29.奇襲
放課後。
ツガイ科で過ごした初日は、想像していた以上に濃い一日だった。午前中には限界近くまで魔力を供給したせいで授業中に眠り込み、昼休みにはメローネからツガイ伴の転生について聞かされ、その後も慣れない授業が続いたせいで、アカデミーの門を出る頃には朝よりずっと身体が重く感じられた。
頭の中には今日一日で詰め込まれた知識がまだ整理されないまま残っていて、今はもう何も考えたくない。門の向こうには朝と同じようにグレゴリー家の馬車が待っており、私はあそこまで辿り着けばようやく帰れると、少しだけ歩調を速めた。
そのときだった。
「敵がきたぞー!」
どこからともなく、子どものものらしい甲高い声が響いた。
「……敵?」
聞き間違いかと思って足を止めると、隣を歩いていたカインも怪訝そうに眉を寄せた。
次の瞬間、道沿いの植え込みや塀の陰から、小さな人影が次々と飛び出してくる。
「やー!!」
「とつげきー!」
「倒せー!」
「え、えぇ!?」
現れたのは、年齢も背丈もばらばらな子どもたちだった。擦り切れた上着に継ぎはぎだらけのズボンを身につけ、靴すら履いていない子も混じっている。見るからに裕福な家の子どもたちではなかったが、そんなことを考えている余裕はなかった。
全員が、細い竹の先端を削って作った槍を抱えていたからだ。
しかも、その切っ先は揃って私へ向いている。
「やー!!」
「ちょ、ちょっと待って!」
子どもの遊びだと笑う暇もなく、何本もの竹槍が一斉にこちらへ突き出された。
反射的に後ろへ逃げようとした瞬間、それより早くカインの腕が私の背中と膝裏へ回り、身体がふわりと地面から持ち上がる。
「わっ!」
何をされたのか理解するより先に、カインは私を横抱きにしたまま強く地面を蹴った。
視界が一気に高くなり、私は慌ててその首へしがみつく。
「うわぁぁっ!?」
直後、ほんの一瞬前まで私が立っていた場所へ、何本もの竹槍が勢いよく突き込まれた。標的が突然頭上へ消えたせいで子どもたちは止まりきれず、互いの肩や背中へぶつかりながら、そのまま地面へ折り重なっていく。
「うわっ!」
「いたぁ!」
「押すなよぉ!」
そんな声が足元から聞こえる中、カインは私を抱えたまま軽々と着地した。腕の中の私に怪我がないことを確かめるように一度視線を落としたあと、地面へ転がっている子どもたちへ顔を向けると、途端に眉間へ深い皺が寄る。
「なんだお前ら! 危ねぇだろ!」
突然怒鳴られた子どもたちは、転がったまま驚いたようにカインを見上げた。
けれど、怒っているのは公爵家の嫡男としてではなく、単純に危ない遊びを見つけた年長者としてらしい。
「竹だからって舐めんなよ。先を尖らせたら、ちゃんと人を殺せるんだぞ! 遊びで人に向けるもんじゃねぇ!」
私も初めて知ったけれど、言われてみれば当然である。先ほどの勢いで目や喉にでも刺さっていたら、冗談では済まなかっただろう。
ところが、肝心の子どもたちはというと、反省するどころか互いに顔を見合わせている。
やがて一人が、地面へ転がっていた竹槍を拾い上げた。
「もういっかい!」
「やー!!」
「聞けよ!!」
今度は態勢を立て直し、再びこちらへ突進してくる。
さすがのカインも言葉を失ったらしく、私を抱えたまま盛大なため息をついた。
「なんなんだ、まったく……」
そう呟きながらも、私を地面へ下ろす気はないらしい。むしろ抱え直すように腕へ力を入れ、そのまま馬車のほうへ身体を向けた。
「馬車まで走るぞ」
「走るって、私このまま!?」
「今下ろしたら、またお前に突っ込んでくるだろ」
背後からは、すでに「待てー!」という声と複数の足音が迫っている。
確かに、今ここで下ろしてもらったところで、また私だけ竹槍の標的にされるだけだ。
「しっかり掴まってろ」
「もう掴まってるわよ!」
返事を待たず、カインは駆け出した。
私一人を抱えているとは思えない速度で景色が流れ、制服の裾が風に煽られる。背後では竹槍を抱えた子どもたちが懸命に追ってきていたものの、妖力を使っていない今のカインにさえ、当然ながら追いつけるはずもない。
それにしても、どうしてこんなことになったのだろう。
私はただ授業を終えて帰ろうとしていただけなのに、なぜ公爵家の嫡男にお姫様抱っこされたまま、竹槍を持った子どもたちから逃走しているのか。
遠ざかっていく声を聞きながら混乱しているうちに、ようやくグレゴリー家の馬車が見えてきた。
「よし、着いた――」
カインの声に安堵したのも束の間、その足が急に止まった。
「ん?」
腕の中から前方を覗き込んだ私は、そこで固まった。
