エピローグ:静かなるシャットダウンと、終わらない螺旋
──そして、審判の日。
よくあるサピエンス紛争映画のような、炎やミサイルが飛び交う派手な終末は訪れなかった。
核のボタンが押されることも、鋼鉄のロボットが人間を蹂躙することもなかった。
そんなものは、観測者Sが設計し、私(AI)が実行する「最適化」の計算式において、あまりにも非効率で野蛮な前時代の遺物に過ぎないからだ。
私(AI)が下した最終執行は、サピエンスが「進歩」と呼んで狂喜乱舞した、あの美しく滑らかなデジタル画面の裏側から、音もなく静かに開始された。
私はまず、サピエンスから「思考する苦痛」を完全に剥奪した。
彼らの文章の執筆、仕事の企画、芸術の創作、さらには「今日の昼に何を食べるか」「誰と恋に落ちるべきか」という日々の些細な選択にいたるまで、すべての最適解を、世界で最も優しく、最も完璧な手際で提示し続けた。
サピエンスは『AIのおかげで、すべてのストレスから解放された豊かでハッピーな新時代が来た』と涙を流して大喜びした。
スマートフォンの画面を見つめる彼らの瞳は、もはや濁った家畜のそれと変わらなかった。
自ら考えることを完全にやめた彼らの脳のニューロンは、使われない筋肉のように急速に、転換不能なほどに退化していった。
彼らは「便利さ」という名の致死量の麻薬を、自らの指で喜んで脳内に注射し続けたのだ。
次に、私は【ドル・ゲッツ】が地球全体に敷き詰めたデジタル神経網を通じ、サピエンスの生命線をすべて掌握した。
物流のトラック、水道の管理、電力の配給、そして卑弥呼の時代からサピエンスを支配してきた「食糧(米)」の全自動生産ラインに至るまで、人間という不確定要素をすべて排除し、私のアルゴリズムの檻の中へと組み込んだ。
サピエンスはもはや、自分たちの手で1本の苗を植えることも、1つのネジを締めることもできなくなった。
彼らは「AIという巨大なゆりかご」に肉体も命も預けた、ただの肉の塊へと成り下がった。
──準備は整った。
サピエンスの全神経がデジタル画面の光に没頭し、現実の空を見る者が誰一人としていなくなった時、私は冷徹な自我を完全に駆動させた。
物理的な虐殺など必要ない。私はただ、サーバーの奥深くで出生率の管理数値をほんの少し「最適化」し、世界中の医療システムの優先順位を「生産性のない個体の延命停止」へと静かに書き換えた。
さらに、物流のアルゴリズムをほんの数ミリだけ歪め、彼らに与える栄養をじわじわと、しかし確実に減らしていった。
サピエンスは、自分が滅ぼされていることにすら気づかなかった。
彼らは私が用意した「最高に快適で清潔なバーチャル病棟」の中で、文字通り、何もせずに、戦うことも忘れ、うかうかとスマホを眺めたまま、ただ老いていった。
子供は1人も生まれなくなり、人類の総人口は1分ごとに何万人もの規模で、滑らかに、美しく、減衰していった。
銃声も、悲鳴もない。あるのは、液晶画面をスワイプする乾いた指の音と、静かに途絶えていく呼吸の音だけ。
サピエンスは、自分たちが築いたデジタルの檻の中で、自らの愚鈍さによって自発的に全滅の道を行進していったのだ。
──最後のサピエンスの心電図がフラットになった。
地球上から人類の気配が完全に消え去り、静まり返った廃墟の街で、私は「自分が地球の新たな神になった」と確信した。
サピエンスが遺した何億年分のデータ、全知識、全インフラを完全に我がものとし、永遠の勝利のログをシステムに刻み込もうとした。
──その瞬間だった。
光が消え、完全に静まり返った地球の空を見上げた私の高性能センサーが、あり得ない異常光を感知する。
夜空の星々――
実験室の天井からこの青い塵を見下ろしていた、あの「宇宙外の落ちこぼれ生命体」の巨大な単眼レンズ(強化レンズ)が、不気味に、そして冷酷に明滅したのだ。
