26 覚醒
クララ家の朝食は、結構早い。
鶏の、こけこっこーの声が聞こえる頃にはもう、料理人が朝食を作り始めている。
いつも朝の準備に時間がかかる私が、どうしてそれに間に合うのかというと、答えは簡単。それよりずっと早く起きるから。長きに渡る引きこもり生活で歪んだ生活リズムは、学園に入って半年経った今でも続いていた。
つまり、今日みたいに寝坊した日は準備が間に合わないということ。幸いクララも朝は早い方だったからぎりぎり間に合うかどうかくらいではあるけれど、一人なら詰んでた。
「……もう、クリスティナちゃん!早くベッドから降りて下さい!まさか、いっつも起きてからそうやってぼーっとしてるんですか?」
「んー。まぁそんな感じ……?」
「ああああ!目の焦点が合ってませんクリスティナちゃん!昨日よっぽど疲れる特訓だったんですね……。ルドヴィンさん、スパルタ系だったんですか?」
うーん、昨日何したんだっけ?倉庫に入ったところまではなんとか覚えてるけど、そこから先の記憶が無い。記憶が飛ぶ程頑張ったのかな。確か幽霊がきたのは夕方だったから、だいたい半日寝ていた計算になる。
あー、何を考えても夢が邪魔してくる。
落ちようとする私は、必死に柵にしがみついて、震える足を無理やり持ち上げて。あいきゃんふらいとは程遠い無様さだった。最後も、バランスを崩して手を滑らせたと言った方が正しかっただろう。
なんだかなー。私個人としては、もうちょっとカッコよかったはずなんだ。ちょっとよだれもこぼれそうだったし。前半の人格面での駄目っぷりも、ちょっと残念だった。
「なんで神様は私を転生させたのかな……」
「え?クリスティナちゃん?何か言いました?」
とにかく、割と時間が迫っている。ワチエ子爵は一秒たりとも朝食に遅れないので、私達も間に合わないわけにはいかない。
未だにくらくらしてる頭を無理やり動かして、ベッドから地面に足をつける。
この上下運動が頭に辛いんだよね。
この変な気分を今日一日引きずりたくはない。立ち上がった私は両手で頰を張って、気合いを入れた。
「クリスティナちゃん⁉︎それも毎朝の日課ですか⁉︎」
「んー、んーん」
「分かりませんクリスティナちゃん!とにかく手を万歳してください。早く着替えますよ!」
さすが世話係。
なんとか朝食に間に合った私は、食べ終わった途端アルバートに連れ去られた。連行先はもちろん勉強部屋である。
「アルバート様、今勉強すると消化に悪いと思われます」
「クリスティナ、諦めて勉強に取り組んでくれ。次の学力試験でクリスティナが低い成績を取ると、さすがに僕も擁護出来ない。ほら、学園に来てすぐの頃、一度僕の同級生と一緒に昼食を食べただろう?あいつがクリスティナの名前を出すたび反対してくる」
「婚約者の座というのは学力程度で危うくなるものなんですか?」
「いや、学力程度っていうのはなかなかの衝撃発言だけど、うん。原則として、そのくらいじゃ婚約者である事は変わらないよ。ただクリスティナの場合は、ほら、全然お茶会とかにも参加しないし。根も葉もない噂もあったりするしで、学力が重要になってくるんだよ」
へー。どうでもいい。アルバートにときめいたのは事実だけど、ハッピーエンドではもっとすごい人が待っているはず。
それに私、宰相の娘だよ?最近は、私は転生者って唱えるより私は宰相の娘って唱えた方が落ち着く。
もはやチートも無いも同然だからね。まだ隠しキャラ的な人とかが現れない乙女ゲー開始推定四年前、頼りになるのは家名だったりする。
「昨日はルドヴィン先生が来て、途中で終わってしまったからね。とりあえずその続きからやってみようか」
「アルバート様、私アルバート様のことが大大大っ好きだから、ね?私今日はアルバート様とピクニック行きたいな」
「今のところ自由時間の外出最高記録がこの家の犬小屋であるクリスティナが何を言うんだい?棒読みで大好きって言われるのもまたちょっと悲しいから、諦めて初めて欲しいな」
「…………」
