25.はじめての授業
自己紹介が一通り終わると、いよいよツガイ科での本格的な授業が始まった。
そこで最初に驚かされたのは、教わる内容よりも、授業の仕組みそのものだった。
これまで通っていた通常の校舎では、同じ学年の生徒たちが一つの教室に集まり、一人の教師から同じ内容を教わるのが基本だった。けれど、ツガイ科では一組につき一人の専任教師がつき、それぞれの事情に合わせて授業を進めるのだという。
もちろん、八組全員で受ける共通講義も用意されているらしい。それでも、覚醒した時期も年齢も、それまで受けてきた教育も、ツガイごとにあまりにも違う。先ほど自己紹介したばかりのヘルケは八歳なのに対し、私は十六歳だ。そんな二人が同じ内容を同じ速度で教わったところで、どちらかが困るに決まっている。
そう考えれば、ずいぶん贅沢な仕組みではあるものの、理にはかなっていた。
私とカインにも一人の教師が割り当てられ、そのまま教室の一角に設けられた二人用の机へ案内された。周囲を見れば、他のツガイたちもそれぞれ担当教師と向き合い、すでに教本を広げ始めている。
「では、ミケリアさん。まず今日は、ツガイ主とツガイ伴について、基礎から確認していきましょう」
「お願いします」
教師が開いた教本には、ツガイ紋の位置や魔力回路を示した図が細かく描かれていた。
グレゴリー家の図書室で自分なりに調べてきたこともあり、まったく知らない内容ばかりというわけではない。それでも、ツガイについて専門的に教えている教師から順序立てて説明を受けてみると、自分がこれまで拾い集めてきたものは、やはり断片的な知識に過ぎなかったのだとよく分かった。
伯爵家以上の高位貴族に現れるツガイ主と、その対となるツガイ伴。二つの紋が触れ合うことで覚醒が起こり、主の体内に眠っていた妖力回路が開くこと。覚醒後は、伴から供給された魔力を主が妖力へ変換し、それによって始祖種族の血を活性化させられるようになること。
どれも一度は本で読んだ内容だったけれど、今の私たちにとって特に重要なのは、その先らしい。
「覚醒が完了したからといって、その瞬間から身体が新しい魔力の流れに馴染むわけではありません。特に覚醒直後は回路がまだ不安定ですから、定期的に魔力を循環させ、双方の身体を少しずつ慣らしていく必要があります」
教師は教本に描かれた二人の人型を指し、その間を結んでいる矢印をゆっくりとなぞった。
「それに、ツガイ伴は主を弱体化させる目的で狙われることがあります。お二人が先日襲撃を受けた件については、グレゴリー公爵様からも事情をうかがっています。ですから、お二人については特に、なるべく早い段階で回路を安定させていきましょう」
「……はい」
先日の件、と言われれば、思い浮かぶものは一つしかない。
目元を仮面で隠した男と、何度も風を切った黒い鞭。私を背後に庇い、避ければこちらへ攻撃が届くからと、正面から何度も鞭を受け続けたカインの姿まで、嫌でも鮮明に蘇ってくる。
あのときは、私がカインへ魔力を渡すことでどうにか切り抜けることができた。けれど、もし私たちが妖力や魔力供給の仕組みをもっと理解していたなら、あそこまで追い詰められずに済んだのかもしれない。
そう考えると、さすがに軽口を叩く気にはなれず、私は素直に頷いて教本へ視線を戻した。
ところが、今度こそ真面目に授業を受けようとしたところで、隣に座っているカインの様子が目に入った。
私とは違う本を開いている。
それだけならまだしも、その頁に並んでいるのはツガイ紋でも魔力回路でもない。細かな数字と文章が紙面を埋め、その横には領地らしき地図まで載っている。
どう見ても、私とはまったく別の授業だった。
「……先生」
「はい?」
「なんでカインだけ違うことしてるんですか?」
不満を隠さず隣を指差すと、カインは答案から顔も上げないまま答えた。
「俺は俺で、やることがあるんだよ」
「何それ。ずるい」
「何がずるいんだ」
そこでようやく筆を止めたカインが、意味が分からないとでも言いたげに眉を寄せてこちらを向いた。
「俺はグレゴリー公爵家の次期当主なんだから、領地経営とか法律とか、そっちの勉強もしなきゃならねぇんだよ」
「うわぁ……」
「その顔やめろ」
私はただ、大変そうだと思っただけなのに。
