15. The light of despair.
後日、エンタジニア市の教会所属の聖女がひとりカンブー渓谷の浄化に加わった。
「キャロラインと申します。みなさまにおかれましては先駆けの魔物討伐お疲れさまです」
きっかり角度をつけた礼をした。特定の人物に親しげにすることもなく、かといって過剰に冷たくすることもない。
カンブー渓谷の入り口からさっそく、キャロラインは浄化し通しだった。
こまめに立ち止まってはひとり働く。浄化が滞りなく行えるよう前準備として魔物を倒したのは騎士たちではあるが、聖女は体力のある彼らとは違う。浄化の力を一日中使える能力があれど、それは基礎体力とは別のものだ。二時間も歩けば当然鍛えてない肉体は疲れる。
「キャロラインさま、お休みになりませんか」
声をかけたミュゼッタに聖女は顔をしかめた。
「いいえ、予定より遅れておりますから」
額に玉となる汗をかくほど疲弊しているというのに、提案を受け入れない。
自然環境にいる生き物に瘴気が取り込まれるぶんにはまだ脅威ではない。ところが瘴気が凝縮して固まり、動物の意思を乗っ取って魔物となり、魔物がさらに結合を繰り返して強大化し知恵をつけると最終的に魔王と呼ばれる存在へと変貌する。成長した魔物は人間を襲い、獲物を食えば食うほど知恵をつけるらしい。
瘴気の段階で浄化することが肝心だ。それなのに瘴気がここまで広範囲に広がっているとは予想外だった、とキャロラインは焦っていた。
「休憩を」
見かねたフォーティスが歩みを止めさせようとすれば、キャロラインは前を行く騎士を押し退けて進んだ。
「不要です! 浄化を早く終わらせねば」
「わかりました。
アブネル、ドルー、陣を崩すな」
騎士たちは団長に謝罪をして、聖女の前に出る。ミュゼッタがこっそりフォーティスを見ると、これこそが彼が話していた「違った心配」であると分かった。
真面目ではあるが融通のきかない聖女の性格が彼の懸念だった。これで谷の中で倒れられでもしたほうが厄介だ。
決められたお昼の時間になれば聖女は座ってくれたが、背筋を伸ばしつつも疲労は色濃く出ている。
昼食を終えた聖女が誰よりも先に立ち上がったために、団員たちも合わせて腰を上げる。
谷の奥はますます瘴気が凝縮していた。
聖女とミュゼッタは強制的に後ろに下げられる。
「魔物が魔物を食ってやがる……」
先頭からそんな声が聞こえてきた。
さらに強くなるために。知恵をつけ、より凶悪な存在になるため魔物は捕食を繰り返す。
フォーティスが背後を指差した。
「この人数では戦うほうが危険だ。 撤退する」
「わたくしが全力で聖願魔法をかけます」
「なりません!」
「やります。いまできる限りのことをしなければ、被害は広がるばかりです」
キャロラインの手が祈りの形に組まれた。
「ーー”Sustain me with your holy flame
so I may repel the evil forces. “ 」
ーーわたくしを聖なる御力で励ましてください。
その御力で魔を退けます。
言葉とともに、清らかな光が溢れる。
魔法に気づいた魔物が、肉片のぶら下がる骨を吐き捨てる。これまで何十体、何百体の魔物が合体してしまったのか。体を膨らませて、それは聖女目掛けて地を蹴った。
直接的な攻撃には騎士たちが応戦する。三人では敵わず、加勢を五人に増やした。
刃が通ってもまるで効いていない。もっと強い聖願魔法でなければ。確かに浄化の力は目に見えて光として放出されているけれども、瘴気が集まるほうが早い。疲れている聖女では押し負けてしまう。
ついにはキャロラインの放つ光が弱まっていく。
今生でも、ミュゼッタは魔王となるまで深刻化した魔物を見たことがない。しかし目の前の魔物は勢いよく瘴気を吸い込んでいる。中途半端に怪我を負わされ、いきり立った魔物はこの場の人間を襲い尽くすまで止まらないだろう。
ミュゼッタの前にいた聖女がふらりとくずおれた。
後備えの騎士も、フォーティスも参戦して押し返そうとしている。団員二人が魔物に吹き飛ばされて、地に伏した。
もう、逃げるには遅い。
巨大化していく魔物は、この場でどうにかしなければ騎士を食べ聖女を食べ、町の人々を糧にしてゆくゆくは魔王へと進化するだろう。
瘴気混じりの苦々しい息をミュゼッタは吸い込んだ。
胸の前で手を組み、聖書の一節を文言通り神へ祈る。
ーー主よ、あなたの敬虔なる使徒として祈ります。
O giver of life, O cleanse in poor souls.
