⑤ 博士と子供
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拳銃で撃ち、槍で切り捨て、糸で絡ませて転ばせる。何十人も殺してしまっただろう。数は数えなかった。ただ右目で見ていた。いつもは見ているだけとしか思わなかったのに、今回は手のひらの感触が生々しく伝わってくるように感じられた。頭がグルグル回っている気がして気持ちが悪いが、吐くこともできない。ただ時々、思い出したように右目から涙が流れた。
随分長く感じた。ようやく潜水艦の座礁した辺りへ辿り着く。底部に大きな穴が開き、流れ出たバラストの海水で周りの砂浜が濡れている。背部に鎖がとりつけられていたが、それはどこにもつながっておらずが千切れていた。巻き上げ用の物だったのだろうか。
『では、中に入るぞ』
槍を構えて中に入るが、人は皆倒れていた。計器類のアラームがやかましく鳴っている。いくつか生きている警告灯が、管内の通路を照らしている。傾いた船内を足元に注意しながら進んでいく。時々、靴が滑りそうになるが、どうしてかは意識しないようにする。
『死んでいるのか。その振りか……』
『この先にも部屋がありそうだが、扉は閉まっているな。……変形しているのか』
何度か力を込めてみたが開きそうにはなかった。
『行き止まりだな』
……首魁はどこにいるんだ。その人さえ……そうすれば、もう終われるのに。
奥まで歩いて何もないことを確認して、外に出ようとしたとき、背中に懐かしい声が聞こえた。アクセントのある日本語。
「ナカト……。ナカトだろ」
僕の体が振り向くと、床に座った声の人物は潜水服のようなヘルメットを外した。横に広いおでこ、左右に分けた金髪。
「あ……アダムスさん。なんで……」
「よお、久しぶり、元気そう……でもないな。痩せたか? それより、目大丈夫か。……なに持ってんだそれ、銛か? トライデント? ……トマホーク……あっちには行くなよ。危ないから」
そう言ってさっき開かなかった扉を震えながら指さした。
⦅……トマホーク?⦆
「……よかった、サバイバル生活で頑張ってたんだな。……海の男っぽくはないけど、君、島育ちだもんな……。悪かったな。遅くなって、でも助けに来たからさ」
もう安心だぞ。そう言って彼は両腕を広げたが、途端にせき込んだ。
「大丈夫……ですか」
なにかを察したのか、オーディン神はフンと鼻を鳴らして体を返してくれた。
アダムスさんに近づくと、床が血で滑っていることに気づく。
「うーーん……駄目だな、これは。頭がよすぎるからその分筋肉つかなくてさ」
そう言ってクマの酷い顔でに笑った。少しひきつっているようにも見えた。
「わ、笑いごとじゃ……ないですよ」
さっきまで何十人も人が死ぬのを見ておきながら、今になって恐怖を感じている。手が震える。知り合いだからか? 何だよ、まだ……死ぬと決まったわけじゃ……。
「ナカト、よく聞け。このあともう一隻潜水艦がこの空間に入ってくるはずだ。で、そいつも陸に上がった鯨だ。座礁するだろう。タイヤ付けてくれって言ったんだ……僕は。まあでもタイヤは駄目でも引き上げ用のチェーンはつけてもらった』
『ここの様子がまずいと判ったらすぐそとのもう一隻が引っ張って戻してくれる手はずになってるんだ。すぐ引き返すだろうけど……座礁している間に何とか気づいてもらって乗り込むんだ、いいな」
そんなに……上手くいくだろうか。
「一応君は今回の作戦目標の……一つだから、気づいてもらえば大丈夫だ。だから精一杯アピールするんだ。手を振るといい……よ」
作戦目標? よく判らないけれど……。
「それなら、アダムスさんも一緒に。た、立てますか?」
口にしておきながら、無理だと、どこかで判っていた。
「……無理だよ。話すのも結構しんどいんだ。とりあえず伝えないといけないことは言えた。頭がぼーっとしててさ、寒いんだよな。……ヴォルフに会いたいな。はやく外に出てバスを待つみたいに待ってるんだ。それでバスが来たら手を上げるんだ。乗りまーすってね、英語判るか? 判んないよな……。じゃ、日本語でいいや。……ゴホッ……カホッ……」
せき込むアダムスさんの背を震える手でさする。
「痛いよ、ナカト。……もう行けって」
「い、遺跡が、ピラミッドみたいなのが、もうちょっと先にあって、そこにすごい人がいて……僕目が見えなかったんですけど、その……治してもらって……。そこに行けばきっと、大丈夫……だと思うんです」
ナカト! 制するようにアダムスさんは大声を出して、また咳きこんだ。
