20. Here I am again.
問答無用で訪れてしまった陛下との約束の日。
準備があるから早めに迎えに行くね、とフォーティスがにこにこしていたのを妙だと一度は首を傾げたのだ。もっと自分の勘を信じればよかった。ミュゼッタが持ち得るなかで一等上質の服で彼を出迎えれば、ほらほらと馬車に乗せられ、王宮からは遠ざかっていくので混乱した。
「陛下がおられるのは王宮ではないのですか?」
「準備があるからねって言ったよね」
馬車が道を曲がりずいずい門をくぐって入っていく。
「ここは……」
「私の家だよ」
家というより豪邸を通り越して屋敷、いや城だ。前世でミュゼッタが住んでいた、勇者アーガスに与えられていた家屋と負けるとも劣らずな。
騎士でも団長ともなればこれくらいの家が持てるのか。
フォーティスに手を引かれて、やがて侍女に引き渡された。
周囲の景色がぐるぐると早くてよくわからない。わからないうちに、なぜだか新しいドレスをまとっていた。前世では聖女の制服が正装だったし、結婚してからも着飾ることはしなかった。このドレスは下地である濃い緑の布の上から透ける白のレースが覆っていて、遠目からだと中間の緑に見える。癒しの色の効果のおかげか、化粧もあいまって姿見の中のミュゼッタはやさしい雰囲気を作っていた。
ぽんと押し出された玄関では、フォーティスが待っていた。
ドレス姿のミュゼッタを見た途端、ふわっと彼の目元がゆるむ。
部屋に押し込まれる直前に
「王にまみえるのだからそれなりの格好をしなくてはね」
と、言っていたフォーティスも普段より華やかな礼装に着替えている。動いてもしわのよりにくい最上級の生地と体に沿った縫製は優美としか言いようがなく、もともとの背の高さに加えて脚の長さが強調されている。この隣に立つのかと思うと足がふらついた。
「うわ……、美しいですね」
「うん? ありがとう。ミュゼッタのドレス姿は新鮮だね。初々しくてデビュタントのご令嬢のようにかわいらしい。恋人として守らねばと気合が入るな」
褒め倒されてぼぼっと体温が上がる。こ、恋人とか言うし。
手を掬い上げられて、かがんだフォーティスから見上げられる。
「なんとかミュゼッタの可憐さを引き立てられるドレスが見つかってよかったよ」
ちゅっと指先へのキスもぬかりない。
「唇にできないのが残念だ。紅が取れてしまう」
それ以上の発言を止めるべく、ミュゼッタは強引に舌を動かした。
「ここまで気を回してくださりありがとうございます! こんなにきれいなドレスはじめてです」
「そう? 私の色のドレスがよかったんだけど」
くす、と薄緑の目を細める。
「なんてね。さすがに今回生地から仕立てるのは間に合わなかったんだ。ちょっと手を加えるぐらいがせいぜいで。ごめんね」
「とんでもないです」
腰を抱き寄せられて、思わず逃げ出そうとした。剛腕に阻まれたけれど。
「逃げない。私たちは婚約したんだよ。それで通すからね」
「はわぁぁぁぁ」
婚約の事実が頭にも心にも浸透してなくて、聞きようによってはため息みたいな返事になってしまった。
「不服かな?」
「それこそありえません。ビドジール団長さまと婚約だなんて信じられないだけです」
しかめっ面を引っ込めたフォーティスはミュゼッタとともに馬車に乗った。
王宮まではすぐだ。しかし馬車は門を出るまでにも時間がかかる。
「ミュゼッタ」
窓の外から目線をフォーティスに移した。
「さっき、私のことをなんて呼んだ?」
「ビドジール団長さまと……あっ」
「わかってるならちゃんと呼んでごらん」
名前で呼ばなかったことを拗ねている。
「フォ、フォーティス」
「あと三十回」
「さん、ええっ……」
豪華な礼服が威圧をいつにも増している。馬車の中で彼の名前を呼び捨てにする練習を延々とさせられた。
馬車が停車する。
ストゥがミュゼッタから離れ、フォーティスに乗り移った。
「私のもとにくるなんて珍しい。どうしたんだい?」
小さな前足で、トントンと肩を叩く。それでフォーティスは何かを感じ取ったらしい。
「……ああ、任された」
王宮内に騎士や護衛の従属種でもない無認可のペットを連れて行くことはできないので、ストゥは馬車にてお留守番だ。
「いってくるわ。いい子でね、ストゥ」
座席に丸まるストゥを撫でた。
伸びる石畳は掃き清められ、砂の一粒もない。行き先には歪みもなくまっすぐと導いているのに、ミュゼッタは方向感覚を失った。回廊に、揺れる黄薔薇が活けられていたから。黄薔薇は大聖女コルネリアの髪の色。そして麗しい彼女そのものを指すこともあった。
ーーあの薔薇のそばを通らなければならないなんて。
足が竦んで歩けなくなった。オデッサの人生で何度もこの王宮にやって来た。建物は経年劣化はしているが、荘厳な雰囲気は変わらず、掘り起こされそうになる記憶と感情を必死に押さえ込む。走馬灯のように次々と前世の場面がーー痛みが浮いては消えた。
心臓はうるさいのに、手足は冷えていく。
王宮には貴族ばかり。大聖女コルネリアの不在を埋める存在、二番目の聖女としてオデッサは召されることがあった。教会で礼儀作法を仕込まれたとて、貴族はその血を尊ぶ。
下働きのメイドですら貴族で、両親や後ろ盾のないオデッサをさげずんだ。コルネリアは高位貴族出身であったから、比べられもしていた。
あれから百年経っているのに、その角やあの壁の前で投げられた侮辱が耳を病む。眼差しで切りつけられる。フフフ、ハハハと笑い声で心が引き裂かれる。
カタカタと手が足が震えて止まらない。
「ミュゼッタ」
額に落とされた唇で力が抜ける。現世に戻ってきた。フォーティスからのキスは解放の魔法のようだ。
「いやなら、また日を改めようか」
「……いつでも同じことです。失礼しました。参りましょう」
強がると、彼の眉が下がっている。ミュゼッタが微笑んでやっとフォーティスは歩き出した。
通りすがる目線はすべてフォーティスがかっさらってくれたので、ミュゼッタはただ前を向いて歩くだけでよかった。
Here I am again.
(またここに戻ってきた。)