馬車の前に、何かが浮いている。
最初に目へ入ったのは、人間の頭だった。
青白い顔をした生首が地面から離れた位置に浮かび、その下では足のない白い布が、風もないのにゆらゆらと揺れている。身体らしいものは見当たらず、不気味な姿だけが馬車へ続く道を塞ぐように漂っていた。
「ここは……通さんぞ……」
地の底から響いてくるような低い声に、全身が一瞬で強張った。
昼休みにゴーストの話を聞いたばかりとはいえ、実物らしきものに待ち伏せされる心構えまではできていない。
「ひぃぃぃぃっ!」
私は反射的にカインの首へ強くしがみついた。
「でたぁぁぁぁ!!」
「うるせぇ! 耳元で叫ぶな!」
カインが顔をしかめる一方で、目の前の生首は私の反応が気に入ったのか、どこか満足そうにふわふわと揺れている。
どう見ても幽霊だった。
この国には本当にゴーストの末裔がいるのだから、幽霊くらい存在していても不思議ではないのかもしれない。それでも、だから怖くないという話にはならない。
「カ、カイン! これ倒せる!?」
「いや、ちょっと待て。これ――」
怯える私とは違い、カインは何かに気づいたように目を細めた。
そのとき、背後から聞き覚えのある女性の声が鋭く飛んできた。
「ヘルケ!!」
目の前の幽霊が、びくりと大きく震えた。
「……え?」
私は悲鳴を止め、恐る恐る声のした方向へ顔を向けた。
そこには、昼休みに別れたばかりのメローネが立っていた。いつもの柔らかな表情ではあるものの、眉だけはわずかに寄せられている。
彼女は腰へ片手を添えると、馬車の前に浮かぶ生首をまっすぐ見つめた。
「昼休みにいないと思ったら、こんなことをしていたのね。駄目じゃない」
叱られた幽霊は、何の反論もしなかった。
代わりに、青白い生首が分かりやすいほどしゅんと俯く。
「……ヘルケ様?」
恐る恐る名前を呼ぶと、生首がちらりとこちらを向いた。
改めて見れば、青白く化けているせいで気づかなかっただけで、その顔立ちは確かに今朝会った八歳のヘルケである。
昼休みにメローネが言っていた。
いざとなればゴーストになればいい、と。
「ちょっと待って。じゃあ、これ全部――」
その先を口にするより早く、背後から再び騒がしい足音が近づいてきた。
「いたぞー!」
「今度こそー!」
「やー!!」
振り返ると、先ほど置き去りにしたはずの子どもたちが、息を切らしながら追いついてきていた。
誰一人として諦めていない。
竹槍を両手で構え、勢いのままこちらへ向かってくる。
そして、その進路上にはメローネが立っていた。
「あっ! 危ない!!」
思わず声を上げた瞬間、馬車の前を漂っていた生首と白布が大きく揺れた。
「メローネ!」
それまで無理に作っていた低い幽霊声ではなく、八歳の少年らしい声が響く。
直後、白い布の下からヘルケの小さな身体が現れた。霊体化を解いたらしく、地面へ降り立つと同時に、突進してくる子どもたちではなくメローネのほうへ手を伸ばす。
「避けて!」
けれど、当のメローネは動かなかった。
慌てる様子すらなく、その場に立ったまま迫ってくる竹槍を見つめている。
「メローネ様!」
私まで叫んだ、その直後。
何本もの竹槍が、勢いよく彼女の身体へ突き込まれた。
――ように見えた。
けれど、手応えはなかったらしい。
竹槍の切っ先が、メローネの身体をそのまますり抜けていく。
勢いを止められなかった子どもたちまで次々と彼女の身体を通り抜け、そのまま前へつんのめった。
よく見れば、メローネの輪郭は淡く透けていた。
確かにそこへ立っているのに、身体だけが存在しないかのように半透明になっている。
「うわぁ!」
「いたっ!」
「また転んだぁ!」
支えを失った子どもたちは、先ほどと同じように地面へ折り重なった。
その真ん中で、完全に霊体化したメローネだけが何事もなかったように立っている。
「あらあら……」
頬へ片手を添え、困ったように子どもたちを見下ろす姿には、危機感など欠片もなかった。
一方のヘルケは、彼女の身体を竹槍がすり抜けたのを確認した途端、あからさまに肩の力を抜いている。
私はといえば、未だカインの腕の中だった。
竹槍を持って私を追い回す、貧しい身なりの子どもたち。
馬車の前で生首になり、私たちを待ち伏せしていたヘルケ。
そのヘルケを叱りに現れ、今度は自分まで幽霊になって竹槍をすり抜けたメローネ。
目の前で起きたことを順番に並べてみても、事情だけがまるで見えてこない。
私はしばらく呆然とその光景を眺めたあと、ようやく一言だけ絞り出した。
「な、なにが起こってるの?」




