26.供給方法は様々だ
「そこまでです」
その一言に反応したカインが、すぐに左手を離した。
首筋から温もりが消え、そこでようやく私は浅く息を吐く。けれど、いったん押し寄せた眠気はすぐには引いてくれず、足元まで少し頼りなく感じたため、近くにあった机へ片手をついて身体を支えた。
「これが、現在のミケリアさんの供給限界です」
「……これが?」
「はい。ただし、『限界』といっても、倒れる直前まで魔力を使い切ったという意味ではありません。安全を考えれば、このあたりで止めたほうがいいという目安です。まだ覚醒から日が浅く、身体も大量の供給に慣れていませんから、このまま続ければ眠気がさらに強くなり、そのまま眠り込む可能性があります」
「まじか……」
カインの驚いた声に、私は重くなった瞼をどうにか持ち上げた。
そこで初めて、供給前との違いに気づく。
カインの頭には、いつの間にか銀灰色の狼耳がはっきりと現れていた。腰の後ろには長い尻尾まで妖力によって形作られ、本人の緊張など知らないように、ゆったりと左右へ揺れている。
以前から知っている通り、それらは普通の肉体として生えているものではなく、妖力によって獣人族の特徴が外へ現れたものだ。普段より瞳も鋭くなり、覚醒前の私なら感じ取ることすらできなかったはずの濃い妖力が、今はカインの身体を包むように漂っているのが分かる。
完全に獣へ変わっているわけではないのに、人間の姿へ立派な耳と尻尾まで加わった姿は、眠気で鈍くなった頭にはどうしても狼男にしか見えなかった。
その姿がおかしくて笑いたくなったものの、今は笑うために口元を動かすことすら面倒に感じるほど眠い。
「……カイン、変な……顔……」
「顔は変わってねぇよ!」
すかさず返された声に、私はぼんやりと彼の頭上へ視線を向けた。
「耳……すご……」
「おい、寝るな!」
いつの間にか身体が傾いていたらしく、カインが慌てて肩を支えてくれる。その瞬間、頭上の狼耳まで焦ったようにぴんと立ち上がったのが見え、ますます笑いそうになったけれど、それ以上に眠気のほうが勝っていた。
教師はそんな私たちの様子を落ち着いて観察しながら、手元の記録用紙へ供給時間や私の状態、カインに現れた変化を書き込んでいく。
「かなり妖力が活性化していますね。覚醒からまだ日が浅いことを考えると、お二人の供給効率は高いほうでしょう」
「これ……毎回こんなに眠くなるんですか……?」
聞きながら、私はほとんどカインに支えてもらうような格好になっていた。
「いいえ。今回は限界を確認するため、普段より長く続けています。日常の供給で毎回ここまで消耗する必要はありませんよ」
「よかった……」
魔力供給のたびに昼寝が必要になるのなら、それだけで一日の予定が大幅に狂ってしまう。
机へ体重を預けながら安堵していると、記録を終えた教師が、今度は少し補足するように教本を開いた。
「それから、魔力供給が起こるのは、紋同士を直接接触させた場合だけではありません。直接の接触がもっとも強く、効率もいいのですが、覚醒後のツガイには、ほかにもいくつか魔力が移る経路があります」
「……他にも?」
眠気で鈍った頭をどうにか働かせて尋ねると、教師は頷いた。
「たとえば、手を握る、抱き締めるといった継続した接触ですね。直接紋を合わせたときほどではありませんが、日常的な触れ合いによって、ごく微量ずつ伴から主へ魔力が移る場合があります」
そこまでは、まだ理解できた。
けれど、教師はさらに意外な例を付け加えた。
「また、ツガイ伴本人が作った料理を主が口にすることで、そこに残った微量の魔力を取り込む例も確認されています」
「料理まで?」
思わず声がはっきりして、眠気がほんの少しだけ遠のいた。
