第32話 崩れた均衡
崩れ始めたのは、予算だった。
外縁区画に割り当てられていた補助金の一部が、突如「再精査」の名目で凍結された。
理由は曖昧だが、手続きは正規。
異議を唱える余地は、ほとんどない。
「……露骨ですね」
ハロルドが、書類を握りしめる。
「ええ」
私は、冷静に答えた。
「特例区画が“自立できるかどうか”を試しているのでしょう」
物流も、わずかに遅れ始めた。
中央倉庫からの物資搬送が、優先順位の変更で後回しにされる。
制度の外からではない。
制度の内側からの圧力。
それが、最も厄介だった。
数日後。
倉庫街で混乱が起きる。
本来届くはずの医薬品が届かず、応急処置が遅れた。
大事には至らなかったが、一人の子どもが高熱で倒れた。
「……私の判断です」
私は、報告書にそう書いた。
本来なら、中央に正式照会を出し、許可を待つべきだった。
だが、待てば間に合わないと判断し、備蓄を優先的に回した。
結果として、別の場所で不足が生じた。
小さな失敗。
だが、責任は明確だ。
中央会議が、再び開かれる。
「これが、特例の現実です」
第一王子の声は、静かだった。
「善意と覚悟だけでは、国は回らない」
反論は、できない。
失敗は、事実だ。
視線が、第二王子へ向く。
レオンハルト殿下は、立ち上がった。
「今回の混乱は、私の責任です」
場が、わずかにざわめく。
「特例区画の最終責任者は、私です」
逃げない。
言い訳もしない。
「処分を受け入れます」
その言葉に、空気が止まった。
「ですが」
殿下は、続ける。
「失敗が起きたからといって、責任を分散させる形に戻すつもりはありません」
第一王子が、目を細める。
「まだ続けると言うのか」
「はい」
殿下は、はっきりと答えた。
「失敗は、責任を明確にするための代償です」
沈黙。
「兄上」
殿下は、静かに言った。
「私は、王位を望んでいません」
その一言が、場を凍らせる。
「だが、引き受けた責任からは逃げません」
それは、宣言でも挑発でもない。
ただの事実だった。
会議は、結論を先送りにした。
だが、流れは明確だった。
――第二王子は、処分される。
夜。
外縁区画に、噂が広がる。
「殿下が外されるらしい」
「特例が終わる」
私は、広場に立っていた。
集まったのは、商人、職人、母親、神官。
「……終わるんですか」
誰かが、問いかける。
私は、答えなかった。
代わりに、言った。
「判断は、王宮が下します」
それだけで、十分だった。
沈黙のあと、年配の職人が前に出る。
「なら、俺たちも言う」
彼は、静かに言った。
「責任を取る人間を、外すな」
次々と、声が重なる。
「失敗はあった。でも、逃げなかった」
「待てと言われるより、選んでくれる方がいい」
暴動ではない。
怒号もない。
ただ、選択。
私は、胸の奥が熱くなるのを感じた。
制度が人を守るのではない。
人が、制度を選び直す。
その瞬間だった。
翌朝。
王宮の門前に、嘆願書が届けられる。
連名。
数百名。
求めるのは一つ。
「第二王子殿下を、特例区画の責任者として留任させよ」
王宮の空気が、変わる。
第一王子は、静かにその書面を見つめていた。
数字ではない。
暴力でもない。
ただの、選択。
しばらくして、彼は小さく息を吐いた。
「……責任を引き受ける者、か」
その言葉は、否定でも肯定でもなかった。
だが、流れはもう決まっていた。
王とは、誰か。
答えは、剣でも血でもなく、
静かな声によって示されようとしていた。
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