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アートランティス王国の奇跡の年  作者: 無月公主


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19/42

19.わからないけど一歩ずつ

翌日。


 私はグレゴリー公爵家に用意されている自分の部屋で、朝から一冊の分厚い本と格闘していた。


 机の上に広げているのは、アルバトラ公爵から渡されたツガイに関する資料だった。重々しい装丁の表紙をめくれば、ツガイ主とツガイ伴それぞれの性質に始まり、覚醒後に起こる身体の変化や魔力供給の仕組み、さらにはツガイ法によって定められた細かな規則まで、隙間なく文字が並んでいる。


 少し前までなら、こんな本を自分が真面目に読み込むことになるなど想像もしなかっただろう。


 けれど、もう何も知らないままでいるわけにはいかない。


 ツガイ伴になったことで本当に命を狙われ、カインは私を守るために傷だらけになった。自分の身体に何が起こっているのかも、この先どんな危険が待っているのかも理解しないままでは、また同じことが起きたとき何もできない。


 それに私は、昨日決めたばかりだった。


 いつか、このツガイというものから解放される方法を見つける。


 呪いを解きたいのなら、まずはその呪いについて知らなければならない。そう思って朝から机に向かっているのだが、決意したからといって難解な内容が急に頭へ入ってくるわけでもなかった。


「うぅ……ややこしい……」


 何度目か分からない頁をめくりながら眉間を揉んでいると、扉を軽く叩く音がした。


「どうぞー」


 気の抜けた返事をすると、ほどなくして扉が開き、カインが顔を覗かせた。


 昨日あれほど酷い傷を負ったばかりだというのに、今日はもう自分の足で普通に歩いている。身体のあちこちにはまだ包帯が巻かれ、動いた拍子に痛むこともあるらしいが、地面へ倒れ込み、いくら呼んでも目を覚まさなかった姿と比べれば、こちらが拍子抜けするほど元気だった。


 どうやら魔力供給というものは、私が思っていた以上に大きな効果を持っているらしい。


「どうだ? 分かるか?」


 カインは机いっぱいに広げられた本へ目を向けながら部屋へ入り、そのままこちらへ歩いてきた。


「うーん……」


 私は唸りながら、ここまで読んだ内容を頭の中で無理やり整理する。


「とりあえず、カインが私の魔力なしじゃ生きていけないってことは分かったよ」


「そんな分厚い本読んどいて、それだけかよ!」


 呆れた声を上げながら、カインは向かい側の椅子を引いて腰を下ろした。


「仕方ないでしょう? ツガイの身体についてだけじゃなくて、ツガイ法まで山ほど載ってるのよ、これ」


 私は本の厚みを見せつけるように、何枚かの頁をまとめて摘まんでみせた。


 読めば読むほど、ツガイというものが世間で語られるような『運命の相手』などという綺麗な言葉だけでは到底済まされないことが分かってくる。


 覚醒後の届け出から住居や護衛に関する規定、ツガイ主と伴に課せられる義務まで、昨日まで知らなかった決まりが次から次へと現れるのだ。


「全部いきなり覚えろって言われても無理よ」


「まぁ、焦らなくてもいいだろ」


 カインは頬杖をつき、私が開いていた頁へざっと視線を走らせた。


「どうせアカデミーでちゃんと習うんだから」


「アカデミー……」


 その言葉を聞いた途端、頁を押さえていた指が止まった。


 頭の中へ蘇ったのは、昨日の光景だった。


『この泥棒猫!!』


『二度と私の前に現れないで!!』


 ミモザに頬を打たれた痛みだけではない。そのあと周囲から向けられた視線も、耳を塞ぎたくなるような囁き声も、嫌になるほど鮮明に残っている。


 第三王女から男を奪った。


 友達のふりをして近づいていた。


 最初からカインを狙っていたのだろう。


 何一つ事実ではなかったのに、あの場で私は何も言い返せなかった。


「私……もう行けないよ」


 気づけば、そんな言葉が口から零れていた。


 もう一度あの場所へ戻り、同じ視線を浴びることを想像しただけで胸が重くなる。


 俯いていると、不意に額へ軽い衝撃が走った。


「痛っ!」


 思わず顔を上げると、いつの間に立ち上がったのか、カインが私のすぐ目の前に立っていた。


「何すんのよ!」


 額を押さえて睨みつけると、カインは私を見下ろしながら呆れたように指を下ろした。


「勝手に一人で結論出すな」


「だって――」


「安心しろ。俺たちが行くのは、今までの校舎じゃない」


「え?」


 思いがけない言葉に瞬きをする。


「編入するのはツガイ科だ。校舎そのものが別にある」


「そうなの!?」


 身を乗り出すように聞き返すと、カインは小さく頷いた。


「ツガイを受け入れるためだけに造られた専用校舎で、アカデミーの中でも特に警備が厳しいらしい。昨日みたいなことが実際に起こるからな。外部から簡単に入れないよう、他のどの校舎よりも守りを固めてあるって聞いた」


