① 無価値と呼ばれた天使
『……座の名はヴァルハラ・ナハト。そしてヴァルハラに座す我こそは大神オーディ……』
名前の間違いを指摘するか一瞬迷った。いや、迷う間もなく背後に糸で弾かれたように吹き飛ばされた。背中に感じる衝撃でその事実に気づく。
背後には大破した潜水艦。打ち付けた背中に鈍痛、そして腹部にも突き刺されたような痛みが遅れてやってきた。挟み込まれるように痛苦に襲われる。
体が自然にくの字に折れる。真っ黒で耽美的な男が靴の裏をこちらに向けていることから察するに、どうやら蹴られたようだ。
(……蹴られた? 見えなかった……)
⦅……今、当たっていたか?⦆
ゆっくりと男が歩いてくる。鎖を引きずりながら。その先には潜水艦がつながっている。ズルズルと大した重さでもないように横たわった潜水艦が軋みながら引きずられてくる。
「ヴァルハラ……ね。いい名前じゃねえか。親はいい趣味してたんだなあ。で、お前は俺が誰か判っていて喧嘩売ったんだよな。俺の名前が判っていて、あんな酷いことを言ったんだよな、いやーちょっとこいつはないぜ。人間て本当に酷すぎるぜ、まったく……』
⦅名乗りの途中だったが、気の短い男だ⦆
『無価値ってお前、それは駄目だろ……」
ひどいひどいと言いながらも、男はどこか喜んでいるようにも見えた。
フー、と息を吐いて腹をさすりながら立ち上がる。
『確信はなかったので、鎌をかけてみたが……どうやら正解だったようだな』
余裕があるように振舞ってはいるが、振りをしているだけだ。背中がびりびりと痺れている。
「そう、正解だ。でもアタリだったからお前は死ぬんだ」
長い人差し指がこちらに向けられる。
「ルシファーの奴は明けの明星。ギャビーは神の人。……なのに俺は……無価値ときたもんだ。やってられねえよな。ま、これは正解の賞品だ。おめでとうってなッ」
男は大きく鎖を振り回し、潜水艦がこちらを押しつぶそうと迫った。だが流石にあまりにも大振りだった。
潜水艦をかわし、鎖をくぐるように低い姿勢で近づき、躊躇なく男の胸に槍を突き刺した。しかし潜水艦を振る動きは止まらず、潜水艦はまた遺跡の方へと飛んでいく。それをまたウルスナビが尾で弾いた。
「もっと花火みたいに派手になるかと思ったが……あれか、信管ってやつが作動しなかったのか?」
蛇の尾に弾かれた潜水艦の破片が、男目がけて向かってくる。男はそれを手の甲で軽く払う。払われた破片が地面を叩き、揺れる。手の甲は大きく裂けたが、それを痛がる様子はない。胸と手の甲、流れていた血が急に止まる。
⦅ん……⦆
(……胸が槍で貫かれているのに平気なのか? なんなんだ。あの人も神か何かなのか。……でもあの人さえ止めれば……それで終わるのなら)
「……胸が痛むぜ。人間ってどうしてこんな酷いことができるんだろうな。やっぱどうしようもないな。救いは……」
なんでかなぁ、と彼は黒い長髪を振り乱しながら頭をかきむしった。
胸に刺さった槍を抜き、木の枝でもそうするかのように半分に折り、刃のついた部分をこちらに投げた。ギリギリの所で僕の体は左腕を振り、槍を逸らした。 槍の柄と左腕に巻き付けておいた紐のおかげだった。
男は槍の不自然な動きに、眉をひそめた。
紐の存在を気取られぬようにするためか、槍は投げられたままにしておくようだった。
(……目を凝らさなければ、この紐は見えないだろうか。いつもよりも細くなっている気がする)
⦅ただの槍では致命傷にはならんか。……栓無き事ではあるが⦆
『貴様も酷いではないか。お前が鉄球のように振り回したあの潜水艦には人間が乗っていたのだぞ。何故そう惨いことを? 死んだであろうな。……そんな死に方はしたくなかっただろうになあ。可哀想に』
罪を咎めるように、僕の口は言った。
