30. Yet, I can’t reach you.
目覚めたシーツの上で、つい癖でふわふわ毛玉を探してーーーーストゥはいないのだと落胆する。実の姿は勇者アーガスだったわけだが、あまりにも長い間をともに過ごした相棒だった。まだ完全には消化しきれていない。
黄色の強い金髪の隙間から淡い緑が覗く。「おはよう」と言うのは、ミュゼッタを愛してくれる夫だ。
「おはようございます」
ミュゼッタと同時に起き上がったかと思えば、彼はあぐらを組んでぼーっとしている。おかげで垂れ目のようになって、顔立ちが甘くなった。それでも寝起きの美貌に揺らぎがない。
騎士たちといる場に同席することが多く、ピシリとしたフォーティスしか見ていないので、ゆったり楽な姿勢をとっている姿は貴重かもしれない。いや、これから珍しくなくなるのか。彼の妻となったからには。
挨拶代わりに軽いキスをすれば、ころんと転がされた。左肩に濡れた感触があって、声を上げる。
くつくつと笑う姿はすっかり目が覚めていた。
「中途半端な時間だね。ブランチにしようか」
レースの肩紐を首元へ引っ張っているうちに、フォーティスは寝室を出てしまった。
結婚式以降、ミュゼッタはのんびり過ごしている。夫が妻のために管理する日程はかなり余裕を持って組まれていた。
前世で積み重ねた恨みはふっきれたからか、治癒魔法もありふれた光の形をしている。
だから、大聖女としてのお勤めを果たす頻度は月に一度。
各地の魔物退治も小旅行の体をしていて、ミュゼッタが力を存分に奮えるため深刻な被害は出ていない。
かといって完全な夫婦かといえると、即答ははばかられた。フォーティスは抱きしめてくれるし、キスをしてくれる。ただし親密な触れ合いはそこまで。二人の間には寂寥があった。
手を伸ばせば握ってくれるけれども、目が合わない、といった具合に。
結婚式の夜からそう。
前世夫が現世夫へ突撃というあわや修羅場から月単位で日は過ぎた。夫婦の時間を楽しむ、という雰囲気から外れてしまい、それから進歩もない。彼はやさしいけれどこれまで強引なほうだった。なのに、踏み込んでこない。好意をひけらかすフォーティスに押し負ける形でずっときたから、ミュゼッタからの近づき方もわからずにいる。あの夜ミュゼッタが夫婦の寝室に入る前、フォーティスとアーガスは何を話していたのかも聞けないまま。
プロポーズで繋がったーーと感じていた心が遠ざかっていく。
ミュゼッタ、と切り出されたときにはお茶を一口飲んだ後だった。ミルクを加えてもお砂糖はなし。
沈んだ様子のフォーティスの両手は組んだ足の膝上に重ねられている。
「ちょっと旅行に付き合ってくれる?」
「騎士団を連れての浄化ではなくて、ですか」
国からの依頼とは違う誘われ方だったのでそう尋ねた。
「うん、違う……勇者アーガス絡みなんだけど」
ソーサーにカップを戻して、ミュゼッタは首を傾げた。
「行きますよ、もちろん」
快い返事にありがとう、と重い金のまつげを少しだけ上げて、秘密を打ち明けるように告げる。
「実は男同士で話したときにね、勇者の忘れ物を取りに行ってくれ、って頼まれたんだ」
もやもやとするわけではないけれど、不思議だった。
友人だったミュゼッタではなく、面識のないフォーティスに頼む理由がわからない。男性でないとダメなことなのだろうか。それは一体どういった事柄なのだろう。
どうにも気が進まない、といった態度なので心配になった。フォーティスが何かの判断を迷うなんてこと、なかったから。ミュゼッタの治癒魔法を試すときから、魔王になりそうな魔物を倒すためにミュゼッタを逃がそうとした瞬間でさえ。
「……行きたくなければ行かなくてもいいのでは?」
単純にそう思った。いくら頼まれたとはいえ、依頼者は実害のない幽霊だし、呪うぞと脅されたわけでもなし。それにフォーティスならば呪いも笑って指先で弾き飛ばしそう。彼が信念に従って他人に我を通すことはあっても、周囲からものごとを強制されることはない。彼自身が指示に納得しない限り。
だから、フォーティスは断ったり、無視することもできる。
「まぁそうなんだけどね」
ミュゼッタの思考を知ってか知らずか、フォーティスは体から力を抜いた。
「その勇者の置き土産が世界の浄化にわりと役立ってるとかで、一度具合を見てほしいってさ」
正常に動いているかどうか?
装置か何かなのだろうか。研究からは縁遠く発明家タイプでもないあの人が?
それでもアーガスの、個人的な願いでもなかったのは勇者らしいというか。
「大聖女コルネリアの最期を看取った地でもあるらしい」
灰になった後の彼女だけを持ち帰った勇者アーガスは愛する人の最期の様子を秘したいと、オデッサにも詳しい場所を教えてくれなかった。無理に悲しい記憶へ触れることを遠慮して、こちらから訊くこともできなかった。大聖女の墓は立派なものが王都の墓地に建てられていて、一般人も参拝自由となっている。
Yet, I can’t reach you.
(まだ、あなたを遠く感じる。)




