クールスモーク
「一週間休ませてください」
わたしは上司を捕まえて直球な頼み事をした。
もともと7人で回していた小さなわたしの所属する部署は、立て続けに2人が離職した現状では到底難しい話であったと思う。
上司に心の鏡が割れた事を話せたのは6月に入ってからだ。
1ヶ月以上心が壊れたまま働き続けた。それが限界なのはとっくに分かっていた。気の許す同僚には、涙を流しながら打ち明けた人も居るには居たが、所詮同僚、直接何かが変わったことはない。が、気軽に話せる人に打ち明けることができたのは大きな一歩だった。
「可能なら7月頭からの一週間、土日も含め計9日間休ませてください」
上司の佐藤は、疲れきった目で頷くでも首を横に振るでもなく、何を考えているのか分からない顔で答えた
「今さら1人休もうがあんま関係ないから休んで良いよ。あとは俺達がなんとかするから」
感情をどこかに落っことしたような上司の佐藤は、現実を直視するのを止めて抑揚の無い声で許しを出した。
正直な話、いくら内側に抱え込んだ悲しみを伝えたとて、現状で一週間の休みを貰えるとは思ってなかった。少し多めに吹っ掛けたのは嘘じゃない。月火か木金のどちらかは出てほしいと言われるんじゃないかと思ってた。
申し遅れたが、わたくし「荻波 鶴」は、愛知の出身で、今は岐阜に就職している。愛知に居ても就職先はたくさんあった。リハビリの資格を有しているためだ。
だが、やりたいことがあったのがたまたま岐阜だったのだ。いざ蓋を開けてみると現実は残酷なもので、曜日ごとに同じ人のリハビリをただこなす毎日にやりがいも何も感じなくなっていた。21歳で社会に出て、28歳にもなると毎日の仕事がルーティーン的な流れ作業のようになっていた。ようするに毎日同じことの繰り返しで「つまらない」のだ。つまらなさに拍車をかけたのが職員2人の離職。どんなにポッカリと穴が空こうが、頼ってくれる後輩達が居る限りは頑張れた。今はもう、頑張れないのだ。
家に帰る前に安いウイスキーを一瓶とタバコを一箱買う。これがこの頃の帰宅ルーティーンだ。家に帰り1人の時間になると途端に押し寄せてくる孤独。
ウイスキーは旨くて飲むんじゃない。酒を嗜む大人の全てが美味しいと思って飲んでいる訳ではない。もちろん旨くて飲むこともあるが、今のわたしはそうではなかった。
タバコに火をつけゆっくり浅く吸う。クールスモークと言うと少し違う。ゆっくり浅く吸った煙を口に留め、更にゆっくりと肺に流し込む。燃焼材をあまり使わないタバコはこの吸い方が合っているように思う。肺に煙を染み込ませながらゆっくりと吐き出す。吸う時と吐く時で違った味わいとタバコ本来の旨さを味わうのだ。
タバコとウイスキーは相性が悪い。
ウイスキーは酔えば酔うほどに気持ち悪さがある。そんなに強くないんだと思う。
気持ちの高揚と気持ちの悪さが、クールスモークを阻害する因子となる。
タバコの日は消し忘れると命に関わる。命を絶つことに対しては人一倍敏感になっていた。先立った優ちゃんの分も生きなければと思っていたから。
「優ちゃん、今日も生きて帰ってきたよ。酒の力を借りないと寝れないけど、こんな自分でも見守っててね」
どこからも返事がない問いかけをする自分にも酔いながら日の始末を早めにする。
家ですることは酒かタバコくらいなもので、特別他にはなくぼーっとテレビでアニメを眺めているくらいだった。アパートの隣の住人の咳き込む声が聞こえるくらい壁の薄いアパートでは楽器だったりの娯楽は楽しめない。(実際はどんな楽器も演奏できないと言う方が正しいが)
生きてなお屍のような生死の境界が曖昧になる。強い酒で、色々な感情を押し流さないと、睡眠という基本的な生命維持さえままならない。もちろん死ぬ気はなかったが、死ねばあの世で会えるかもしれないという淡い期待もしたことがある。死生観について考えたこともあったが、結論のでないことに悩んでも仕方ないのにな、と結論を出せないでいるものだ。
酔いが回り気絶が近付いてくる。
最後に酔った頭で、クールスモークを意識して味の分からない舌で、肺で、煙を受け入れ眠るのであった。