「そんなところ、あったんだ……」


「俺も詳しく知ったのは最近だけどな」


 そう言いながら、カインは再び向かい側の椅子へ腰を下ろした。


「今年はツガイ主の年齢には、ほとんどばらつきがないらしい。だいたい俺たちくらいだ。ただ、ツガイ伴のほうは少し年齢差があるって聞いてる」


「ふぅん……」


 少なくとも、昨日まで通っていた校舎へそのまま戻されるわけではないらしい。


 もちろん、不安が消えたわけではなかった。


 ミモザや、昨日私を責めた生徒たちと顔を合わせずに済むとしても、今度は『カインのツガイ伴』として私を知っている人間たちばかりが集まる場所へ行くことになる。


 それが怖くないと言えば嘘になる。


 けれど、ここで逃げたままでは何も分からない。


 ――私は、ツガイの呪いを解くと決めたじゃない。


 そのためには、もっと知らなければならない。この本だけでは分からないことも、ツガイ科へ行けば学べるかもしれないし、何か手掛かりだって見つかるかもしれない。


 私は開いていた本へ一度視線を落としてから、改めて顔を上げた。


「うん。行くよ、私」


 カインは少し意外そうに目を瞬かせたものの、すぐに表情を和らげた。


「無理するなよ」


「無理するのはどっちよ」


 昨日の姿を思い出しながら言い返すと、カインはさすがに反論できなかったのか、気まずそうに視線を逸らした。


 本当に、どの口が言うのだろう。


 包帯だらけの身体を見ているうちに、私はふと別のことを思い出した。


「それより、部屋に来たなら魔力吸っていってよ」


「…………いや、まだいい」


 妙に長い間が空いた。


「まだって何?」


「別に……」


 カインは明らかにこちらから目を逸らした。


 その反応が余計に気になり、私はじっと顔を覗き込む。


「昨日、定期的に魔力供給しないと駄目だって言ってたでしょう?」


「言ったけど」


「だったらすればいいじゃない」


 しばらく黙っていたカインだったが、逃げられないと諦めたのか、やがて深く息を吐いた。


「……分かったよ」


 渋々といった様子で立ち上がったので、私も髪を片手で持ち上げ、首の後ろを出した。


 昨日は自分の紋がどこにあるのか分からず散々苦労したが、一度場所を確かめたおかげで、今ではだいたいの位置くらいは把握している。


 カインは私の背後へ回ると、左手を持ち上げ、手の甲に刻まれたツガイ紋を首の後ろへ静かに重ねた。


 触れた瞬間、カインの身体が僅かに強張る。


「んぁ……っ」


「ちょっと! また変な声出さないでよ!」


「仕方ねぇだろ!」


 すぐさま抗議が返ってきた。


「俺だって好きで出してるわけじゃねぇよ! お前には分かんねぇかもしれないけど、魔力が入ってくると全身がすげぇ気持ちよくなるんだよ!!」


「はぁ!?」


 そんな説明をされても、こちらにはほとんど何の感覚もない。


 昨日は大量に魔力が流れたせいなのか、自分の中から何かが一気に抜けていくような感覚もあったが、今はそれすら曖昧だった。


 それなのに背後のカインだけが明らかにおかしな反応をしているので、どうにも納得がいかない。


「……で、どれくらい吸えば楽になるの?」


「分かんねぇ」


「分かんないの!?」


「仕方ねぇだろ。俺だって、まともに魔力供給するのはほとんど初めてなんだから」


 そう答えながらも、カインはまだ左手を離そうとしなかった。


 むしろ首の後ろへ触れたまま、心地よさを惜しむように静かに息を吐いている。


「……なんか、ずっとこうしてたいくらいだ」


「ちょっと待って。私、干からびない!?」


「……それは困る」


 私が慌てて声を上げると、カインもさすがに我に返ったのか、左手を首の後ろから離した。


 触れ合っていた紋が離れる。


 途端にカインは名残惜しそうに長く息を吐き、自分の左手を見つめた。


「はぁ……。俺も、どれだけ吸えば十分なのかまでは分からねぇんだよ」


「それ、本当に大丈夫なの?」


「たぶんな」


「たぶんって……」


 不安になる私をよそに、カインは本で読んだ知識を思い出すように少し考え込んだ。


「ただ、ミッケの身体は俺に合う魔力を作るようになってるらしい。それで、俺がその魔力を受け取るときには、俺の中にある余分な魔力を逆にミッケへ流せるみたいなんだ」


「……戻ってくるの?」


「ああ。だから、俺が一方的に吸ってるだけじゃなくて、互いの間を魔力が巡ってるって考えたほうが近いのかもしれねぇ」


 私はしばらく黙ってカインを見つめた。


 私の身体で作られた魔力がカインへ流れ、代わりにカインの中にある不要な魔力が私へ戻ってくる。


 頭では、そういう仕組みなのだと理解できなくもない。


 けれど、自分の身体の中をカインの魔力が巡っていると考えた途端、何とも言えない気分になった。


「……なんか気持ち悪いわね」


「おい」


 カインの顔が露骨に傷ついた。


「そういう言い方やめてくれ。普通に傷つく」


「あ……ごめん」


 思わず素直に謝ると、カインはまだ不満そうな顔をしたまま椅子へ座り直した。


 私はそんな彼を横目に見ながら、机の上に広げた分厚い本へ再び視線を戻す。


 読めば読むほど、ツガイというものは訳が分からなくなっていく。


 魔力も、妖力も、身体の変化も、法律も、これから通うというツガイ科も、まだ知らないことばかりだ。


 けれど、それなら一つずつ知っていけばいい。


 知らないまま怯えているより、何が起きているのかを理解したほうがいい。


 そして、全部を知ったうえで探し出すのだ。


 私とカインを繋いでいる、この奇妙なものから自由になる方法を。

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