「ええ。もちろん、直接紋を触れ合わせたときとは比べものにならないほど僅かです。伴自身が手をかけたものには微弱な魔力が残ることがあり、覚醒後の主は対となる伴の魔力との相性が非常にいいため、それを取り込める場合があるのです」
「……なんか、どこからでも吸われてる気がしてきた」
げんなりして呟くと、肩を支えていたカインが露骨に眉を寄せた。
「人聞き悪ぃな」
「だって、手を握っても料理を作っても取られるんでしょう?」
「全部ほんの少しだろ」
「少しでも取られるものは取られるのよ」
「俺が泥棒みたいじゃねぇか」
否定しきれないと思ったけれど、ここで口にすればまた教師に止められそうだったので、さすがに飲み込んだ。
教師も私たちのやり取りにはすっかり慣れてきたらしく、苦笑するだけで話を続ける。
「普段であれば、その程度の接触で問題になることはほとんどありません。消費した魔力は身体が自然に補いますからね。ただし、伴側の魔力がすでに大きく減っている状態で、さらに長時間の供給が続けば話は別です」
教師の声音が少し真面目になったことで、私もカインも自然とそちらへ意識を戻した。
「魔力を作り直すためには、身体そのものにも休息が必要です。そのため魔力の消費が大きくなると、身体は回復を優先しようとして強い眠気を起こすことがあります。先ほどミケリアさんに起こったのが、まさにそれですね」
「なるほど……」
私はぼんやりと頷いた。
そして、その直後だった。
私の肩を支えていたカインの身体が、何かに気づいたように不自然なほど固くなった。
「……え」
妙に低い声が漏れたので、何事かと顔を上げる。
カインは私ではなく少し遠くを見るような目をして、過去の何かを必死に思い返しているようだった。さっきまで堂々と立っていた狼耳まで、心なしか少しずつ後ろへ倒れていく。
「どうしました?」
教師もその変化に気づき、不思議そうに尋ねた。
「ま、まさか……」
その声と表情だけで、ろくでもないことに思い至ったのだと分かった。
カインは恐る恐る私へ顔を向けると、ひどく言いづらそうに口を開いた。
「ミッケが森で倒れて、三日も起きなかったのって……俺がずっと手、握ってたせいか!?」
「……は?」
その瞬間、さっきまでまとわりついていた眠気が少しだけ遠のいた。
私は机へ置いていた手を戻し、ゆっくりと身体ごとカインのほうへ向き直る。教師もまったく予想していなかったらしく、私たちを交互に見ながら目を瞬かせた。
「そのようなことがあったのですか?」
「はい。こいつ、覚醒したあとで森の中をかなり歩いて……そのうえ雨にも濡れて、高熱を出して倒れたんです」
カインはそこまで一気に説明したものの、その先だけは言いたくないのか、急に口ごもった。
けれど教師は続きを待っているし、私もじっと見ている。
逃げ道がないと悟ったらしいカインは、少しずつ視線を逸らしながら、とうとう白状した。
「それで、屋敷に運んでからも三日くらい起きなくて……俺、ずっとそばにいて」
そこで一度言葉を切り、ますます気まずそうに俯く。
「……ずっと手、握ってました」
私は何も言わないまま、ゆっくりとカインを見上げた。
無言のまま視線を向け続けていると、その意味を理解したらしい狼耳が、感情を隠す気もなくさらに後ろへ伏せていく。
「いや、待てミッケ。俺も今知ったんだぞ」
慌てて弁明するカインに答えず、私はあの日のことを思い返した。
目を覚ましたとき、カインは確かにベッドの脇にいた。椅子に座ったまま眠り込んで、それでも私の手だけは握っていた。
あのときは、三日間ずっと付き添っていてくれたのだと聞いて、呆れながらも少しだけ胸が温かくなったものだ。
けれど、その三日間ずっと、本人すら知らないまま私の魔力をちゅうちゅう吸い続けていたのだとしたら、少々話が変わってくる。
「その目やめろって……」
私の視線に危険なものを感じたらしいカインが、じりじりと狼耳を伏せていく。