おお、命を恵む者よ、おお、哀れな魂を浄化したまえ。
フォーティスは剣を振るい続ける。
キャロラインが、聖女がーー唯一対抗できる手段が失われた。あとは自分と部下たちでどうにか押さえつけ、戦えない者の命を優先しなければならない。
「ミュゼッタ、逃げろ!」
ひとりでも多くの生還者を、とフォーティスは叫んだ。
背後からの光に目を焼かれる。聖女キャロラインはすでに倒れた。誰が浄化を。森に入ってきた第三者がいるとでもいうのか。
やっと明るさに慣れたころ、おぞましいほどの光は騎士の隙間を縫って魔物に突き刺さっていた。瘴気が剥がれていく。浄化の力が強すぎて肉体や骨までもが融解していた。とてつもない力だ。
さくさくと複数の剣が魔物の体をちぎる。先ほどと比べて手応えもなにもない。地面には毛の一本、血の一滴も残らなかった。
横たわる聖女を足元に、ミュゼッタが手を組んで祈っていた。
なのに顔は絶望している。はじめて出会ったとき、縄をかけようとしたときよりも悲痛な表情だ。
どうして、と愕然とする。ミュゼッタはこの場の救世主だというのに、まるで過ちをおかした贖罪者のようだった。
谷本来の澄んだ空気が満ちていく。
聖女ではないのに聖願魔法を放った者に向けられた目、そのどれもが驚愕に染まっている。
聖願魔法が使えるのなら進んで国へ申請するのが通常心理であり、秘匿するほうがおかしい。国から保護されるから最低限の生活の保証はもちろん、うまくやれば貴族にもなれるし、他からの尊敬も集める。
ミュゼッタの場合はなおさら、勘違いされやすい治癒魔法を使うより聖願魔法で売り込んだほうが生活は一層楽だった。はずだ。
光がふわふわと谷の闇に溶けていく。
「周囲を確かめて来い。ほかに魔物がいなければ町へ戻るぞ」
騎士が四方に散らばったのち、フォーティスはミュゼッタに近づいた。
「ミュゼッタ、ありがとう」
低い位置で彼女は唇を噛んで首を振る。怪我を負って動けなかった騎士たちに治癒魔法をかけると、彼らもすぐに周辺を調査しに出てしまった。
「きみに治癒魔法以上の秘密があったとはね。もっと早く知りたかった」
「申し訳ありません、ビドジール団長さま」
できることなら使いたくなかった技だったと、ありありと浮かんでいる。それならいの一番に逃げればよかったものを。ミュゼッタは己の命の危機に誰かを見捨てて逃げることもしなかった。
「ありがとう、って言ったんだよ。おかげで全員助かったんだからね」
彼女が組んだ手の上に自分の手を覆い被せる。
ミュゼッタは顔を上げた。くすんだ赤紫色の瞳はまだ祈っている。どうかこれが非現実でありますようにと。現実には向き合いたくないと。
紫は高貴を表し、かつて金銀よりも高い価値があった染め物と同じなのに。彼女はどこまでも彼女自身を下に見る。
「この聖願魔法を、キャロラインさまが使ったことにできませんか」
倒れたキャロラインは、団員ミハスの背に背負われようとしていた。
「……それは町に帰ってから話そう」
ビスコッティに乗るときもフォーティスは彼女を手伝ったが、彼女はこわごわとしていた。部下たちには口外禁止の徹底を申し渡したほうがよさそうだ。
The light of despair.
(絶望の光。)