とはいえ、答案用紙いっぱいに並んだ数字と地図を見れば、ほかにどんな反応をすればいいのか分からない。私なら五分で寝る自信がある。
教師はそんな私たちのやり取りをおかしそうに見守ってから、改めて私の前の教本へ手を置いた。
「ミケリアさんについては、編入前の試験で一般教養に問題がないことは確認できています。ただし、ツガイに関する知識と魔力制御については、ほぼ一から学んでもらう必要があります」
「……私だけ、勉強すること多くないですか?」
「最近まで、ご自身に魔力があることすら知らなかったのでしょう?」
「はい」
「では、多いですね」
あまりにも迷いなく認められ、私はそのまま口を閉ざした。
そこは少しくらい否定してくれてもよかったのではないだろうか。
けれど、考えてみれば反論できる材料は何一つなく、横でカインが答案へ顔を伏せながら肩を揺らしているのだけが、無性に腹立たしかった。
一限目の座学が終わり、二限目になると、私たちは同じ教室の中に設けられた実習用の空間へ移ることになった。
机と椅子が並ぶ場所とは違って、そこだけは周囲が広く取られ、床には魔力測定用らしい複雑な紋様が描かれている。壁際には用途の分からない魔道具もいくつか並んでいて、どうやら今度は座って話を聞くだけでは済まないらしい。
「次は、実際にミケリアさんがどの程度まで安全に魔力を供給できるのか確認しましょう」
「量って測れるんですか?」
「正確な魔力量だけを見るわけではありません。今回は、どの程度までならミケリアさんの身体に大きな負担をかけず、安定して供給できるのか、その目安を取ります」
教師に促され、私とカインは向かい合った。
魔力を渡すこと自体は、もう何度か経験している。それなのに、こうして教師に見守られながら「では供給してください」と言われると、妙に落ち着かない。
「では、カイン君。左手をお願いします」
「ああ」
カインが左腕を持ち上げたのを見て、私も観念して髪をまとめ、首の後ろを露わにした。
何度やっても、この姿勢だけは慣れない。
すぐ近くまで伸びてきたカインの左手が向きを変え、その甲に刻まれた紋が私の首の後ろへそっと触れる。肌に触れているのは掌ではなく手の甲なのに、そこだけが妙に温かく感じられた。
「その位置で大丈夫ですよ」
教師は二人の紋を横から確認すると、接触している場所を示すように指先を動かした。
「供給の際、二つの紋が完全に重なっている必要はありません。紋同士のどこか一部でも接触していれば回路は繋がりますから、無理にぴったり位置を合わせようとしなくても問題ありません」
「……それ、先に知りたかった」
「何かあったんですか?」
「いえ。こっちの話です」
思い出したくもない。
襲撃のあと、倒れたカインが魔力を必要としているのだと思い、重たい左腕を必死に持ち上げて、自分では見えない首の後ろへ何度も位置を直しながら押し当てていた。
あの苦労はいったい何だったのだろう。
最初から少しでも紋が触れていれば、それだけでよかったらしい。
「では、このまま時間を測ります。ミケリアさんは、眠気や倦怠感、身体の違和感などがあれば、すぐに教えてください」
「はい」
「分かった」
カインの手の甲が、首の後ろへ添えられたままになる。
最初のうちは、いつもと何も変わらなかった。
私自身には、魔力が身体から流れ出していくような分かりやすい感覚がない。何かがカインへ渡っていると言われても実感は薄く、ただ首筋に手の甲を触れられているだけにしか思えなかった。
一方のカインは、できるだけ平静を装っているつもりなのだろうけれど、普段より明らかに肩の力が抜けていた。
以前、魔力を受け取っている最中は全身が気持ちいいのだと白状したことを、私はちゃんと覚えている。こちらには何のご褒美もないのに、向こうだけ気持ちよさそうなのは、やはり少し納得がいかなかった。
そんなくだらないことを考えていられたのも、初めのうちだけだった。
「……あれ?」
不意に、瞼が重くなった。
ほんの少し前まで何ともなかったはずなのに、長い一日を終えた夜のような眠気が、身体の芯からじわじわと押し寄せてくる。
大きく瞬きをしてみたものの、視界は次第にぼやけ、今度は瞼そのものが開きづらくなっていった。立っていられないほどではないのに、身体中の力が少しずつ抜け、どこでもいいから横になれと訴えられているような感覚が強くなる。
「なんか……眠……」