さすがに見かねたのか、教師が慌てて説明を挟んだ。
「落ち着いてください。先ほども言ったように、通常の接触による魔力の移動量はごく僅かです。それに、高熱そのものについては魔力供給とは分けて考える必要があります」
「別なんですか?」
すぐに教師へ顔を向けると、はっきりと頷かれた。
「はい。ミケリアさんは覚醒直後に長時間森を歩き、かなり疲労していたうえに雨にも濡れていたのでしょう。それに、急激に魔力回路が変化したことで身体へ大きな負担もかかっていたはずです。高熱については、そうした複数の要因が重なった結果だと考えるほうが自然です」
「ほ、ほら!」
死刑宣告を免れた人みたいな声で、カインがすかさず割り込んだ。
それまで情けなく伏せていた狼耳も、わずかに持ち上がる。
けれど、教師の説明はそこで終わらなかった。
「ただし――」
その一言だけで、せっかく立ち上がりかけた耳がぴたりと固まった。
「もし覚醒時の供給ですでに魔力を大きく消耗していたうえ、その後も長時間にわたって接触が続いていたのであれば、身体が魔力を補おうとして休息を長く必要とした可能性はあります。三日間眠っていた原因そのものがカイン君だった、ということではありませんが、目覚めるまでに時間がかかった要因の一つになった可能性までは否定できませんね」
教師が穏やかな口調で言い切ると、私とカインの間に何とも言えない沈黙が流れた。
私はまだ残っている眠気に目を細めたまま、改めてカインを見る。
カインもこちらを見返していたものの、その顔にはあまりにも分かりやすく『まずい』と書かれていた。
「ミッケ……悪気はなかった」
私が何も答えないせいか、カインはさらに焦ったように続けた。
「本当に心配だったんだよ。目ぇ覚まさねぇし、熱も下がらねぇし……だから、ずっとそばにいただけで」
そんなことは、言われなくても分かっている。
森で倒れた私のそばから離れなかったことも、眠っている私の手を握っていたのが魔力を奪うためではなかったことも、三日間ずっと目を覚ますかどうか心配していてくれたことも。
それくらいは、ちゃんと分かっている。
分かっているのだけれど、その心配のあまり手を握り続けた結果、私の眠りをほんの少し長引かせていたかもしれないというのが、何ともカインらしくて腹立たしい。
「……三日」
思わず低く漏らすと、カインが勢いよく反論した。
「だから俺も知らなかったって!」
その声とは裏腹に、頭上の狼耳は情けないほどぺたりと伏せている。妖力で形作られているだけの耳なのに、こういうときだけ本人の感情を隠す気がまったくないらしい。
私はそんな耳を眺めながら、さらに目を細めた。
「ミッケ。本当に悪かったって」
「……知らなかったんでしょ?」
「ああ。今初めて知った」
「じゃあ、別に怒ってないわよ」
そう返したものの、カインはまったく信用していないらしく、疑わしそうにこちらを覗き込んだ。
「絶対怒ってる顔だろ、それ」
「眠たいだけよ」
「嘘つけ!」
思わず声を上げたカインを半眼で見上げながら、私は欠伸を噛み殺した。
本当のところ、怒っているというより呆れている。
たぶん、あの日のカインに同じ知識があったなら、私の手を握ることは控えていただろう。それでも、目を覚まさない私を心配して三日間離れずにいて、その心配の仕方が結果としてほんの少しだけ裏目に出ていたかもしれないというのが、あまりにもカインらしい。
だから責めるほどではないし、本気で腹を立てているわけでもない。
ただ、それを素直に伝えて安心させてやるのも、今はなんだか癪だった。
そんな私の気持ちを察したのか、それとも単に視線に耐えられなくなっただけなのか、カインは困ったように口を閉ざした。
その頭上では、さっきまで立派に立っていた狼耳が、最後まで情けないほどぺたりと伏せたままだった。