「ここは生きた人間の入って良い場所じゃないだろう。だから問題のない形にしてやったのさ。……死んでしまえば問題ないだろ」
『……皆が勝手に入ってきたというなら、その言い分も通るが』
「人間って手間がかかるよ、本当。でも折角だから、有効活用してやるんだ。俺って優しいからさ」
男は合図をするように、パンと拍手をした。するとこの場に残った2隻の潜水艦の中から人々が出てきて、遺跡へと向かっていく。こちらには目もくれない。
背後の潜水艦を気にする……アダムスさんは、出てこない。
(……)
『フム、やはり貴様が首魁で間違いないようだ、なっ』
そう言ってアダムスさんの乗っていた背後の潜水艦に向けて、全速力で走り出す。出てくる意思のない人々をかき分けて。
「逃げんじゃねえぞ、ジジイ」
背に怒号がかかる。
こっちだってそう遅くはないはずだが……。背中に圧を感じる。
⦅よいよい、怒れ怒れ……追ってきてくれんと困る。……武器を調達せんことにはな。こいつの相手は素手では無理だ。小僧、師の墓を暴くことを許せ。仇討ちのためだ⦆
(……武器?)
船体の割れ目から滑り込むように潜り込む。いつの間にか槍からほどいていた紐で、船内の柱に巻き付け、傾いた狭い船内を滑るように降りていく。そして先ほど扉が変形して、入れなかった箇所へとたどり着いた。
⦅……さっき、アダムスとやらは何と言っておった? トマホークがこの先にあるから危険だと。よいよい。危険なものほど、今必要なのだ。十全に使って見せよう⦆
(……トマホーク? ですがここは開かなかったのでは)
⦅焦るな。今、あいつに開けてもらう⦆
『ベリアル! 儂はここだぞ』
扉を背にして、狭い通路に難儀している――ベリアルと呼ばれた男--にヒラヒラと手を振る。男はこちらを見つけ、猛然と殴りかかってくる。それをまた、すんでの所で左手の紐を巻き取りかわす。男は扉を壊し、そのままの勢いで奥まで突っ込んでいった。
穴をのぞき込むが、男の姿は見えなかった。その代わりに奥にさらに穴が開いているのが見えた。
(……でたらめな人だ。壁を破ってバラストタンクまで入っていったのか)
⦅今の内だ。出てくる前にトマホークを確保し、穴から出てくるところをこのまま封殺してしまえば、どうにかなろう。胸に穴が開いても止まらんようだが……真っ二つにしてしまえば……流石にな。ん……トマホークはどこだ?⦆
潜水艦の天面に向けて筒のような柱が何十も伸びていた。
(……この柱の中に入っているのか。そもそも……潜水艦にトマホークなんて聞いたことがない……。いや……さっき信管って……ミサイルか?)
「あ、あの……オーディン神、トマホークというのはミサイルの名前です、おそらく」
『ミサイルとはなんだ?』
「えっと……目標を追尾する、爆弾の事です。た、多分」
『ほう、現代の兵器であったか。敵を追うとは……呪いでもかけてあるのか、あるいは人造の神器か。そこまでの発展が……。よいぞ! 当ては外れたが……悪くない。使えるな?』
「え……。む、無理です! そもそも一人の人間に向けて使うようなものではないんです」
『……馬鹿者が。それを早く言わんか』
オーディン神は舌打ちしてから、吐き捨てるように言った。
「若作りジジイ、どこだ。おい」ガンガン、と壁を叩く音が反響する。
⦅誘爆……させられるものなのか?、……だが小僧の体ではルーンは使えん⦆
『……チッ、ヒドラの二の舞になるか。……とにかく出るしかないな』
⦅閉所で丸腰、これで馬鹿力の相手ができるはずもないか。勝手に自滅してくれれば……それはないだろうな⦆
また左手を振り、紐を開口部近くの配管に巻き付け、巻きとる。手繰りながら移動する。
『グレイプニルがあったのは不幸中の幸いだな……』
それは紐の名前だろうか。
【続きます】




