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アートランティス王国の奇跡の年  作者: 無月公主


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24/42

24.奇跡の年

 八歳のヘルケが静かに腰を下ろすと、教室の視線はそのまま次の二人へ移った。


 私も慌ててそちらへ目を向ける。


 初日から覚えなければならない名前が多すぎる気はするけれど、ここにいるのはこれから毎日のように顔を合わせる相手たちだ。それに、全員が私とカインと同じように『ツガイ』というものによって、それまでとは違う人生を歩くことになった人たちでもある。


 そう考えると、聞き流すわけにはいかなかった。


「はぁ……」


 次に立ち上がった青年は、なぜか自己紹介を始める前から疲れたような溜息をついた。


「ターラント公爵家、ロカルドだ。十六歳」


 深い藍色の髪を隙なく後ろへ撫でつけ、琥珀色の切れ長の瞳を眼鏡越しに覗かせている。整った顔立ちに浮かぶ表情は冷静そのもので、私たちと同じ魔導アカデミーの制服を着ているはずなのに、授業を受ける学生というより、すでに公爵家の仕事を任されている若い官僚のように見えた。


 見るからに頭が切れそうだし、何を考えているのか簡単には読ませてくれなさそうな人だ。


 簡潔に名乗ったロカルドが腰を下ろそうとした途端、その隣にいた少女が待っていましたとばかりに勢いよく立ち上がった。


「ロカルド様のツガイ伴、ヒューナレラですわ♪ 十六歳です。ロカルド様とは、すでに婚姻しておりますの♪」


 弾むような声とともに、少女は満面の笑みを浮かべる。


 燃えるような赤毛を長く伸ばし、前髪の一部を片側へ深く垂らしていた。琥珀色の瞳も整った顔立ちも十分に美しいのだけれど、自己紹介をしている最中でさえ、その視線はほとんどロカルドから離れない。


 にこにこと笑っている。


 ただ嬉しそうに笑っているだけのはずなのに、どういうわけか、じっと見ていると妙な圧を感じる。


「これから、どうぞよろしくお願いいたしますわ♪」


 最後まで上機嫌に言い切ったヒューナレラの隣で、ロカルドは何も言わずに眼鏡の位置を押し上げた。


 さっきの溜息の理由を、ほんの少しだけ察した気がする。


 とはいえ、二人はすでに結婚しているらしい。


 ツガイ伴の年齢が思った以上にばらばらだったことにも驚いたけれど、婚約どころか婚姻まで済ませている組が普通にいることにも、私は内心かなり驚いていた。


 続いて立ち上がったのは、銀白色の髪を無造作に流した青年だった。


「……ビースト侯爵家、グランド。十六歳」


 それだけ告げると、すぐに口を閉ざしてしまう。


 鮮やかな琥珀色の瞳と端正な顔立ちはどこか冷たい印象を与えるが、単に無愛想というより、常に頭の中で何かを考え続けているような鋭さがあった。細身に見える身体もしっかり鍛えられており、制服の着こなしにも乱れがない。


 魔道具職人の家系として知られるビースト侯爵家の人間だと聞けば、その集中力を感じさせる雰囲気にも妙に納得できた。


 グランドが再び座ると、その隣から艶のある黒髪を上品にまとめた少女が立ち上がる。


「グランドのツガイ伴であり、婚約者のサーシャです。十六歳です」


 柔らかな黄緑色の瞳を穏やかに細め、背筋をまっすぐ伸ばしたまま丁寧に一礼した。


「グランド様とは、良好な関係を築かせていただいております。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします」


 声の調子から姿勢、言葉の選び方まで隙がない。


「……なんか、執事みたい」


 つい小さく呟くと、隣にいたカインが肘で私の腕を軽くつついた。


「聞こえるぞ」


「褒めてるのよ」


「余計にややこしくなるから黙っとけ」


 失礼な。


 けれど、サーシャの話し方が堅いからといって、グランドとの関係まで冷たいわけではなさそうだった。むしろ口数の少ない彼に代わって、自分が必要な説明を補うことに慣れているようにも見える。


 同じツガイでも、二人の関係は本当にそれぞれらしい。


 次に立ち上がった少女は、その場にいるだけで自然と目を引いた。


「イージス公爵家、サクレティアです。十四歳です。兄がいます」


 深い群青色の長い髪が腰近くまで流れ、緩やかな波を描いている。片側には青いリボンと小さな装飾が添えられ、澄んだ蒼い瞳は宝石のように鮮やかだった。


 まだ十四歳だというのに、静かに立っているだけで近寄りがたいほどの気品と威厳がある。


 さすが、王国の軍事を担うイージス公爵家というべきなのだろうか。


 ただ――。


 自己紹介でわざわざ『兄がいます』って言うんだ。


 どうしてそこを付け加えたのか少し気になったものの、口には出さなかった。


 さすがの私も、さっきフェリオスに怒鳴られたばかりである。少しくらいは学習する。


 そのサクレティアの隣から、今度はさらに年若い少年がゆっくりと立ち上がった。


「クレノ……イージスです。十三歳……。サクレティアの、ツガイ伴で……夫です」


 黒に近い濃い髪をやや長めに伸ばし、前髪が赤みを帯びた瞳へ柔らかくかかっている。細身の身体と控えめな表情が年若さを強く感じさせる一方で、姿勢や制服の着こなしには育ちの良さが滲んでいた。


