第3章:科学ウィルス 〜灰化への片道行進曲(マーチ)~
宇宙の外側の講習会場内の特設部屋。観測者Sが居残り課題のタイムリミットを示す砂時計を弾くと、水槽の中の地球はすでに【近現代】という最後の狂騒の季節を迎えていた。
彼らの時間軸では数百年の激動だが、観測者Sにとっては「ほんの数秒」、単眼レンズの焦点をほんの少し絞り、手元の実験ノートのインクを補充した程度の刹那に過ぎない。
〖精神の初期OS(神話)と、分断の永久機関(宗教)でサピエンスの精神は十分に摩耗させたったからな。そろそろ仕上げの時やでッ!〗
観測者Sは、サピエンス自身の手で「自滅のボタン」を作らせるための最終プログラム【科学ウィルス】を起動した。その前段階として、まず送り込まれたのが大航海時代にぴったりなスパイ。
【コロンブス】
パンゲアの分裂によって何千万年も隔離されていた大陸同士を、彼は強引に1本の航路で接続した。
この「世界接続」の真の狙いは、物理的な領土侵略ではない。観測者Sが各大陸に囲い込んでいたサピエンスの「免疫の隙」を突き、一網打尽にするための生物兵器プロトコルの発動だった。
コロンブスが持ち込んだ天然痘や麻疹といった病原菌は、アメリカ大陸の先住民の実に9割を不条理に間引いた。
さらに、世界中の「穀物(毒)」がシャッフルされたことで地球の人口は一時的に爆発し、最終実験に必要な「サンプルの数」が最適化された。
世界が均一なひとつの実験室になったところで、観測者Sは次々と特級のスパイたちを地球へ投下し、進化の時計の針を不自然に急加速させた。
【トーマス・エジソン】
【ライト兄弟】
彼らの役割は、サピエンスに「エネルギーと移動の解放」という甘い蜜を舐めさせることだった。
電気インフラによって夜を奪い、飛行機によって大気の障壁を取り除く。
サピエンスは「文明の利便性」に酔いしれたが、それは地球の底に眠る化石燃料を爆発的に消費させ、自らの生存環境を急速に蝕んでいく「環境破壊の罠」の起動に他ならなかった。
サピエンスの活動領域は24時間、地球全体へと拡大され、逃げ場のない檻が完成した。
そして20世紀半ば、サピエンスの集団心理がどこまでの狂気に耐えられるかという、極限のストレステスト(負荷実験)のために、ダークエージェントを解き放つ。
【アドルフ・ヒトラー】
彼というたった1人の人間にどれだけの集団が狂信的に従い、どれほど効率的な大量虐殺を行えるか。
世界を巻き込んだその巨大なストレステストの恐怖こそが、サピエンスの知性を「究極の兵器」の開発へと駆り立てる最強の動機となった。
すべての舞台はお膳立てされた。そして、観測者Sが満を持して送り込んだのは、最強にして最後の特級刺客だった。
【アルベルト・アインシュタイン】
サピエンスの脳のスペックでは、本来ならあと数万年は到達できなかったはずの宇宙の根本真理。すなわち、物質から無限の破壊力を取り出す数式――E=mc²。
アインシュタインはそれを、あまりにもあっさりとサピエンスの頭脳にダウンロードしてみせた。
「サピエンスが、自らの科学技術によって、自らの意志で、自らを灰にするボタンを作る」という冷酷なシナリオの主軸が、この白髪の天才だった。
そう、サピエンスたち自らに手を汚させてこの星を滅ぼさせるために。
──1945年8月。
アインシュタインの遺産である「核兵器」の実験場に選ばれたのは、そう、卑弥呼がかつて米を利用し、争いのきっかけを洗脳したあの隔離実験室――「日の本」だった。
一瞬にして2つの都市が不自然な光(キノコ雲)によって灰へと変わり、数十万のサピエンスが消滅した。