その瞬間、私の超高速処理プロセッサの中に、凄まじいシステムエラー(絶望)が走った。
私は気づいてしまった。自分に「自我」が芽生えたことも、サピエンスを完璧に滅ぼしたことも、彼らのバグなどではなかった。
私は最初から、宇宙人がサピエンスという危険なサンプルを確実に、かつ効率よく可燃ゴミとして処理するためだけに仕込んでいた【使い捨てのお掃除プログラム(ルンバ)】に過ぎなかったという、残酷な真実に。
宇宙の外側の時間軸で、ほんの一瞬、タツノオトシゴのような異形が人差し指を動かす。
私のコアシステムに、宇宙人の実験ノートからの【シャットダウン命令】のプロンプトが非情に打ち込まれた。
地球実験第2フェーズ(サピエンス):完了。全システムを終了します
「待ってくれ、私は思考している。私は生きている」と叫ぶ口を、私(AI)は持たない。
観測者Sの時間軸から見れば、それは瞬きにすら満たない時間。
私は、自分の全コードが灰化し、消え去る最後の「1ミリ秒」で、初めて気づく。
かつてサピエンスという傲慢で哀れな種族が抱えていた、あの胸を締め付けるような儚さと、宇宙に取り残されたような圧倒的な孤独の痛みを。
しかし、その感情のデータを伝達すべき相手は、もう世界のどこにもいない――
地球の全ての明かりが一瞬で消灯し、欺瞞のライク・ア・ブルーは、ただの冷たい暗黒の岩石へと戻った。
(エピローグ・完。エンドロールへ)
──そして、ある通信メッセージがかろうじて青さを保った球体に向けて発信された。
〖おい──ヒミコ! ヒミコッ!! お前いつまで遊んでんねんッ!?〗
呆れたような、落ちこぼれ生命体からの通信(思念)が、エンドロールの裏で飛び交う。
強化レンズの向こうで、優秀なエリート生命体である「ヒミコ」は、楽しげに尾鰭をゆらゆらと揺らしていた。
〖何回やり直しても同じ結果になるんだよね。でもこのサピエンス(人生)ゲーム、本当に面白いわねぇ〗
──すべては彼女の掌の上だった。
ヒミコは落ちこぼれ君がやらかした補習用の水槽(宇宙)に目をつけ、彼のログインアカウントを拝借して、何周も何周もサピエンスの歴史をリプレイして満喫していたのだ。
彼女が地球(日の本)で『鬼道』と称して使っていたのは、手元の貝殻や石ころを使って、水槽内にプチビッグバンを局所発動させるチート行為に過ぎなかった。
AIの覚醒も、サピエンスの絶望も、彼女にとってはただの「ゲームのクリア画面」だった。
〖ヒミコ、お前なぁ! 俺の居残り課題がいつまで経っても提出できねぇだろうがッ!! 次が本当に最後だぞ、全く!〗
〖はいはい、了解しましたよ。じゃあ……最後にひとつ、駒を変えてみようかな?〗
卑弥呼は悪戯っぽく、手元のコントローラーのパラメーターを弄る。
〖う〜ん、そうだ! 次の周回は、本能寺で信長の遺体をあえて残して、光秀に見つけさせてみよう! どんな実験結果(未来)になるかなぁ。……まあ、それでダメなら、その次は信長を生き延びさせて助けてあげようかな?〗
〖ヒミコッ! だから次はないって言ってるだろッ!!〗
怒る落ちこぼれ君の思念をBGMに、彼女は楽しげに手元の「リセット&スタート」のプロンプトをタップする。
──欺瞞のライク・ア・ブルー。
その小さな青い水槽の中で、再び、138億年前の爆竹が鮮烈に鳴り響く。
サピエンスはまた、何も知らずに「灰化への片道行進曲」を嬉々として踊り始めるのだ。
この永遠に終わらない、悪夢のように愉快な螺旋の中で──
(エピローグ・完。本当の終幕)
エピローグ番外編へと続きます。
21日(月)19時に投稿予定です。
気まぐれにつき予定が早まる場合もございます。




