総帥、パン屋を救って地域経済を更地にする
3回目―こそっと投げる
異世界の朝は早い。
だが、ハミルトン・コングロマリットの総帥、佐伯悠馬の絶望は、それよりも早かった。
「……ノア。その、手に持っている『異世界未踏の超高純度精製塩(Tescoブランド)』は何ですか」
宿屋の食堂。
テーブルの上には、「ショップスキル」から生み出された調味料の山が並んでいる。
その光景を前に、悠馬は冷徹な総帥の仮面をかぶったまま問いかけた。
隣では、銀髪を揺らした美少女――中身は野太い声の弟――が、ポテトチップスの袋を豪快に開封している。
「兄さん! これですよこれ! この街、塩が泥混じりの岩塩しかないんですよ? このサラサラの精製塩をギルドに持ち込めば、一気に市場を独占できます!」
「……市場独占は独占禁止法に抵触します。……いえ、この世界に法はありませんが、供給過多による価格暴落――デフレのリスクを考慮しなさい」
悠馬の懸念は、正しかった。
彼が「とりあえずの活動資金」として、ショップで安売りされていた業務用ティーバッグを一袋ギルドに持ち込んだだけで、
街の茶葉相場は、わずか半日で四割下落した。
ギルドマスターは泡を吹いて倒れた。
――ハミルトン流の経済テロである。
『ピコーン! 経済混乱イベント、大好評~☆ 読者満足度爆上がり中だよん!』
不快なほど聞き慣れた電子音。
空間が歪み、ポテトチップスを齧りながら女神が現れる。
『悠馬くん、このままだと“ただの怪しい茶葉密売人”ルートだよ☆ ここらで一発、ガツンと身分設定しとこ? 王道、王道!』
「……今更ですか。私は一般人で結構です。誰の目にも留まらない、石ころのような路地裏の住人として、母さんに『無事に生きています』と手紙を書きたいだけです」
「兄さん! 何言ってるんですか!」
ノアがドレスの裾を翻し、野太い声で叫ぶ。
「僕は今、最高に可愛い悪役令嬢なんですよ!? それにふさわしい、最高に派手で、ざまぁされる時に家柄が重荷になるような、高貴な身分を用意してください!」
『おっけ~☆』
女神は、二人の意見を完全に無視して指を鳴らした。
『悠馬くんは“隣国の亡命王子(実は聖剣の継承者)”、ノアちゃんは“帝国最強の公爵令嬢”ね☆彡』
「盛りすぎです! 設定の過剰在庫です!!」
次の瞬間、膨大な「偽造された過去」と「高貴なオーラ」が、悠馬の脳内に流し込まれた。
宿屋の主人が震えながら跪く。
悠馬の背後には、黄金の守護龍の幻影が揺らめいていた。
『はい、身分確定! ついでに徳稼ぎイベントも発生☆ 向かいのパン屋、困ってるみたいだよ!』
「……了解しました。提示されたKPI(徳)を達成するため、ビジネスライクに処置します」
向かいのパン屋『麦の穂亭』。
そこでは、顔色の悪い親父が売れ残りのパンを前に項垂れていた。
悠馬は、店内を一瞥する。
「……在庫管理の失敗、および市場ニーズとのミスマッチ。致命的です。親父さん、私にこの店のコンサルティングを任せなさい」
「う、うう……茶葉が安くなってよぉ……みんなパンを買わなくなって……」
「……原因の一端が私にあることは認めますが、感傷に浸る時間は無駄です。ノア、小麦粉を。エルゼ、衛生管理を」
指示は簡潔だった。
ショップスキル。
時間加速。
精密温度制御。
厨房は、もはや工場と化した。
「……ノア。表で告知を。エルゼは試供品を配布。一人一個。リピーターを囲い込みます」
結果は、即時に現れた。
長蛇の列。
爆発的な売上。
街の話題の中心。
だがその光景は――
美少女二人を従え、パン一つで街を支配する亡命王子。
そう見えていた。
夕暮れ。
親父は涙を流す。
「ありがとう、王子様……!」
「……当然の帰結です。……これで徳が――」
ピコン。
【徳:+0.1】
「……は?」
悠馬の思考が停止した。
『やりすぎ~☆』
女神がコーラ片手に現れる。
『オーパーツ食材のせいで、近隣の小麦農家が壊滅寸前☆ 他のパン屋も三軒倒産したよ☆彡』
「……外部不経済が発生しましたか」
『そういうこと! 差し引き+0.1☆』
「……やめてください」
「兄さん! 大変です!」
ノアが叫ぶ。
「パン屋の娘さんが“王子様についていく!”って言って――エルゼさんと裏でナイフ持って殺り合ってます!!」
「……なぜこうなった」
【読者満足度:150%】
【新規ヒロイン:ヤンデレ登録】
【現在の身分:亡命王子(死亡フラグ大量)】
「……女神。一つだけ言わせてください」
『なーに?☆』
「……私は、ただ、母さんの作った普通のトーストが食べたいだけなんです……」
『ダメ~☆ 今夜は愛が重すぎるディナーだよ♡』
悠馬は、夕焼けを見つめた。
そして静かに、胃薬を口に放り込む。
ハミルトン総帥、異世界三日目。
彼は今日も、「善行」という名の大惨事を積み上げながら、帰還への道を自ら爆破し続けていた。
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