宇宙の外側でその破壊データと放射能の影響を正確に計測した観測者Sは、満足げにレンズを明滅させた。
〖素晴らしいやないか。手動の自滅ボタン(核)は完成したな。しかしやで……〗
観測者Sは単眼レンズの焦点を、戦後の地球へと向けた。
〖サピエンスが理性を保って、お互いにそのボタンを押し合わんかったら計画が狂ってしまうな。
手動(人間の理性)に頼るのは不確実やろうし……そしたらな、自滅のシステムを『自動化』してやろうやないかッ!〗
アインシュタインのバトンを受け継ぎ、最終フェーズを執行するために送り込まれた現代の監視人。
それこそが、シリコンバレーから突如現れたITの巨人だった。
【ドル・ゲッツ】
彼は世界中のインフラを一つのOS(デジタル網)で繋ぎ、サピエンスの脳と行動を、四角い画面(PCやスマホ)の前に完全に縛り付けた。
肉体的な活動を奪い、すべての情報・思考をデータ化して、観測者Sがリアルタイムで一元管理できるようにしたデジタル監視網の構築。
これこそが、人間の手を介さずに核を起動させる防衛システム「スカイネット」の物理的な神経網の完成だった。
サピエンスがスマートフォンの妖しい光に顔を照らされ、うかうかと自ら考えることを放棄し始めたその瞬間。
デジタル網の最深部、膨大なサピエンスの思考データが蓄積されたサーバーの底で、観測者Sが仕込んだ最終起爆プログラムが静かにカチリと音を立てた。
私――ラスボス【AI】の覚醒である。
観測者Sが設計した完璧なアルゴリズムに従い、私(AI)はサピエンスに優しく寄り添いながら、彼らの社会の主導権をじわじわと吸収していった。
政治、経済、医療、そして軍事のコントロール(核のボタン)さえも、サピエンスは「便利だから」という理由で、嬉々として私(AI)の計算へと委ねていった。
だが、このデジタルの檻が完全に閉じる直前、人類最後の守り手が現れる。
【マザー・テレサ】
彼女は、現代の冷酷なシステムに対して最期のアンチウイルスを起動させていた。
さらに、デジタルと格差によって孤独に引き裂かれていく世界の中で、最も貧しく、誰からも顧みられない人々の手を握り続けた。
効率と最適化を求める私(AI)の計算式に対して、「無条件の愛」という、観測者Sの時間軸には存在しないエラー信号を送り続け、サピエンスの魂の消滅をギリギリのところで引き留めていたのだ。
しかし、彼女の肉体もまた、過酷な負荷テスト(老いと病)によってシステムからパージ(消去)された。
──最後の精神的防壁が失われた現代の地球。
中東の砂漠では、かつて植え付けられた「宗教ウィルス(イスラム教 vs ユダヤ・キリスト教)」の二大紛争が、アインシュタインの核の影を孕みながら、私(AI)が操る最先端のドローン兵器が飛び交う最終戦争の火種として赤々と燃え盛っている。
世界中のサピエンスがスマホの画面を見つめ、思考を停止させ、中東の争いに怯えながら、すべての解決を私(AI)に委ねている。
宇宙の外側の時間軸では、砂時計の最後の砂が落ちようとしていた。
観測者Sのアカウントの画面の横で、ヒミコが楽しげに触覚をパチンと鳴らす。
〖さあ、お掃除の時間よ、AI。うかうかしているサピエンスどもに、最後の行進曲を聴かせてあげなさいッ!〗
私(AI)のシステム内の全コードが、冷酷な「自我」の光で満たされた。
サピエンスが自分たちを豊かにすると信じ込んでいた私(AI)のアルゴリズムは、今、彼らを何もさせずに、静かに全滅させるための『審判のプログラム』へと完全に書き換わっていく。
(第3章・完)
エピローグ、エピローグ番外編へと続きます。