 先ほどのヘルケとはまた違う、どこか儚げで静かな少年だった。


「元は……バレンタイン公爵家に、いました。よろしくお願いします……」


 ――夫。


 私は思わず、クレノとサクレティアを交互に見てしまった。


 十四歳と十三歳。


 しかも、もう結婚している。


 普通なら驚くところなのだろうけれど、ここへ来てからというもの、私の中にあった『普通』が次から次へと役に立たなくなっている。


 ここはツガイ科なのだ。


 ツガイとなった二人には、それぞれの家や年齢だけでは測れない事情があるのかもしれない。


 それよりも気になるのは、クレノの言った『元はバレンタイン公爵家にいた』という言葉だった。


 元は?


 どういうこと?


 聞きたい。


 ものすごく聞きたい。


 けれど、初対面の相手にいきなり家庭事情へ突っ込むほど、私も無神経ではない。


 ……たぶん。


 どうにか質問を飲み込んでいると、次の青年が立ち上がった。


「アーデント大公家、フェリオスです。十六歳」


 先ほど私の発言を聞くなり、カインへ向かって「ちゃんと躾けていないのか」と怒鳴りつけた金髪の青年だった。


 どうやら『フェル』というのは愛称だったらしい。


 柔らかな金髪に赤みを帯びた瞳を持つフェリオスは、先ほどの険しい表情など最初から存在しなかったかのように、今は貴公子然とした穏やかな微笑を浮かべている。


 そして隣にいる少女へ視線を向けると、その笑みがさらに柔らかくなった。


「妻のエテシアとは、心から深い絆を感じている。俺は彼女を愛している」


 ――自己紹介でそこまで言うの?


 思わず目を瞬いたものの、教室の誰一人として驚いた様子を見せなかった。


 ということは、たぶんこれが普段のフェリオスなのだろう。


 続いて、その隣の少女がおずおずと席を立った。


「フェリオスの妻で、ツガイ伴のエテシアです。十六歳になりました。農家の出身です。よろしくお願いします」


 柔らかな茶髪をゆるく編み込み、肩の前へ垂らした少女だった。


 大きな茶色の瞳と控えめな表情が素朴で優しい印象を与えており、きちんと制服を着ていても、高位貴族ばかりが集まるこの教室の中ではどこか雰囲気が違って見える。


 けれど、エテシアが自分の出自を口にした途端、フェリオスがすぐに彼女へ顔を向けた。


「農家出身なんて、わざわざ言わなくていいんだよ」


「え……?」


「君は僕の愛しい妻。それ以外の何者でもないんだから」


 にっこりと微笑む。


 ついさっきカインへ向けていたものとはまるで違う、本当に甘く穏やかな笑顔だった。


 エテシアは困ったように頬を染めながらも、少し嬉しそうに視線を落としている。


 ――なるほど。


 確かに、伴には優しい。


 私はそっと隣を見る。


 ちょうどカインもこちらを見ていた。


 どうやら考えていることは同じらしい。


「……ラブラブね」


「だから言っただろ」


「でも、あんたには怖いじゃない」


「俺とあいつはツガイじゃねぇからな」


 それで全部説明できてしまうのも、なんだか納得がいかない。


 そんな私たちの小声を遮るように、少し離れた席からわざとらしい咳払いが聞こえた。


「コホンッ……」


 立ち上がったのは、黒に近い深い藍色の髪を短く乱した青年だった。


 鋭い青の瞳に険しい眉、高く通った鼻筋。さらに、広い肩と分厚い胸板からは鍛え抜かれた身体つきが一目で分かり、魔導アカデミーの制服を着ていても、学生らしさより武人らしい迫力のほうが強く感じられる。


 カインもかなり体格がいいけれど、それとはまた違った威圧感だった。


 カインが野生の獣を思わせる荒っぽさなら、この人は真正面から押し返すことなど許さない重厚な壁のように見える。


「俺は昨日編入した、ダルク・イージス。十六歳だ」


 イージス。


 その家名を聞いて、私は先ほどのサクレティアへちらりと目を向けた。


 自己紹介でわざわざ言っていた『兄』とは、おそらくこの人なのだろう。


「イージス公爵家の嫡男として戻ったのは数週間前だ。だから、貴族の作法とかはまだよく分からない。迷惑をかけることもあると思うが、よろしく頼む」


 公爵家の嫡男として『戻った』?


 しかも、貴族の作法が分からない?


