27.ツガイ伴は巡る
二限目の実習で限界近くまで魔力を供給したせいか、その後も眠気はなかなか抜けなかった。
三限目が始まる頃には、教本を開いても文字の列が滲んで見え、同じ行を何度も目で追っている有様だったらしい。何度目かの欠伸を噛み殺したところで専任の教師に「今日は無理をしないほうがいいでしょう」と止められ、結局、三限目と四限目は授業を免除されることになった。
ツガイ科には、妖力の訓練や魔力供給のあとに体調を崩した生徒を休ませるため、防音魔法の施された個人用の小部屋がいくつも用意されている。中は寝台と小さな机が置かれているだけの簡素な造りだったけれど、扉を閉めてしまえば外の授業の声もほとんど聞こえず、休息を取るには十分だった。
私は寝台へ横になったところまでは覚えている。
その先の記憶はない。
次に目を覚ましたときには四限目まで終わっており、ちょうど昼休みを知らせる鐘が校舎へ響き始めたところだった。二限目の直後には鉛でも詰め込まれたように重かった身体も、二時間近く眠ったおかげで随分と軽くなっている。
そして現在、私はツガイ科校舎の食堂で、昼食として出された分厚いステーキにナイフを入れていた。
「寝起きにステーキなんぞ、よく食えるなぁ。さすがミッケ」
向かいに座るカインが、半ば感心したような、半ば呆れたような顔をしてこちらを見ている。
「うるさいわねぇ……。あれだけ寝たらお腹も空くのよ」
私は睨み返しながら、切り分けた肉を口へ運んだ。
通常校舎の食堂も学生向けとは思えないほど立派だったけれど、こちらは利用者の大半が高位貴族とそのツガイ伴という事情もあって、出される料理がさらに一段豪華だった。肉料理は焼き加減まで選べるうえ、香草を添えた温野菜、焼きたてのパン、澄んだスープまで揃っている。
下手をすれば、貴族家の晩餐に出てもおかしくない。
そんなものを目の前にして、「寝起きなので食べられません」などと言うほうがもったいなかった。
「それに、魔力使ったんだから、ちゃんと栄養取らなきゃ駄目でしょ」
「だからってステーキ一枚平らげる必要あるか?」
「まだ半分しか食べてないわよ」
「食い切る気なのかよ……」
カインが心底呆れたように自分の皿へ視線を戻した、そのときだった。
「相席……よろしいかしら?」
控えめな声に顔を上げると、淡い銀灰色の髪を肩の辺りで揃えた少女が、昼食の載った盆を両手に持って立っていた。
「あ、メローネ様! どうぞ!」
私は反射的に背筋を伸ばし、空いている席を示した。
するとメローネは、そんな私の反応が可笑しかったのか、茶色の瞳を柔らかく細めた。
「そんなに畏まらなくても大丈夫よ。これから同じ教室で過ごすのですもの。メローネ、と呼んでちょうだい」
「でも、伯爵家の方ですし……」
「あら。あなたは公爵家の嫡男の婚約者でしょう?」
「それ、勝手に決められたやつなので、まだ全然慣れてなくて……」
思わず本音がこぼれると、メローネは一瞬だけ目を丸くし、すぐに口元へ手を添えて小さく笑った。
「ふふ。朝の自己紹介を聞いていれば、なんとなく分かるわ」
「ですよね……」
教室中を凍りつかせる勢いで「ツガイの呪いを解きたい」と宣言したばかりなのだ。どう考えても、婚約を喜んでいる女には見えなかっただろう。
メローネは私たちの向かいへ腰を下ろし、盆を静かに置いたあと、少し考えるように私の顔を見つめた。
「それなら私も、ミケリアさんではなくて……ミッケ、と呼んでみてもいいかしら?」
「もちろんです。昔からみんなそう呼びますし」
「では、ミッケね」
呼び慣れない愛称を確かめるように一度口にしてから、メローネは嬉しそうに微笑んだ。
朝の自己紹介でも親しみやすそうな人だと思ったけれど、実際にこうして話してみても印象は変わらない。高位貴族特有の近寄りがたさがほとんどなく、平民出身の私に対しても妙な壁を作ろうとはしなかった。
そこでふと、朝から彼女の隣に座っていた小さな少年がいないことに気づく。
「そういえば、ヘルケ様は?」
「あの子なら、別の用事があるって言って出ていったわ」
「一人で?」
「護衛も連れて行くように言ったのだけれど、途中で撒いて遊びに行ってしまったみたい」
「えぇ!?」
思わず、肉を切ろうとしていた手が止まった。
ヘルケは八歳だ。
しかもここは、ツガイ伴が狙われる危険があるからと何重もの結界や警備を施している校舎である。つい先日、自分自身が襲撃されたばかりの私には、とても笑い話には思えなかった。
「大丈夫なんですか? もし襲われたりしたら……」
心配になって尋ねると、メローネは慌てる様子もなく、スープを一口飲んでから穏やかに笑った。
「ふふ。いざとなったら、ゴーストになればいいもの」
「……え?」
今度は別の意味で、手が止まった。
「ヘルケ様が?」
「ええ。私ほど長くは保てないけれど、身体の一部を霊体に近づける程度ならできるわ」
さらりと言われた内容が、すぐには頭へ入ってこなかった。
私はナイフとフォークを置くと、思わずテーブルへ身を乗り出した。
「ちょっと待ってください。ツガイ主の先祖返りって、ツガイ伴も使えるんですか?」
「少しだけ、ね」
メローネは親指と人差し指の間に、ごく小さな隙間を作ってみせた。
