21.誕生日パーティーとは違ったようだ
芽吹きの季節。
ミモザの十六歳の誕生日が終われば、今度は私の誕生日がやってくる。
例年なら、アカデミーの寮を出てお父さんとお母さんのもとへ帰り、家族三人でささやかに祝ってもらう日だった。豪華な料理も高価な贈り物もないけれど、母が私の好きなものを作ってくれて、父からは少し照れくさそうな祝いの言葉をもらう。それが私にとっての誕生日であり、毎年当たり前のように待ち遠しく思っていた一日だった。
けれど、今年は何もかもが違う。
朝から私はグレゴリー公爵家の侍女たちに囲まれ、自室の鏡台の前で、されるがまま身支度を整えられていた。
「ミケリア様、もう少しだけ顎を上げてくださいませ」
「はいはい……」
諦め半分に返事をすると、背後に立つ侍女が慣れた手つきで最後の髪飾りを留めていく。
今日のために用意されたというドレスは、普段の私なら触れることさえ躊躇しそうなほど上等なものだった。丁寧に仕立てられた生地には繊細な刺繍が施され、身体の線を美しく見せながらも、まだ十六歳になったばかりの娘らしさを損なわない品のある装いに仕上げられている。
これまでにも、カインやミモザに連れられて貴族の宴へ顔を出したことは何度もあった。そのたびにグレゴリー家が衣装を用意してくれていたから、高価なドレスを着せられること自体は初めてではない。
ただ、今日はいつもと一つだけ大きく違っていた。
髪だ。
これまで宴へ出るときは、多少巻いたり飾りを添えたりすることはあっても、髪は基本的に下ろしたままだった。ところが今日は、後ろ髪をすべて持ち上げ、うなじを見せる形に丁寧に結い上げられている。
仕上げを終えた侍女が満足そうに一歩下がったので、私は手鏡を借り、正面の鏡と合わせて後ろ姿を覗き込んだ。
「……あ」
そこに、自分では滅多に見ることのできない紋が映っていた。
うなじというより、もう少し上。後頭部に近い髪の生え際にあり、結い上げられた髪の下からツガイ紋の半分ほどが覗いている。残りはまだ髪に隠れているものの、その存在を知っている者が見れば、何の紋なのか十分に分かる程度には露出していた。
「……こりゃ、お父さんもお母さんも見つけられないわ」
思わず独り言が漏れた。
こんな場所、普段は完全に髪の中だ。八歳の頃、入浴の世話をしてくれたグレゴリー家のメイドが偶然見つけたという話にも、こうして自分の目で確認してみれば納得できる。
とはいえ、誕生日だからといって、わざわざ紋が見える髪型にする理由までは分からなかった。
私は鏡越しに、部屋の隅で待っていたカインへ目を向けた。
「それにしても、どうして誕生日くらいで、いちいちこんな大袈裟なパーティーするの?」
カインも今日は普段の制服や私服ではなく、グレゴリー公爵家の嫡男として申し分のない正装に身を包んでいた。仮面の男に襲われた際の傷はまだ完全には消えていないはずだが、長袖の礼服に隠されてしまえば、それも外からはほとんど分からない。
「あぁ……うーん。それなぁ……」
ところが、返ってきた声は妙に歯切れが悪かった。
こちらを見たと思えばすぐに目を逸らし、誤魔化すように頬を掻いている。
その態度を見ただけで、嫌な予感がした。
「何よ」
「いや……」
「何か言いたいことがあるなら、はっきり言って」
「王室への届け出も無事済んだってことは……その……」
「もう! 何なのよ!」
じれったくなって振り返ろうとしたところで、ちょうど扉が控えめに叩かれた。
「お時間でございます」
外から聞こえてきた執事の落ち着いた声に、カインの顔が目に見えてほっと緩む。
私はその変化を見逃さなかった。
「ちょっと。あんた今、助かったって思ったでしょ」
「思ってねぇよ」
「思った顔してる!」
「と、とにかく行くぞ。もうみんな待ってるから」
明らかに何かを隠している。
けれど扉の向こうでは本当に人が待っているらしく、侍女たちも私の支度が整ったことを確認して控えていたため、これ以上ここでカインを問い詰めるわけにもいかなかった。
釈然としないものを抱えたまま部屋を出ると、カインが当然のように腕を差し出してくる。
こうした場でのエスコートにも、もう随分慣れた。
私はその腕へ手を添え、並んでグレゴリー公爵家の大ホールへ向かった。
