23.ツガイ科初日の挨拶
教師たちに囲まれたまま廊下を進み、やがて一つの教室の前で足が止まった。
扉の向こうからは、何人かが話しているらしい小さな声が聞こえてくる。ここが、今日から私とカインの通うことになるツガイ科の第一教室らしい。
教師の一人が扉を開けた途端、それまで続いていた話し声がぴたりと途切れ、教室中の視線が一斉にこちらへ向けられた。
覚悟していたつもりなのに、思わず足が止まりそうになる。
中にいた生徒は十四人。私とカインを加えれば全部で十六人になるから、本当に八組のツガイだけで一つの教室が作られているようだった。
普通の教室よりも机同士の間隔が広く取られ、それぞれ二つずつ並べられている。見るからに高位貴族らしい華やかな雰囲気を持つ生徒もいれば、制服を着ているだけでは身分の見当もつかない子もいる。何より、全員が私たちと同じ年頃というわけではなさそうだった。
そして、どの席でも当たり前のように二人が隣り合って座っている。
――あれが、全部ツガイなんだ。
頭では分かっていたはずなのに、これほど多くのツガイを一度に目にするのは初めてだった。
今まで私にとってツガイといえば、ほとんどカインとの間に突然降ってきた厄介事でしかなかった。それがここでは特別なものではなく、教室にいる誰もが同じように主か伴なのだと思うと、不思議な気分になる。
教師が教壇の前まで進み、私たちを振り返った。
「皆さんも聞いていると思いますが、本日から新たに一組、この第一教室へ加わります。では、お二人とも自己紹介をお願いします」
先に促されたのはカインだった。
こういう場になると、普段のぶっきらぼうさは残しつつも、さすがに公爵家の嫡男らしい。大勢から注目されても特に緊張する様子はなく、一歩前へ出て教室を見渡した。
「カイン・グレゴリー。十六歳。グレゴリー公爵家の嫡男だ。先日、ツガイとして覚醒した。よろしく」
短い。
本当に、必要なことしか喋らなかった。
もっと何かないのかと思ったけれど、本人はこれで十分らしい。すぐに一歩下がったカインへ、何人かの生徒が興味深そうな視線を向け、そのうちの数人は露出した左手の甲へ目を落としていた。
そこに刻まれたツガイ紋を見ているのだろう。
そして次は、私の番だった。
教室中の視線が、今度はこちらへ集まる。
八歳の頃からカインやミモザに付き合わされ、貴族だらけの場所へ放り込まれることには慣れている。それでも、これから毎日顔を合わせる相手だと思うと少しだけ緊張した。
一度息を整え、カインと入れ替わるように前へ出る。
「ミケリアです。十六歳です。えっと……カインのツガイ伴です。これからよろしくお願いします」
ここまでは、何の問題もなかったはずだ。
礼儀作法の先生にも散々教え込まれてきたし、頭を下げる角度だって間違っていない。
本当なら、そのまま引き下がればよかったのだろう。
けれど、私はこの場所へただ授業を受けに来たわけではない。
自分がツガイ科へ行くと決めた理由を思い出し、顔を上げた私は、そのまま教室中へ向かって続けた。
「それと私、ツガイの呪いを解きたいと思ってます!」
空気が止まった。
正確には、止まったように感じた。
さっきまで椅子を引く音や衣擦れの音くらいはしていたはずなのに、それすら聞こえなくなる。
けれど、その瞬間の私は、自分の発言がそこまで妙なものだとは思っていなかった。
むしろ、ここにはツガイばかりが集まっている。
なら、普通の図書室では見つけられないようなことを誰かが知っているかもしれない。
「だから、ツガイを解消する方法とか、それに関係する情報を知ってる人がいたら、ぜひ教えてください!」
今度はきちんと頭まで下げた。
けれど、誰からも返事がない。
……あれ?
