくりと頷き返した。
「……食べる」
「じゃあ座れよ」
カインが向かい側の椅子を引いてやると、ヘルケは少し遠慮するような様子を見せながらも、素直にそこへ腰を下ろした。
メローネも隣へ座り、昨日に続いて四人で同じテーブルを囲むことになる。
もっと気まずい昼食になるかと思っていたけれど、料理が運ばれてくる頃には、朝から胸の奥に残っていたわだかまりも随分と薄くなっていた。
ヘルケは食事を前にすると、先ほどまでの緊張が嘘のように皿へ集中し始めた。メローネはそんな彼の様子を楽しそうに眺め、口元にソースがつけば布巾でそっと拭ってやっている。
「ヘルケ、野菜も食べましょうね」
メローネが皿の隅へ追いやられた野菜を見つけると、ヘルケは露骨に視線を逸らした。
「……あとで」
小さな返事に、メローネは叱るでもなく、困ったように微笑んだ。
「昨日もそう言って残したでしょう?」
優しい声なのに逃げ道はないらしい。
ヘルケはしばらく野菜と睨み合った末、観念したように肩を落とした。
「今日は……食べる」
そう約束したものの、今すぐ食べるつもりまではないらしく、さらに皿の隅へ寄せている。
その様子がおかしくて、カインが吹き出し、私もつられて笑った。
昨日は、この子に竹槍で襲われた。
その前には、私の不用意な一言で泣かせてしまった。
それなのに今日は、お互いに謝り、名前の呼び方まで変わって、こうして同じテーブルで昼食を食べている。
考え方が違うからといって、すぐに敵になるわけではない。一度相手を傷つけてしまったからといって、その先ずっと分かり合えないとも限らないのだろう。
私は笑いながら食事を続ける三人を眺め、それから自分の皿へフォークを伸ばした。
ツガイという仕組みそのものについては、まだ分からないことばかりだ。
けれど、この教室にいる人たちのことなら、これから少しずつ知っていけばいい。
誰がどんな思いでツガイと向き合い、何を大切にしているのかを知ったうえで、それでも自分がどうしたいのかを考えればいいのだ。
少なくとも昨日よりは、そう思えるようになっていた。




