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アートランティス王国の奇跡の年  作者: 無月公主


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28/42

28.そこに全振りしたのか

意味を理解できないまま聞き返した私に、メローネはすぐには答えなかった。


 それまで柔らかな笑みを浮かべていた彼女は、ほんの一瞬だけ視線を伏せると、制服の内側へ手を入れた。取り出したのは、一枚の古い写し絵だった。年月を経ていることは色合いから分かるのに、折れや傷みはほとんどなく、ずっと大切に保管されてきたことが見て取れる。


 メローネはそれを壊れ物でも扱うようにそっとテーブルへ置くと、私とカインから見えるように向きを変えた。


「これが証拠よ」


 促されるまま写し絵を覗き込み、私は眉を寄せた。


 そこに写っているのは、今よりずっと幼いメローネだった。まだ少女というより子どもと呼ぶほうが似合う年頃で、その隣には同じくらい幼い男の子が並んでいる。


 初めは、何がおかしいのか分からなかった。


 けれど少年の顔をよく見た瞬間、見覚えのある目元や輪郭に気づく。


「……ヘルケ様?」


「そう見えるでしょう?」


 メローネは穏やかに微笑んだものの、写し絵の上へ伸びた指先は、少年に触れる寸前で静かに止まった。


「でも、この子は今のヘルケではないの」


 その言い方に、胸の奥へ嫌な予感が落ちた。


 私は写し絵とメローネの顔を交互に見た。隣にいるカインも何かを察したらしく、先ほどまで動かしていた食事の手を止め、黙って彼女を見ている。


 メローネは小さく息を整えてから、どこか遠い出来事を語るような静かな声で続けた。


「今のヘルケは……私からすれば、二代目なの。最初のヘルケは、暗殺されたわ」


 言葉の意味が胸へ落ちた途端、息が詰まった。


 私は反射的に口元を押さえた。目の前にはまだ食べかけの料理が並び、焼いた肉や香草の匂いも漂っているはずなのに、それまで感じていたものが急にすべて遠のいたような気がする。


「暗殺……」


 どうにか絞り出した自分の声さえ、ひどく遠く聞こえた。


 つい先日、私も同じように命を狙われたばかりだった。あのときはカインが駆けつけ、私を背後へ庇ったまま何度も鞭を受けてくれたから、こうして今も食堂で昼食を取っていられる。


 もし、あの日カインが間に合っていなかったら。


 そこまで考えた途端、背筋を冷たいものが這い上がった。


 顔色が変わったことに気づいたのだろう。すぐ隣から腕が伸びてきて、カインが私の肩を引き寄せた。


「俺がついてる」


 耳元へ落ちた低い声には、冗談も照れもなかった。


 普段なら「近い」と押し返していたかもしれない。けれど今は、肩を包む腕の重みが妙に心強く感じられ、私は何も言わず、そのままカインに身体を預けた。


 そんな私たちを見たメローネは、少し困ったように眉を下げた。


「そんなに怖い顔をしないで、カイン様。ミッケを脅かしたくて話しているわけではないのよ。むしろ、ツガイを解くために自分が死ねばいい、なんて考えないように、先に知っておいてもらおうと思っただけなの」


 カインはすぐには答えず、写し絵とメローネを見比べていた。やがて、私の肩へ置いた腕はそのままに、小さく息を吐く。


「まぁ……そう、だな」


 納得しきっているようには見えなかったけれど、少なくとも彼女に悪意がないことは理解したらしい。


 メローネはそれを確認すると、再び写し絵へ目を落とした。


「ツガイ伴はね、同じ名前で、同じ顔をして生まれてくるの」


 私はもう一度、写し絵の少年を見つめた。


 似ている、という程度ではない。


 髪の長さや表情に違いはあっても、朝に会った八歳のヘルケと同じ顔だった。同一人物を違う時期に写したものだと言われたなら、疑いもしなかっただろう。


「どうしてだと思う?」


 メローネに問われても、答えなど浮かばない。


「……分かりません」


「ツガイ主に、もう一度見つけてもらうためよ」


 彼女は、それがごく当たり前のことでもあるかのように告げた。


 けれど、私には簡単に飲み込めなかった。


「で、でも……」


 無意識に自分の頬へ手を当てる。


「私、お父さんとお母さんにちゃんと似てますよ。お母さんに似てるって言われるところもあるし、お父さんに似てるところだってある。それなのに、前と同じ顔で生まれてくるって……どういうことなんですか?」


「そうね。私も、そこは何度も考えたわ」


 メローネは私の疑問を否定することなく、少し考え込むように視線を伏せた。


「だから私は、転生する側が『選んだ』ということになるのかしら、と思っているの」


「選んだ?」


「どの家に生まれれば、前と同じ顔になれるのか。どの両親のもとなら、もう一度ツガイ主に見つけてもらえる姿で生まれられるのか……魂がどこかで、それを選んでいるのかもしれないわ」