「本当はこういう言い方はしたくないけれど、でも事実だから言っておくよ?クリスティナの昼食のメニューは、僕が決める事になっている。確か今日は抹茶味のドーナツの試作品があったはずだけど」
「今すぐ勉強始めます、いえさせてください」
すぐさま机に向かい、ペンを持つ。今日の私はやる気十分だ。何より試作品を作ったってとこが気に入った。何分で睡眠に入るか分からないけれど、起きてる間くらいは数字とにらめっこしてやらんでもない。
そう思っていたのだけれど。
「ありゃ」
「おろろ」
昨日半日かけても理解できなかった算数が、簡単に分かってしまったのである。
「クリスティナ、今日はすごいじゃないか!昨日ルドヴィン先生に一体何を教えてもらったんだい?」
「さあ?私も全く覚えていません」
「倉庫を使うと言い出すから何をするのかと思ったら、さすが先生!クリスティナがまるで別人のようだ」
数式が、すらすらと頭に入ってくる。まるで日本語で計算してるみたい。普段言葉を話すように数式を解くことができる。
あの幽霊、何をしたのかは分からないけれどすごいことをしてくれたようだ。初めはかなり警戒していたけれど、多分まともな味方だったんだろう。大体一作品に一人はいる万能系お助けキャラといったところだろうか。
……今度会ったら服のセンスでも褒めてやろう。
しかしこの頭脳、明らかに私のポテンシャルを超えている。私は前世で文系だったし、本当に調子がいい時でも約分を見逃さない程度の脳みそしか無かった。
これは。まさかまさか。悪役令嬢のスペックを引き継いだまま転生できたパターン⁉︎
今更⁉︎
アルバートの師匠というだけの事はある、まさかこの世の理にすら干渉してくるとは……。
転生、バレてないよね?悪魔憑きで浄化コースに一直線だ。
もはやなんの脅威でもない勉強を軽く終わらせると、私のところにエマがやってきた。
エマは私達が誘拐先から帰ってきた日、私の自白により拘束されていた。割と自ら悪事を行なっていたらしい。馴染み過ぎだ。最終的には、無事に私達を返した事とならず者グループの隠れ場所を全部教えた事で、なんとか無罪放免となった。
ごめんね、王子には敵わなかったんだ。
「うわー、長期休暇に婚約者と部屋で二人きり、毎日何してるのかと思ったら、またもや勉強でしたか。色気も楽しみもなーんにも無いじゃないですか」
騎士達に拘束されてからというもの、エマの態度が悪いどころではない。こんなふうに時々入っては、適当な事を言って帰っていく。私としては、味方が一人増えるわけでけっこう重宝している。
「そうでしょう、エマ。アルバート様ときたら、私が勉学についていけない程度で婚約者の座が危ういなんて言い始めるの」
「あらあら、それは困りましたねクリスティナ様。しかしご安心ください、私はハイキングのお誘いを持って参りました」
……なんと。
「えーと、エマ?それはどなたからの提案なの?」
「クララ様です」
「良かったじゃないか、クリスティナ。確か君はピクニックに行きたいんだったよね。今日の分の勉強はもう終わったし、ちょうどいいんじゃないかな。僕も、クリスティナがあまりにも運動しないから不安に思っていたところだ」
えー。やだ。今日は本読んで、昼寝して、気が向いたら犬と戯れてスローライフを満喫する予定なのだ。ピクニックには別に行きたいわけじゃないし。
クララ……。クララかー。断るとめんどくさそうなんだよね。間の悪い時に間の悪い知らせが入ってきた。
「クララ様は弟様と二人で行く予定だったらしいのですが、最近のクリスティナ様は部屋で勉強ばかりしていらっしゃいます。このままではもやしっ子になってしまいます。そう思った私が、クリスティナ様も誘ってみてはいかがでしょう?とクララ様に言ってみたのです」
「エマ、君は態度が悪い割にはクリスティナの事をよく見てるじゃないか。クリスティナは自分から何かを提案したりはあまりしないからね。いいと思うよ、ハイキング。何泊?」
泊まりはハイキングって言わないと思う。