妙だと思ってゆっくり顔を上げると、十四人全員がこちらを見ていた。
目を丸くしている者もいれば、何を言っているのか分からないという顔をしている者もいる。露骨に不快そうな表情こそ浮かべていないものの、明らかに眉を寄せた者もいた。
さっきまで普通に私たちを眺めていただけの教室が、見事なまでに凍りついている。
隣を見ると、カインは片手で額を押さえていた。
「ミッケ……」
低い声で名前を呼ばれる。
「何よ?」
何がそんなに悪かったのかと聞こうとした、そのときだった。
教室の一角から、椅子が床を擦る大きな音が響いた。
「カイン・グレゴリー!」
勢いよく立ち上がった青年が、真っ直ぐカインを睨みつけていた。
「どういうつもりだ、貴様! ちゃんと躾けていないのか!」
「は?」
突然怒鳴りつけられたカインの眉間に、見る見る深い皺が刻まれていく。
私も驚いて青年へ目を向けた。
柔らかな金髪に、わずかに赤みを帯びた瞳。整った顔立ちは華やかで、ただ立っているだけでも自然と目を引くような品がある。
私たちと同じ紺、白、金を基調とした魔導アカデミーの制服を着ているはずなのに、彼が身につけると、まるで王城の式典に出るための礼装のように見えた。
なるほど。
見た目だけなら、カインが昨日言っていたことにも納得できる。
――優しい王子様みたいな野郎。
確かに王子様っぽい。
ただし今、その王子様はものすごい剣幕でカインを怒鳴りつけている。
――どこが優しいのよ。
思わずカインへ疑いの目を向けた、そのときだった。
青年の隣に座っていた少女が、おずおずと彼の制服の袖を摘まんだ。
「フェル……恐いよ……」
その一言で、青年の表情が見事なまでに変わった。
「……あ」
フェルと呼ばれた青年は、つい先ほどまでの険しさを一瞬で引っ込めると、すぐに少女のほうへ身体を向けた。
彼女は柔らかな茶色の髪をゆるく編み込み、肩の前へ垂らしていた。大きな茶色の瞳と控えめな表情が素朴で優しい印象を与え、制服をきちんと着ていても、華やかな貴族社会よりも緑の畑や草原のほうが似合いそうな雰囲気が残っている。
目の前の青年があまりにも華やかなせいで余計にそう見えるのかもしれない。
けれど確か、アーデント大公家のツガイ伴は平民の農家出身だと聞いていた。
なら、この子がそうなのだろう。
「ごめんね。驚かせた?」
フェルは先ほどまでとは別人のような穏やかな笑みを浮かべた。
声まで甘い。
「う、うん……ちょっと」
「本当にごめん。少しだけ……そう、ちゃんと王子様になれていないカイン君に、喝を入れようとしただけだよ」
どこから出しているのかと思うほど柔らかな声音だった。
つい数秒前まで「躾けていないのか!」と怒鳴っていた人間とは、とても同一人物に見えない。
少女が少し安心したように頷くと、フェルは満足そうに微笑んだ。それから改めてカインへ視線を向ける。
笑っている。
笑ってはいるのだけれど、目だけはまったく笑っていなかった。
――恐い。
私は反射的に、ほんの半歩だけカインのほうへ寄った。
「何が『優しい王子様みたいな奴』よ……カインの嘘つき」
周囲に聞こえないよう小声で文句を言うと、カインも声を落として返してくる。
「お前が余計なこと言うからだぞ。それに、伴には優しいだろ」
「限定的すぎるでしょ!」
思わずいつもの調子で言い返しかけたところで、周囲からまだ視線を向けられていることに気づいた。
フェルだけではなかった。
戸惑ったようにこちらを見ている者もいれば、何かを考えるように静かに観察している者もいる。中には私ではなく、隣に座る自分のツガイへ視線を向けた者までいた。
誰も何も言わない。
けれど、先ほど私が口にした『ツガイの呪いを解きたい』という言葉を、少なくとも歓迎しているわけではないことくらいは分かった。
どうやら、この教室では相当に変わったことを言ってしまったらしい。
それでも、取り消そうとは思わなかった。
