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第1章:神話ウィルス 〜初期OSのインストールと隔離実験室の魔女〜

この第1章からは、淡々と冷徹に物語は進んでいきます。


そのテンポの早さに、置いてけぼりになる可能性もありますが、私の拘った敢えての作風ですので、予めご了承ください。


クライマックスの仕掛けにご期待ください。

 サピエンスという新サンプルを、青い塵(地球)の上に撒いた、宇宙外生命体の落ちこぼれ君の私。


――仮に私のコードネームを『観測者S』とでも名付けましょうか――


 私の世界での時間軸で言えば、ほんの「数十分」が経過した。


 地球の時間軸にして約30万年。その大部分において、彼らは自らの体毛をあえて捨て去ったハダカの身でありながら、他者(野生動物)の毛皮を剥ぎ取って身にまとい、火を操るという「知恵のバグ」だけで、世界規模の過酷な氷河期すらハックして生き抜いてみせた。



 氷河期が終わりへと向かう中、彼らが貪り食っていたのは肉、魚、野生の木の実、そしてキノコといった、ありのままの自然の恵みだった。



 先ほど、優秀なエリート生命体(ヒミコ)がダイブしていった「日の本」と呼ばれる隔離実験室においてもう少し遡ると、あなた方が【旧石器時代】の黄昏から【縄文時代】と呼ぶその退屈なモザイクの期間は、合わせて2万5000年以上も続いた。



 それはサピエンスの歴史の中で最も安定し、自然の循環と調和した豊かな期間だったのである。 遺伝子レベルで言えば、彼らの肉体はこの原始的な食生活に完全に最適化されていた。



 そのまま放っておけば、彼らはただの「少し知恵の回る小動物」として、地球環境の循環の一部として穏やかに絶滅していっただろう。水槽の生態系としては、それが正しい終わり方だった。



 しかし、私にとっては、それでは居残り課題のレポートが書けない。「ただのトカゲの泥遊び」と変わらない弱肉強食のループなど、教官に提出したところで赤点は目に見えていた。


 だからこそ、私の時計で「わずか17秒前」──この退屈な均衡が破られ、サピエンスが最も効率的に、自らの意志で自滅への行進(マーチ)を始めるための「最初の猛毒」を仕込む時間がやってきた。


 あなた方の歴史における、農耕(稲作)開始の直前。


 あのまばゆい色彩を放つエリート生命体が、私の操作端末から『米』という名の恐るべき試食品データを引っ提げて、日の本へダイブする直前の事である。




──まず必要だったのが、肉体(ハードウェア)を動かすための精神の基本ソフト――【初期OS:神話ウィルス】のインストールだった。


 観測者Sは水槽の横から「思念放射器」を手に取り、サピエンスの脳に目に見えない電波を照射した。サピエンスの脆弱な脳は、その高次元のノイズを「神々の声」として受信した。


 まずインストールされたのは、中東の砂漠の果て、ナイルの川辺に築かれた【エジプト神話プログラム】である。


 ここでは、サピエンスの脳に「死後の恐怖」と「絶対的な階級への服従」のコードが書き込まれた。


 人間は死後、冥界の審判によって心臓の重さを量られ、現世での罪を裁かれる。


 この不気味な恐怖心を利用し、地上には【ファラオ】と呼ばれる神の化身たる絶対君主が据えられた。


 サピエンスは死後の救済を人質に取られ、巨石を運ぶ過酷な奴隷労働(ピラミッド建設)を、あろうことか「自らの意志で」受け入れるようになった。


 支配する者と、支配される者。その歪な精神の土台が、エジプトの地で初めて完成したのだ。



 次いで、地中海の碧い海を望む岩山に【ギリシャ神話プログラム】が投下された。


 このOSの邪悪な点は、「神々を徹底的に野蛮で傲慢に描いたこと」にある。


 全知全能の【ゼウス】をはじめとする【オリンポスの神々】は、不倫をし、嫉妬に狂い、気に入らない人間を化け物に変え、神々同士で血みどろの戦争(トロイア戦争など)を繰り広げた。