そして、執事によって大きな扉が開かれた瞬間、思わず足が止まりそうになった。
「……うわぁ」
広大なホールには、私が想像していたより遥かに多くの人が集まっていた。
高い天井から吊るされた水晶灯が眩い光を落とし、磨き上げられた床にはその輝きが幾重にも映り込んでいる。壁際には芽吹きの季節に合わせた花々が惜しげもなく飾られ、長い卓には料理や菓子、色とりどりの飲み物が美しく並べられていた。
その華やかな空間を埋め尽くしているのは、当然ながら着飾った貴族たちだ。
公爵家や侯爵家だけではない。伯爵家と思しき家族の姿もあり、どう見ても一人の平民娘の誕生日を祝うためだけに集められた人数ではない。
「人、多すぎ……」
笑顔を崩さないまま、私は隣のカインへ小声で訴えた。
「誕生日でこんなに呼ぶ!?」
「まぁ……その……」
「またその顔」
「あとで説明する」
「今して」
横目で睨みつけたところで、ホールの奥にいたアルバトラ公爵と目が合った。
ここまで来て逃げるわけにもいかず、私はカインにエスコートされたまま客人たちの間を進んでいく。
その途中で、ようやく違和感の正体に気づいた。
皆、ただ私を見ているわけではない。
視線が私とカインの間を行き来し、ときおり私の後頭部――結い上げた髪の下から覗くうなじへ向けられている。
ツガイ紋を見ているのだ。
そこまで気づいた瞬間、胸の奥に浮かんだ嫌な予感が一気に輪郭を持ちはじめた。
やがて客人たちの前へ進み出たアルバトラ公爵が、集まった者たちへ挨拶を始める。
そして、その内容を耳にした瞬間。
私はようやく、今日の宴の本当の意味を知った。
これは、単なる私の誕生日祝いではない。
王家への正式な届け出が受理され、私がグレゴリー公爵家嫡男カインのツガイ伴として覚醒したことが、公的に認められた。
そして、それに伴って結ばれることとなった婚約を、貴族社会へ正式に披露するための宴でもあったのだ。
つまり――。
これは、私とカインの婚約お披露目会だった。
「……は?」
自分がその瞬間も笑顔を保てていたのか、まったく自信がない。
アルバトラ公爵の宣言に合わせてホールから拍手が湧き上がる中、私はゆっくりと隣へ顔を向けた。
「そういうこと!?」
「声、声! 聞こえるって!」
「嵌めたわね、カイン……!」
「俺が決めたわけじゃねぇって!」
周囲へ聞こえないよう必死に声を抑えているせいで、カインの表情が妙に引きつっている。
「親父たちの方針なんだよ。正式にお前が俺のツガイ伴だって公表された以上、婚約もはっきりさせておいたほうがお前を守りやすいって……」
「だからって、私に黙ってやる!?」
「言ったら絶対嫌がるだろ!」
「当たり前でしょう!」
「ほらな!」
それを理由に黙っていていいわけがない。
私は笑顔の形だけは崩さず、思い切り目を細めてカインを睨みつけた。
「そ、そんな目で見るなよ……」
カインの肩が僅かに縮こまる。
言いたいことはいくらでもあった。むしろ今すぐ別室へ引きずっていって問い詰めたいくらいだったが、周囲には数え切れないほどの貴族がいる。
ここで騒ぐわけにもいかず、私はどうにかそれらしい微笑みを顔へ貼りつけた。
絶対、あとで文句を言ってやる。
そう心に決めているうちに、アルバトラ公爵の話はもう一つの披露へ移っていた。
今日の宴には、カインが正式にツガイ主として覚醒し、グレゴリー家が受け継いできた祖先の力を発現させたことを、客人たちの前で示す意味もあるらしい。
促されたカインが私の隣を離れ、ホールの中央へ進み出る。
一度静かに呼吸を整え、意識を集中させた次の瞬間、その身体から妖力が立ち上った。
目には見えないはずの力なのに、周囲の空気が一瞬だけ震えたように感じた。
銀灰色の髪の間から、狼を思わせる獣の耳が現れる。
さらに腰の辺りからは、髪と同じ色をした大きな尾まで姿を見せた。
初めて見たとき、私は本当に身体から耳や尻尾が生えてきたのだと思っていた。
けれど、本を読んで知ったところによれば、あれには通常の肉体と同じような実体はないらしい。
妖力を纏うことで、グレゴリー家の祖先である獣人の性質が目に見える形で現れているのだという。妖力を解けば消えてしまうものではあるけれど、その動きは驚くほど自然だった。