「もちろん、主とまったく同じように使えるわけではないわ。主から巡ってきた妖力と伴の身体との相性がよければ、始祖の性質がほんの僅かに現れることがあるの。どこまでできるのかは、その人によって随分違うみたいだけれど」
そんな話は午前中の授業ではまだ習っていなかった。
それなら私にも何かあるのではないか。
そう思った瞬間、眠気も忘れて隣へ顔を向ける。
「カイン!」
勢いよく呼ばれたカインは、手にしていたパンを止めることもなく、嫌そうに眉を寄せた。
「嫌な予感しかしねぇ」
「私は!? 私も何か使える?」
期待を隠さず尋ねると、カインはしばらく私の顔を見つめ、それから答えに困ったように首を傾げた。
「あー……こればっかりは分からねぇな。もしグレゴリー家の性質が出るとしたら、鼻が利くようになるとか、遠くの音までよく聞こえるようになるとか、その辺じゃねぇか?」
「えぇ……」
思わず肩を落とした。
地味だ。
あまりにも地味である。
カインの先祖返りを初めて見たときのように、ものすごい力が出たり、格好いい何かが現れたりするのを想像していたのに。
「じゃあ、あの怪力は?」
「あれは獣人固有の力ってわけじゃねぇよ。妖力で身体を強化すれば、程度の差はあっても普通より力は出る」
そう答えたカインは、確認するようにメローネへ視線を向けた。
「メローネ嬢だって、妖力を身体に纏えば力そのものは上がるだろ?」
「あら、それが困ったことにねぇ」
メローネは頬へ手を添え、少し困ったような笑みを浮かべた。
「私の場合、妖力を強くしようとすると、身体のほうがどんどん霊体に近づいてしまうのよ。力を込めたいのに腕が透けてしまうから、殴ったり重い物を持ち上げたりするのには向いていないわ」
「……ああ。始祖の性質が、そっちに強く出るのか」
「そうみたい」
朝の自己紹介で、メローネが片腕を半透明にしてみせた光景を思い出す。
どうやら、妖力を使えば誰でも同じように身体能力だけが上がる、という単純なものではないらしい。身体を強化しようとしても、受け継いだ始祖の性質が強ければ、そちらの特徴が優先して表れることもある。
「結局、先祖によるってことか」
カインがそう結論づけると、メローネも静かに頷いた。
「そうねぇ。それに、主から流れてくる妖力と伴の身体との相性にも左右されるみたい。まったく始祖能力が現れない伴もいるそうだから、本当に個人差としか言えないわね」
そこまで話したところで、メローネはふと窓の外へ視線を向けた。
食堂の大きな窓からは、昼の陽射しを受けた校庭と、芽吹き始めた木々が見えている。
彼女の口元には、先ほどまでと変わらない穏やかな笑みが残っていた。
それなのに、横顔だけが一瞬、妙に遠く見えた。
誰かを思い出しているような、あるいは、ここにはいない誰かを見ているような――そんな奇妙な印象だった。
声をかけようか迷っているうちに、メローネは何事もなかったようにこちらへ顔を戻した。
「そうだわ。ミッケには、一つ教えておこうと思っていたの」
「私に?」
「ええ」
メローネは手にしていた匙を静かに置いた。
音を立てないほど丁寧な仕草だったのに、それまでの雑談とは空気が僅かに変わった気がして、私は自然と姿勢を正した。
「朝、言っていたでしょう? ツガイの呪いを解きたいって」
「……はい」
あれだけ大声で宣言したのだから、忘れられるはずもない。
フェリオスには怒鳴られ、ほかの生徒たちからも決して好意的とは言えない視線を向けられていた。
だから、メローネも私の考えをよく思っていないのだろうと身構えたのだけれど、彼女の口から出てきた言葉は予想とは違っていた。
「方法を探すこと自体は、別にいいと思うわ。私も止めるつもりはないの」
意外すぎて、私はしばらく返事ができなかった。
ツガイ主である彼女なら、朝のフェリオスと同じように「そんなことを考えるものではない」と叱るのだと思っていた。
けれどメローネの瞳には、責めるような色は少しもなかった。
「ただね」
柔らかな声のまま、彼女は私をまっすぐ見つめた。
「ツガイを解くために、あるいはカイン君を自由にするために、自分が死ねばいい――なんてことだけは、考えないほうがいいわよ」
予想もしなかった言葉に、私はすぐには意味を理解できなかった。
「……死ぬ?」
そんなことを考えたことはない。
ツガイを解きたいとは思っているけれど、そのために死のうなどとは一度も思ったことがなかったし、そもそもどうして突然そんな話になるのかすら分からない。
戸惑っている私を前にしても、メローネは穏やかな笑みを崩さなかった。
ただ、その茶色の瞳からだけは、さっきまでの柔らかな光が消えていた。
カインも何かを感じ取ったらしく、それまで食事を続けていた手を止め、黙ってメローネを見ている。
食堂では周囲の生徒たちの話し声や食器の触れ合う音が絶えず響いているはずなのに、なぜか私たちのテーブルの周りだけが静かになったように感じられた。
「ツガイ伴はね――」
メローネは、何でもないことを教えるような静かな声で続けた。
けれど、その視線は私ではなく、ほんの一瞬だけどこか遠くへ向いた。
「ツガイ主が生きている以上、死んでも、そう遠くないうちに生まれ変わるのよ」
あまりにも自然に告げられた言葉を、私は理解するまでに少し時間がかかった。
「え?」