 そこまで言ったところで、メローネは私が驚いた顔をしていることに気づいたらしく、すぐに補足した。


「もちろん、これは私の考えよ。転生がどういう仕組みで起きているのか、私が知っているわけではないの。ただ、今のヘルケを見つけてから、そう考えるようになっただけ」


 その言葉に、私はほんの少しだけ肩の力を抜いた。


 けれど、目の前の写し絵まで消えてくれるわけではない。


 一度死んだツガイ伴が、同じ名前と同じ顔で再び生まれ、今はまたメローネの隣にいる。その出来事そのものは、彼女の推測とは別に、実際に起きたことなのだ。


 私が写し絵から目を離せずにいると、メローネは少しだけ空気を和らげるように微笑んだ。


「だって、考えてみて? ゴーストの血を引いている私だって、ちゃんと赤ちゃんを産めるのよ。それだって、よく考えれば随分不思議なことでしょう? そんな世界なのだから、転生があったとしてもおかしくないと思わない?」


「うーーーん……」


 腕を組んで考え込む。


 そう言われてしまうと、妙な説得力があった。


 人間には存在しない耳や尻尾を妖力で生やす者がいて、身体を半透明にできる人がいて、竜人族や妖狐、神の末裔まで普通に同じ国で暮らしている。私自身、つい最近まで使えないと思っていた魔法を突然使えるようになったばかりだ。


 そんな世界で、転生だけを「そんなものあるわけがない」と切り捨てるほうが難しい気もする。


「……確かに」


 渋々ながら頷くと、メローネは少しだけ笑った。


 けれど、その笑みはすぐに薄れた。


「ツガイ伴は、そこに全部を振ってしまうのかもしれないわね」


 今度の言葉には、先ほどまでとは違う響きがあった。


 私は顔を上げたが、メローネの視線は私ではなく、写し絵の中の幼い少年へ向けられている。


「前と同じ顔で、前と同じ名前で、もう一度ツガイ主に見つけてもらう。そのためなら……たとえ、あまり恵まれていない両親のもとに生まれることになっても、そこを選んでしまうのかもしれない」


 柔らかな声なのに、その言葉だけは妙に重く胸へ残った。


「ヘルケが、そうだから……なんとなく、そう思うだけなのだけれどね」


 メローネはそこで話を切り、写し絵を静かに手元へ引き寄せた。


 私は何も聞けなかった。


 今のヘルケがどこで生まれ、どんな両親のもとで育ったのか。最初のヘルケを失ってから、メローネがどれほどの時間を過ごしたのか。どうやって二代目のヘルケを見つけたのか。


 聞きたいことはいくらでも浮かんだ。


 それでも、写し絵を見つめる彼女の横顔には、今はまだ踏み込んではいけない何かがあるように思えた。


 ただ、私にも一つだけ分かったことがある。


 ツガイ伴が死ねば、それですべてが終わるわけではない。


 少なくともメローネは、一度ツガイ伴を失い、それでも同じ顔と同じ名前を持つ新しいヘルケと出会っている。


 死ねばツガイから逃れられる――そんな単純な仕組みではないらしい。


     ◇


 昼休みが終わる頃、私とカインはメローネと別れ、午後の授業を受けるため教室へ戻る廊下を歩いていた。


 大きな窓から差し込む春の日差しが磨かれた床を明るく照らし、食堂から戻ってきた生徒たちが前後を行き交っている。昼休みらしい賑やかな話し声に包まれているというのに、私の頭の中には、先ほど見せられた古い写し絵がいつまでも張りついていた。


「……なんか、食べた気がしない」


 考え込んだまま呟くと、隣を歩いていたカインが呆れたようにこちらを見た。


「ステーキ一枚きっちり平らげといて、それ言うか?」


「だってぇ……あんな話聞いちゃったら、途中から味なんてよく分かんなかったのよ」


 私が情けない声で返すと、カインは思い出すように眉を上げた。


「味分かんなかったわりには、付け合わせまで綺麗に食ってたけどな」


「残すのはもったいないでしょ」


 そこだけは譲れないので言い返したものの、いつものような勢いは自分でも出せなかった。


 同じ顔で、同じ名前で、もう一度生まれてくる。


 しかも、死んだところでツガイそのものから逃れられるとは限らない。


 私自身、死んでどうにかしようなどと考えていたわけではない。それでも、ツガイを解く方法を探すと決めたばかりなのに、その仕組みが思っていたより遥かに深く、どこまで続いているのか分からないものだと知れば、気が重くなるのも当然だった。


 黙り込んだ私に気づいたのか、カインはそれ以上からかってこなかった。


 しばらく並んで歩いたあと、普段なら私より少し速い彼の歩幅が、いつの間にかこちらに合わせるように緩くなる。


「……考えすぎんなよ」


「無理よ」


 私は前を向いたまま答えた。


「今日だけで、知らないこと増えすぎなんだもの」


 ツガイ科へ来れば、何かが分かるとは思っていた。


 分からなかったことを一つずつ知っていけば、そのぶん答えに近づけるのだと。


 けれど実際には、一つ知るたびにその奥から新しい疑問が出てくる。魔力の循環を知ったと思えば、ツガイ伴にも主の力が僅かに現れることを知り、今度は死んだ伴が再び生まれてくるという話まで聞かされた。


 私は自分でも気づかないうちに息を吐き、窓の外へ視線を向けた。


 春の空は、さっき食堂へ向かったときと何も変わらず穏やかだった。


 それなのに、ほんの一度の昼食を挟んだだけで、私が知っている世界のほうが少し変わってしまったような気がする。


 どうやらツガイというものは、死ねば終わる程度の、単純な仕組みではないらしい。

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