耳は周囲の音を拾うように僅かに向きを変え、尾も本人の感情を映すように揺れている。
カインの先祖返りがはっきりと姿を現した瞬間、ホール中から大きなどよめきが起こった。
やがてそれは、割れんばかりの拍手へ変わっていく。
「素晴らしい……!」
「見事な先祖返りですな」
「これほど明瞭に獣人の特徴が現れるとは」
「グレゴリー公爵家も、ますます安泰でしょう」
あちらこちらから感嘆の声が上がっている。
カイン本人は大勢から注目を浴びても、表向きにはいつも通りの無愛想な顔を保っていた。
けれど、私には分かる。
腰から伸びたあの尻尾が、さっきから微妙に落ち着かない。
――あいつ、緊張してるんじゃないの。
こんな場面で少しだけ可笑しくなり、張りつめていた気持ちが僅かに緩んだ。
やがて妖力を収めたカインがこちらへ戻り、それからは二人並んで客人たちへ挨拶をして回ることになった。
正直に言えば、こちらのほうがよほど大変だった。
「お噂はかねがね。まあ、本当に愛らしいお嬢さんですこと」
「平民のご出身と伺っておりましたが、とてもそうは見えませんな」
「所作も実に美しい。さすがはグレゴリー公爵家です」
次々に向けられる言葉へ、私は教え込まれた通りに微笑み、適切な角度で礼を返した。
立ち姿も、視線の落とし方も、挨拶の言葉も、ドレスの裾を扱う仕草も、もう意識しなくても身体が覚えている。
つい先日まで、その教育にどんな意味があったのかさえ知らなかったというのに。
図書室で自分が呟いた言葉が、不意に蘇る。
――未来の公爵夫人教育じゃない。
本当に、その通りだったのだ。
八歳の頃から私へ与えられてきたものが、今日という日のためだったのだと思えば、これまで点々としていた記憶が嫌になるほど綺麗に繋がっていく。
専用の部屋も、ドレスも、礼儀作法も。
何も知らなかったのは、やっぱり私だけだった。
もっとも、集まった大人たちの多くは私に好意的だった。
平民出身であることに驚かれても、それを理由にあからさまに蔑まれることはなく、むしろツガイ伴として正式にグレゴリー家へ迎えられる私を、興味深そうに、あるいは好意をもって見てくれている。
けれど、その中に混じった若い貴族たちの視線だけは少し違っていた。
見覚えのある顔が、いくつかある。
アカデミーで同じ時間を過ごしてきた生徒たちだった。
私と目が合った瞬間にさっと視線を逸らす者もいれば、扇で口元を隠しながら、こちらへちらちらと目を向けている令嬢たちもいる。
楽団の奏でる音楽や周囲の話し声に紛れて、かすかな囁きが耳へ届いた。
「……結局、本当に婚約したのね」
「第三王女殿下がお可哀想」
「平民なのに、随分とうまくやったものね」
決して大きな声ではない。
聞かせるつもりで口にしているのか、それとも聞こえないと思っているのかも分からなかった。
けれど、私には聞こえてしまった。
その言葉に引きずられるようにして、ミモザの泣いていた顔が脳裏へ浮かぶ。
叩かれた頬の痛みよりも、涙をいっぱいに溜めた緑色の瞳のほうが、ずっと鮮明に残っていた。
私は表情を崩さないまま、ドレスの陰でそっと指先を握り込んだ。
その僅かな変化に気づいたのか、隣にいたカインがこちらへ視線を向ける。
何かを言おうとしたようだったが、私は先に小さく首を横へ振った。
大丈夫。
今は、こんなところで立ち止まっている場合ではない。
今日ここでどれほど盛大に婚約を披露されようと、王家への届け出が正式に受理されようと、それで私の気持ちまで決められたわけではない。
この婚約は、私が望んで結んだものではなかった。
ツガイだから。
私を危険から守るためだから。
国の制度として、それが当然だから。
いくつもの理由を積み上げられ、気づいたときには、まるで最初からそこにあった未来のように私の前へ置かれていたものだ。
周囲から見れば、きっと祝福すべき婚約なのだろう。
由緒ある公爵家の嫡男と、その運命の相手として見つかったツガイ伴。
華やかな宴の中で並んで立つ私たちを見れば、誰だって幸福な二人に見えるのかもしれない。
けれど私は、まだそんなふうには思えなかった。
鳴り止まない拍手と祝いの言葉に包まれながら、私は微笑みを浮かべたまま、胸の奥だけで静かに決める。
――この婚約も、いつか終わる。




