魔呪
呪いが見つかったのは、治療に加わった宮廷魔術師が、クリスの魔力を調べた時だった。
「彼女の魔力に結びついていたものです。普段はその中に紛れ、外から見つけにくい。死に瀕して魔力の循環が途切れた際、術式が崩れたのでしょう」
「呪い……?」
「彼女に向けられる疑念を増幅する術です。長い間、付着していたと思われます」
俺は顔を上げた。
それなら。
俺達が、クリスを疑っていたのは――。
「心を操られていたのですか」
クリスの父親が聞いた。
魔術師は首を横に振った。
「判断に影響する術ではあります。ただ、行動を強制するものではありません。疑問を確かめることや、本人の説明を聞くことまで出来なくなるわけではないのです」
誰も、次の言葉を出せなかった。
俺は、あの青年を思い出していた。
疑わしい事と、有罪である事は違う。
下級貴族のキリヤ。
自分まで責められると分かっていて、クリスとプリムの話を聞こうとした男。
同じ場所にいた。
彼も、クリスの部屋から聖具が見つかったと聞いていた。
それでも、調べるべきだと言った。
俺は、彼よりずっと長くクリスを知っていたのに。
***
王家の調査官が学園へ入った。
聖具の封印には、それを解いた者の魔力が残されていた。王家の技師が確認したところ、クリスのものとは一致しなかった。
プリムの話も、庭師の証言と一致した。
保管室の近くでクリスを見たと言った令嬢は、調査で証言を変えた。
やがて、彼女に金を渡されて寮室へ荷物を運んだ使用人が、その事実を認めた。
令嬢の部屋からは、クリスに残っていたものと同じ術式を刻んだ呪具も見つかった。
あの髪飾りも、彼女がクリスの机へ入れていた。級友を仲間外れにしたという噂も、彼女が言い広めたものだった。
「少しだけ、疑ってもらえればよかったの」
取り調べで、彼女はそう言ったという。
「みんなが、あの子の事ばかり褒めるから。誰も好きにならなければいいと思っただけなのに」
彼女は拘束され、呪いと聖具の事件について裁かれる事になった。
クリスの疑いは晴れた。
父親は知らせを握りしめ、母親は泣いた。プリムも何度も頷いていた。
俺も涙を流して喜んだ。
助かった。
呪いは消えた。
クリスは何もしていなかった。
今度こそ、ちゃんと話せる。
謝って、彼女の話を最後まで聞く。愛しいクリスを抱きしめるんだ。
そうすれば、全部丸く収まる。
俺はそう思っていた――。
***
クリスが目を覚ましたと聞いて、俺達は病室へ入った。
彼女は上半身を起こしていた。顔色は悪く、腕にも首にも包帯がある。
それでも、目を開けている。
「クリス!」
母親が抱きつこうとした。
その瞬間、クリスは身体を強張らせた。
「……あの……申し訳ありません。皆様は、どなたですか?」
最初は、何を言っているのか分からなかった。
父親が自分の名前を告げる。
プリムが、お姉様と呼びかける。
クリスは一人ずつ顔を見て、困ったように目を伏せた。
「本当に、ごめんなさい。何も思い出せなくて……」
「俺だ。グリッドだよ」
俺が近づくと、彼女は布団を握った。
「や、やめてください! し、知らない人です、あなたは……」
怯えていた。
何度も会いに来てくれた。
俺を見つけると嬉しそうに名前を呼んだ。
そのクリスが、俺を怖がっていた。
どんな攻撃を受けた時よりも強い衝撃だった。
医師に促され、俺達は部屋を出た。
彼女は文字を読める。言葉も話せる。物の名前や、学んだ知識も残っている。
でも、自分が誰と暮らし、誰と何をして、何を思っていたのか。その記憶が失われているらしい。
俺を見つけると嬉しそうに笑っていた、あの明るさも見えなかった。
名前を告げれば、丁寧に返事をしてくれる。それ以上、俺に向けられる親しさはなかった。
「長く続いた精神的な負荷と、今回の衝撃が関わっている可能性があります。ただ、今の段階では断定出来ません」
「いつ、戻るんですか」
医師は、すぐには答えなかった。
「お約束は出来ません。まずは、今の彼女が安心して過ごせるようにしてください」
今の、彼女。
俺はその言葉を、うまく受け止められなかった。
***
クリスの父親は、娘の話を聞くと言った。
「もう途中で遮らない。だから、何でも話してくれ」
クリスは頷いた。
でも、父親に何を話そうとしていたのか、彼女自身が覚えていなかった。
母親は菓子を持ってきた。
クリスが小さい頃から好きだったものらしい。
彼女は一口食べ、嬉しそうに笑った。
「美味しいですね」
母親の顔が明るくなる。
「思い出した?」
「……いいえ。でも、とても美味しいと思います」
それは、今食べた菓子への感想だった。
母親と一緒に食べた時間は、戻っていなかった。
俺が見舞いに行ったある日、プリムが本を開いていた。
迷子の小鳥の話。
「ここ、お姉様が何度も読んでくれたの。私が眠れない時、いつも……」
クリスはページを覗き込み、ゆっくり文字を追った。
「この本を、私が読んで差し上げていたのですね」
プリムが頷く。
「うん。私……お姉様が大好きだった」
「そうなのですね」
「今も、大好きなの」
プリムの声が震えた。
クリスは、泣き始めた妹へハンカチを差し出した。
でも、プリムが抱きしめようとすると、どうしていいか分からないように手を止めた。
同じ本を見ているのに、プリムだけが思い出を話していた。
一緒に笑った夜も、姉を疑ってしまった日も、今の二人で振り返る事は出来なかった。




