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19. I’m nuts.

 「好きだよ」とフォーティスは言った。ミュゼッタに向かって。どれだけ時間が経とうとも、まったく理解できそうにない。


 フォーティスは自分が落とした灼熱の隕石がまるで綿も持ち上げられないそよ風だったかのように、別な話題を持ってきた。


「ねぇ。気になることを言っていたけど。

 教会にはミュゼッタが聖女になった記録も、役所に結婚した経歴も残されてなかったんだよね。これはどういうこと?」


 ミュゼッタが騎士団に連行されて、取り調べを受けたときにはもう、ミュゼッタの出身も来歴も彼は把握していたのだろう。それは前世オデッサとは全く異なるもの。


「あ…………」


 彼の胸を借りて泣いたときだ。ぐずぐずになりながらうっかり話した内容をフォーティスはしっかり胸に留めていた。


「きみの口から聞いたことを信じる。だからちゃんと話してほしい。じゃなきゃ、ミュゼッタをめちゃくちゃにして外に出れなくしてしまうよ?」


 ちょっとちょっとちょっと。熱烈な告白後に監禁宣言とはこの人の思考回路はどうなっている。こちらの感情処理が追いつかない。


 すでにこの色男のせいで現在外を歩ける顔ではなくなっているのだが。高熱や病いを疑われて避けられること必須。


 あえてフォーティスはミュゼッタの個人情報を守っていたというのに、ミュゼッタ自身が疑念を植え付けてしまった。


 どのみち隠そうとしても彼には全て暴かれてしまうのだ。

 それもいいか。いっそ引かれてしまえ。


 ミュゼッタとして結婚歴も聖女を目指した事実もない。


 だってそれは、


「すべて前世で起きたことです」


 ついに打ち明けてしまった。むかし、寂しくて愚痴のように垂れ流した先のストゥ以外知らないこと。


 胸の中心が騒がしい。

 どうして言ってしまったのだ、彼に失望される、嘘つきだ、気でも違えたのかと思われるーーという後悔と。


 本当のことを言えてよかった、少なくとも自分の中では正直でいられたのだーーという安堵と。


 大きく見開かれた薄緑の目はだんだんと細まり、ミュゼッタの真実を見極めようとしていた。最高潮にあった心拍数が落ちていく。


 緩んだフォーティスの拘束の内側で、ミュゼッタは横を向く。せめて意趣返しに、と皮膚の厚い手のひらにちう、とすぼませた唇をつけた。痕などつけられなくとも、このぬくもりだけは覚えておこう。


「信じてくださらなくてけっこうです。わたしは頭がおかしくなってしまいました。さようなら」


 足を引けばたたらを踏む。


 離れようとしたのに、彼の両腕はミュゼッタの体にまとわりついてきた。


「どこにも行かせないよ。いまのは『墓場までよろしく』のキスだよね?」


 ずいぶんな曲解だ。


「さよならって言いました」


 手首を取られる。ミュゼッタがしたよりもしっかりと、長くキスが手のひらに吸い付いた。あたかも痕をつけようとしたかのように。


「だめ。信じるから、行かないで」


 澄んだ瞳に熱がこもる。


「好きだよ」


 とくり、と一拍大きく膨張した心臓とともに時が止まった。


「はぇ……?」


「その反応、もどかしいね。ほんとうにわからないかな。 言ったよね、前に。鈍さはいつか誰か()を狂わせるよ、って」


 一晩をミュゼッタの家で過ごしたときの言葉だ。


 では、あのときからすでにフォーティスはーー?