「実はさ、僕って馬鹿と子供が大ッ嫌いなんだよ! 僕って日本語もできるけど得意ってわけじゃない、なのに君って全然英語で話そうとしなかったよな。君みたいな馬鹿に勉強を教えるのは疲れたよ、本当に。でもま、君は研究に都合がよかったし……猫にも会えるし、仲良くしといた方が得だと思ってさ、仕方なく……仲良くしてたんだよ。馬鹿だから気づかなかったろ……。フレミングでさえ微妙だし、モーメントも感覚でしか理解していないし、フィートとメートルの換算もできない。猫が好きなくせにシュレディンガーの猫だって知らない。でも、ヘミングウェイの猫は知ってったっけ……教師なんて僕には無理だな」
「そんなこと……ありませんよ。アダムスさんの授業楽しかったし、判りやすかったです。本当に」
「……飛行機の乗り方判るか? フロリダ行きの飛行機に乗れないだろ、チケットさえ取れないだろうな……。だって君、馬鹿だからさ……レポートだってなんだよ、あれ。舐めてんのか、君。落第だ落第。……関係ないことばっか書きやがって……」
……落第か、結構頑張ったんだけどな。そっか、まあ仕方ない。……今どうでもいいことだ。
「……今、そんなこと言ってる場合じゃ……ないと思うんですけど」
「ナカト、怒ったか。悔しいだろう? だったら帰ってちゃんと勉強しろ、いいな」
……別に、僕は。
「……猫も寂しがってたよ。ミスって君をここに飛ばしちまった。だから助けに来たんだ。だから君は大人しく助けられて帰ってくれ、いいな。子供は大人しく言うこと聞けよ」
……僕までマヌケな奴にしないでくれと、小さな声で続けた。
「……判り、ました」
「……よし! じゃあほら、ハリー、ハリー……」
外に向けてふらふらと歩き出す。外に出ようとした時、名前を呼ばれ銀色の何かがこちらに投げられて、それを受け取る。投げる力も残っていなかったのか。かなり移動してキャッチした。
それはいつもアダムスさんがつけていた腕時計だった。ダイバーズウォッチだ。
「帰ったら、バンドの長さ調節しろよ……」
もらえませんと返そうとする。
「……キャッチボールじゃない。あげたんだ。ナカトが持っていけ……」
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「オーディン神、僕は帰ります」
歩くたびに、左手首に巻いた腕時計がカチャカチャと音を立てる。
『……構わん。が、ウトナ……に首魁を倒すと言った手前もある。それを済ませてからにしてもらうぞ』
それは危険なのではないですか、と口にしかけて止める。帰るとアダムスさんと約束した。その約束を果たそうとするならば、首魁などと戦わずに帰ってしまうのが利口だ。でも、それは卑怯か? でも僕は帰らないと……。
『なにやら悩んでおるのか。が、案ずるな。現世の様子も見たいと思って居ったところだ。用事を済ませたら、行くとしよう』
大破した潜水艦から出ると、黒い服を着た人間が何か大きなものハンマー投げのように振り回している様子が目に入った。
「あれって……」
『あれがバス、とやらではないか。はて、やんちゃな奴もおるものだな。まるでトールではないか』
……潜水艦を振り回しているのか、馬鹿な。
振り回された鎖が軋む。そんなことがまともな人間にできるはずがない。振り回すことで突風が起き、背後の潜水艦を揺らした。
『まあ、あいつだろうな』
首魁は、断言するようにオーディン神は言い、体を代わられる。
振り回された潜水艦は遺跡に向けて投擲される。遺跡に届くまでに、ボロボロと崩れていってしまう。遺跡の頂上部に到達しそうなものだけを蛇が尾で弾き地面が揺れる。その衝撃で地震のように世界が振動する。
「……人間の真似をしてみたが、やっぱり俺の方が上手いな」
手でひさしを作り、その男は遺跡の方を見た。
アダムスさんと同じ、黒い潜水服の上に特殊部隊のような装備を付けている。男性にしては蠱惑的な高い声。綺麗な長い黒髪が今の運動で無造作に乱れている。黒い瞳、高い鼻、真っ赤な唇。耽美的な美しさがある。細くしまった体格、均整の取れた手足の長さ、繊細で長い指。何もかもが整っていて美しい。
近づいていくこちらがまるで意に介さず、地面の太い鎖に手を伸ばす。もう一隻の潜水艦のへその緒だ。
……アダムスさんの言っていた潜水艦は2隻、だったらもう駄目か。
⦅今は目の前のことに集中しろ⦆
オーディン神はたしなめるように声をかける。
『どうして……そういうことをするのだ。小僧の師の厚意を無下にしおって。いや……無価値にしおって』
無価値、という部分を強調した。
「……無価値?」
鎖を握り、男はこちらを振り向いた。
「お前、名前は?」
初めて彼の目がこちらを捕らえた。見下すような鋭く暗い眼差し。それに怖気ずくことなくオーディン神は見返す。
オーディン神は名乗りを上げる。堂々と胸を張り、
『我が魂、その座の名はヴァルハラ・ナハト。そして我が名は……』
全て言い終わる前に背後へと蹴り飛ばされた。
Ⅴ,傀儡ⅰ / strings of marionettes【終わり】