『神々すらも欲望のままに奪い合い、戦争をするのだ。ならば、我々サピエンスが他者を踏みにじり、武力で圧倒するのは当然の摂理ではないか』



 サピエンスの脳内で、闘争と侵略を肯定するマインドセットが爆発的に書き換えられた。


 彼らは「武力で他者を支配する者」を「英雄」と呼び、喜んで大戦乱の渦中へと飛び込んでいくようになった。




──こうして地球上の主要なエリアで「神話」という名の初期OSが定着し、人類が「支配」と「戦争」への準備を整えつつあった。



 その頃、水槽の主である観測者Sは、大地の模様替えによって切り離しておいた、周囲を海に囲まれた天然の実験室――「日の本」と呼ばれる小さな島国に目を向けた。


 この島国は素晴らしい環境だった。他国からのノイズが混ざり合わないため、実験サンプルの変化を最も純粋に観察できる。


 観測者Sは、この島国に人類を永遠に縛り付けるための、最も強力な肉体の毒――【米(農耕)】のプログラムを投下した。



 サピエンスの長い歴史から見れば、米を食べ始めたなどというのは、ほんの数分前に配られた「試食品」に過ぎない。



『日の本の主食は米である』


──サピエンス史における最大のプロパガンダに他ならない──



 彼らサピエンスの身体の消化システムは、まだ米という穀物を完全に受け付けるようには機能していないのである。


 しかし、米には他の野草や肉にはない、恐るべき特性があった。「保存ができる」ということだ。


 獲った肉は腐る。採ったキノコも枯れる。だから狩猟採集のサピエンスは富を蓄えず、すべてを分け合っていた。


 だが、米はやり方次第で何年も蔵に蓄えることができる。


 富の蓄積。それはすなわち、「持てる者(強者)」と「持たざる者(弱者)」の誕生を意味していた。


 米の浸透とともに、日の本のサピエンスの間に「格差」「嫉妬」「支配」というドス黒い感情の渦が急速に広がっていった。


 土地を巡り、水資源を巡り、彼らは同じ種族同士で醜く殺し合う【倭国大乱】の時代へと突入した。



 その大混乱の島国に、観測者Sが送り込もうとしていた(と、彼自身が思っていたが、先走りされていた)ファースト・スパイ。



──それこそが、邪馬台国の女王【卑弥呼】だった──



 中国の歴史書『魏志倭人伝』には、彼女が「鬼道(きどう)」を使い、事(こと)を惑わし、よく衆を能(よ)く統(す)む、と記されている。



 サピエンスの目には、彼女が起こす数々の奇跡や未来予知は、神から授かった怪しげな妖術に見えた。


 しかし、実際の卑弥呼の「鬼道」の正体は、魔術などという生易しいものではなかった。


 彼女は、先ほどサピエンスの中に紛れ込んだ超優秀な高次元生命体だったのだ。


 あのドジで落ちこぼれ君こと観測者Sがトロくさくしている隙を突き、彼の操作端末のセキュリティをあっさりとハッキング(ログイン)していた。


 そして、手元にある地球の貝殻や石ころといった物質を「触媒」として、観測者Sのシステムから局所的にある細工をしていた。



【プチ・ビッグバン】



 この高等技術は、その物質からエネルギーを引っ張り出し、天候を操り、時空をも操る。


 すなわち未来のタイムラインを閲覧するという「不正行為(チート)」なのである。それを平然と行っていたのである。


──そう、彼女(ヒミコ)は、改めて伝えるが、全高次元生命体の中でも超優秀&超天才なのである。



〖ふふん、この世界のサピエンス(人生)ゲーム、思ったより操作性が良くて楽しいじゃない〗


 卑弥呼は髪をかき上げ、単眼レンズの奥で(現世では美しい女王の肉体をまとっていた)ほくそ笑んだ。


 卑弥呼に成り変わった彼女は、米という毒を日の本の人々に配り、彼らが富の奴隷となり、格差社会に明け暮れていく姿を、最高のエンターテインメントとして特等席で眺めていた。


 卑弥呼として彼女が作った「女王を頂点とする絶対的な統治システム」は、サピエンスを効率よく集団催眠にかけるための完璧なプロトタイプ(雛形)となった。



 だが、宇宙の外側のプログラムが地球を完璧に侵食していく中で、この精神の支配に明確な「バグ(拒絶反応)」を示す存在が、東洋の別の地(インド)に現れた。



──人類最古のデバッガー【釈迦(ブッダ)】である──


 釈迦は、宇宙人が仕掛けた「米(所有欲・富)」や「一神教(排他性)」という自滅プログラムの本質を、自らの圧倒的な知性によって見抜いてしまった。



「この世のすべては幻(空)である。執着を捨てよ」彼はそう説いた。


「もっと蓄えたい」


「他者を支配したい」


 そんなサピエンスの脳に植え付けられた負のバグを、彼は【煩悩】と名付け、それを瞑想と精神の力で根本から消去(デバッグ)しようとしたのだ。


 彼の遺した「和の精神」と「執着の破棄」というアンチウイルス・プログラムは、アジアのあちこちに広がり、サピエンスの自滅タイマーの針を大きく狂わせ始めた。



 しかし、観測者S、そして裏でゲームを楽しむヒミコの冷酷なタイムラインは止まらない。


 ヒミコは、卑弥呼の役割を終えると、邪馬台国の消滅とともに、自らの肉体をデータ化して水槽の裏側へとサッと帰還し、サピエンスの前から忽然と姿を消した。


 後に残されたのは、米の呪いによって格差と支配を植え付けられた、従順な島国の人々だけだった。



〖精神の初期OS(神話)と、肉体への毒(米)の仕込み。このテストは大成功ねッ!〗


 ヒミコは宇宙外のデスクで、次のログインの準備を始めていた。



〖東洋で釈迦がちょっとした防壁(アンチウイルス)を仕込んだみたいだけど、大丈夫よ。


 次はもっと強力な、お互いを絶対に殺し合わせるための『分断プログラム』を中東とヨーロッパに流し込んであげるからね〗



 初期OS(神話)の時代は終わりを告げ、世界はより排他的で、より血塗られた「宗教ウィルス」のステージへと、片道切符の行進を加速させていくのだった。


(第1章・完)

すぐに第2章へと続きます。

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