「個人的にミュゼッタの身上調査して、多少強引にでも手に入れたいくらいには狂ってるよ。ミュゼッタがちゃんと話してくれるなら暴走はしない。だから前世のこと教えてくれるよね」


 語尾も上がらずほとんど命令だった。キス以上の暴走というとろくなことではなさそうだ。この脅しには屈するしかない。


 教えるのならぜんぶぶちまけてしまえ。理解してもらえなくったっていい。


「百年ほど前のことです。前世でもわたしは孤児でした。まっとうな治癒魔法と少しの浄化の力に目覚めて、教会に登録して聖女となりました。それから知り合ったアーガスさまとコルネリアさまはわたくしを友と呼んでくださいました。結婚は魔王が倒されたあとに……王族によって決められた方と」


 二つの名前の組み合わせをフォーティスは知っていた。質のよい教育を受けた貴族でなくとも、平民の七歳の子どもでさえ彼らの生き様を語れる。


「……勇者アーガスと大聖女コルネリア?」


 首肯したが、フォーティスは微妙な顔つきをしている。


「疑ってるわけじゃないよ。勇者と大聖女の友人って読み物でも歴史でも習った覚えがなくて」


 物語では、勇者と大聖女が強大になりすぎた魔王討伐のために出立して、国の悲願を叶え敵を打ち倒したところで終わる。終わりを美しく仕上げるために、恋人同士だった二人が結ばれたとする一説もあった。大人向けでは、魔王を倒したときに大聖女が亡くなる真実を加える。物語は二人の関係が中心であって、彼らの友人関係については省かれていた。


「その程度の女です。わたくしは……いつでも二番手でしたもの」


 声の変化を感じ取ってか、フォーティスは頬を近くに寄せた。背中をゆるゆると骨ばった手が滑る。


「大聖女コルネリアが一番で、ミュゼッタがその次ということ?」


「わたくしなんかの力は、大聖女さまにとてもじゃないけど及ばなかったんです。証拠にコルネリアさまが亡くなられた後も大聖女には任命されませんでした。結婚できたのも王命だったからで、恋愛なんて……」


 魔王を倒しても大聖女は生き残れなかった。ひとりで帰ってきた勇者は婚約者を亡くしひどく失望した。背けぬ王命で二番の女を娶ったが、想いを交わすこともなく終わる。平和な時代にその後力を奮うことはなかった。子孫もいない。


「前世のきみの名前は?」


「オデッサ。……オデッサ・オダルナット」


 切ない眼差しはミュゼッタの心臓を遠慮なくわしわし揉む。彼に泣きそうな顔をされたらどうしていいやら。


「私はオデッサの人生のぶんもまとめてきみを愛したい」


 甘い言葉に陥落して、内側で壁が崩れていく感覚がした。


「辛かったね。人間不信にもなるわけだ」


 ほんとうに?受け入れてくれるの。信じていいの。

 そんな疑問は視線を交わせば伝わってしまったようだ。


「私はミュゼッタが好きだし、信じるよ。力を隠したいって泣くわりに、土壇場になると人を救ってしまう。かつ、それで恩を売ることもしない。ミュゼッタが聖女でないなら、誰も聖女になれないね」


 聖女でなくとも、力がなくとも困っている人間に手を差し伸べる者はたくさんいる。首を傾げた。


「ともかく、ここまで私の気持ちを暴いたんだ。婚約してくれるよね?」


 特攻する勢いで気持ちを投げつけてきたのはフォーティスのほうだけれど。


 拒否権などないんだろうな、と悟ったのでうなずいた。きょとん、とする薄緑の瞳(ティー・グリーン)が透き通って見えた。


「てっきり断られるのかと思ったけど、婚約してくれるんだ?」


「了承するまで粘られそうじゃないですか……」


「ミュゼッタは人に甘えないようでいて妙に素直なのがクセになるな。私の性格をわかってきてはいるようだけどもうちょっとだ。婚約をいやだと言われたら、後戻りできないところまでやるところだったよ。私も本気だから」


「え…………?」


 後戻りできない、とはどの方面で? などと恐ろしくて訊けるはずもなく。


「私を婚約者にしてくれるなら、名前で呼んでくれる?」


「フォーティスさま……?」


「さまは要らないからもう一度」


「フォーティス、で、いいんですか?」


 ご褒美のように髪を撫でられる。


「うん。じゃあ王さまに私たちの仲を見せつけてやろうね」


「恐れ多すぎて無理です……」


 それ以前に恋人歴もない即席婚約者なのだから、ありもしない親密さををどう見せつけるというのか。フォーティスはすっかりその気分になっているけれど、ミュゼッタは前世から恋人がいなかったので作法や距離感がわからない。




I’m nuts.

(私/わたしは狂ってる。)

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