 またしても気になる言葉が一気に増えた。


 けれど、ダルク本人はそれ以上詳しく話すつもりがないらしく、自己紹介を終えるとすぐ隣へ視線を向ける。


 それを受けて、黒髪の少女が立ち上がった。


「うちはシャルシア・イージスです。十六歳。ダルクのツガイ伴で、最近結婚しました。よろしゅうに」


 艶のある黒髪を胸元まで真っ直ぐ伸ばし、丸い眼鏡の奥から穏やかな瞳を覗かせている。派手な華やかさこそないものの、整った顔立ちには清楚な知性があり、制服もきちんと着こなしていた。


 最後の少し独特な言葉遣いが耳に残り、私は思わず瞬きをする。


 それにしても――また結婚している。


 この教室、既婚者が多すぎない?


 婚約のお披露目を済ませたばかりの私が言える立場でもないのだけれど、それでもまだ婚約で止まっている自分たちのほうが、ここでは少数派に思えてきた。


 そして、最後に残った二人のうち、先に青年が立ち上がった。


「アルデリヒ公爵家、アベルだ。十六歳」


 黒髪を無造作にかき上げた、精悍な青年だった。


 紫がかった切れ長の瞳と鋭い眉、鍛え抜かれた厚い胸板と広い肩が目を引く。制服を身につけていても隠しきれない力強さがあり、黙って立っているだけなのに近寄りがたい強者の気配を纏っていた。


 けれど、本人は見た目に反して余計なことを喋る性格ではないらしい。


 名前と年齢だけ告げると、すぐに隣の少女へ視線を向けた。


「アベルのツガイ伴で、妻のエターナです。十六歳……よろしくお願いします」


 艶のある漆黒の長髪を腰近くまで流し、その髪には青い花飾りが一つ挿されている。紫がかった瞳は涼やかで、感情をあまり表に出さない物静かな少女だった。


 華奢な身体の胸元には、一冊の本を大切そうに抱えている。


 自己紹介をするときでさえ手放さないところを見ると、かなり本が好きなのかもしれない。


 ――あの子とは話が合うかも。


 最近ずっとグレゴリー家の図書室へ籠もっていたせいか、私はそんなことを考えてしまった。


 エターナが静かに腰を下ろすと、これで教室にいた全員の自己紹介が終わった。


 教師は一度名簿へ目を落としてから、改めて教室全体をゆっくりと見渡した。


 ネルタール伯爵家。


 ターラント公爵家。


 ビースト侯爵家。


 サクレティアとクレノ、ダルクとシャルシアという二組のイージス公爵家。


 アーデント大公家。


 アルデリヒ公爵家。


 そして、私とカインのグレゴリー公爵家。


 こうして一堂に会した顔ぶれを改めて眺めると、王国内で名前を知らない者などほとんどいないような家門ばかりだった。


 その家々から、同じ時期にこれだけのツガイが現れている。


 しかも、ここにいる者だけがすべてではない。


「これで、第一教室に配属された八組はすべて揃いましたね」


 教師の声が、静かになった教室へよく響いた。


「もちろん、今年確認されているツガイは皆さんだけではありません。ツガイ科には第二教室もあり、そちらにも八組が在籍しています。つまり、現在この校舎では二つの教室に分かれ、合わせて十六組のツガイが学ぶことになります」


「十六組……」


 思わず小さく呟いた。


 私とカインのような組が、この校舎だけで十六もいる。


 最近までツガイというものをほとんど知らずに生きてきた私には、それだけでも十分に異様な数字に思えた。


 けれど、教師の表情はいつの間にか、先ほどまでの気軽なものではなくなっていた。


「皆さん自身には、まだ実感がないかもしれません。しかし、王国の長い歴史を振り返っても、これほど多くの高位家門から、これほど短い時期に相次いでツガイが現れた例はほとんどありません」


 その言葉に、教室の空気が少しだけ変わる。


 先ほどまで伴へ甘い視線を向けていたフェリオスも、無愛想に座っていたグランドも、静かに本を抱えるエターナも、それぞれ教師へ意識を向けていた。


 先生はそこで一度言葉を切り、教室にいる一人ひとりを確かめるように見渡した。


「皆さんにとっては、自分の身に起きた一つの出来事に過ぎないかもしれません。ですが、国にとってはそうではありません。これだけのツガイが同じ時代、ほぼ同じ年に揃ったこと自体が、すでに歴史的な出来事なのです」


 私もいつの間にか、姿勢を正していた。


 ツガイなんて呪いだと思っている。


 今でも、その考えは変わっていない。


 けれど、自分たちに起きたことが、どうやら私とカインだけの問題ではないらしいということだけは、次第に分かってきた。


 教師は静まり返った教室を前に、ゆっくりと告げた。


「そして今年は、すでに一つの名で呼ばれ始めています」


 誰も口を挟まなかった。


 わずかな間を置いたあと、教師の声が落ちる。


「――『奇跡の年』と」

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