だって私は、本当にそう思っている。
ここにいる人たちがツガイをどう考えているのかは、まだ知らない。
けれど、だからといって私まで同じように考えなければならないわけではないはずだ。
「はいはい、そこまで」
妙な緊張に包まれた教室を仕切り直すように、教師が二度手を叩いた。
乾いた音が響き、集まっていた視線がようやく教壇へ戻っていく。
「初日から元気なのは結構ですが、喧嘩は授業が始まってからにしてください」
「先生、授業中も駄目だろ」
カインがぼそりと突っ込んだものの、教師は聞かなかったことにしたらしく、そのまま話を続けた。
「この教室では、新しい編入生が来るたびに全員で自己紹介をすることにしています。お二人も、まだ誰が誰なのか分からないでしょうからね」
そう言うと、教師は教室の一番端に並んだ二つの席へ顔を向けた。
「では、端から順番にお願いします」
「はい」
最初に立ち上がったのは、淡い銀灰色の髪を肩の辺りで揃えた少女だった。
大きな茶色の瞳をしていて、その口元には最初から穏やかな笑みが浮かんでいる。高位貴族ばかりが集まっているはずの教室にいながら、妙な気負いを感じさせない柔らかな雰囲気があり、紺と白の制服姿も相まって清楚で親しみやすい印象だった。
少女は制服の裾を軽く整えてから立ち上がり、私たちへ向かって優雅に一礼した。
「ネルタール伯爵家、メローネですわ。十六歳です。それから……この通り」
「え?」
何のことか分からず見ていると、メローネは片腕を軽く持ち上げた。
次の瞬間、その腕の輪郭がふっと薄くなった。
制服の袖ごと半透明になり、向こう側にある机の輪郭が透けて見える。
「うわ……!」
思わず声を上げると、メローネは楽しそうに目を細めた。
「ふふ。驚きました?」
そう言って腕を下ろす頃には、もう元通りになっていた。
ネルタール伯爵家。
確か、ゴーストの末裔だったはずだ。
グレゴリー家の図書室で高位家門について調べていたときに読んだ記憶がある。先祖返りが進むことで、身体を霊体に近い状態へ変化させられるらしい。
本にはそう書いてあった。
けれど、文字で知るのと実際に目の前で見るのとでは、まるで違う。
何より、先祖返りというもの自体、これまで私はカインの獣耳や尻尾くらいしか実際には見たことがなかった。
「よろしくお願いしますわ、ミケリアさん。カイン様」
「よろしく」
「よろしくお願いします」
私たちがそれぞれ返すと、メローネはにこやかな笑みを崩さないまま腰を下ろした。
続いて、その隣に座っていた人物がゆっくり立ち上がる。
そこで私は、思わず目を瞬いた。
――小さい。
椅子に座っていたときにも子どもらしいとは思っていたけれど、立ち上がるとますます分かる。
どう見ても、私たちと同じ十六歳ではない。
柔らかな灰茶色の髪を少し長めに伸ばし、前髪は赤みを帯びた瞳へかかるほど無造作に落ちている。幼い顔立ちに対して表情はひどく静かで、そのせいか年齢以上に落ち着いて見える一方、どこか儚げな影も感じさせた。
細身の身体には、年齢に合わせて仕立てられたらしいアカデミーの制服がきっちりと収まっている。
教室中から視線を向けられているにもかかわらず、少年は特に気にした様子を見せなかった。
必要なことだけを伝えるように、小さな声で名乗る。
「ヘルケ・ネルタールです。八歳です。よろしく……」
「八歳……」
つい、口から漏れてしまった。
昨日、カインと話したばかりだった。
ツガイ主の年齢は今年ほとんど揃っているものの、ツガイ伴には少しばらつきがあるらしい、と。
そのときは、二つや三つくらい違うのだろうと勝手に思っていた。
まさか、八歳の子どもまで同じ教室にいるとは想像していなかった。
私とカインが八歳だった頃には、覚醒させることさえ止められていたというのに。
どうやら『ツガイ伴の年齢にはばらつきがある』という言葉を、私はずいぶん軽く考えていたらしい。




