第11話 王の間にて
まだ城外では王国軍の残党と帝国軍との戦いが続いていたが、住民も衛兵も逃げ出した王都には虚しい風だけが吹いていた。
もはや〈敗北の王〉を護る者はいない。側近なり忠臣と言い、王の甘い蜜を吸うことでしか生きていけない屑どもと〈残された半身〉を除けば。
人気なく、すでに廃墟になりつつあるような城内に入り、王の間へと進む。
そこにいたのは、十数匹の火蜥蜴と、玉座に座る〈敗北の王〉、そして、巨人の肩に腰掛けた〈残された半身〉だった。
くくく、よく来たな。よくもまあ、ここまで王国軍を殲滅してくれたものだ。我は知っておるぞ。血で平和を贖おうというのだろう?
だが、貴様は民を殺しすぎた。王国は消えても恨みは消えない。平和など来ない。
だろうな。〈血まみれの聖母〉が静かに魔剣を構える。だが、おまえはこれから殺される。余計なことは考えなくていい。崇める神でも悪魔でも、好きなものに祈るがいい。
我は祈らぬよ。我に祈るがいい。
にやにやと笑う〈残された半身〉が合図をすると十数匹もの火蜥蜴が一斉に身動きし、こちらへ向かってきた。
巨大な体躯で尾を振り回し、炎を吐く化物。
しかし、この数年、何匹となく屠ってきた。動きは鈍く、体もさして硬いわけではない。殺せる化物なのだ。なにより、〈血まみれの聖母〉が振るう魔剣〈忿怒の遺産〉は傷付けた相手を操ることができる。火蜥蜴どもは互いに喰らい合い、あげく、操られたまま〈沈黙の王〉へと向かっていった。
おお、わしの忠臣たちが。〈残された半身〉よ、この後どうするのだ。わしの国も財宝も、すべて差し出したのだぞ。
そうですな。最後まで貴方に喰らいついて離さなかったダニのような方々が、残ったすべてでしたか。
くくく、もう終わりですよ、この国は。だが、貴方は、我の魔術探究に何もかも差し出してくれた。よろしい、もう一度だけ魔術を役立てましょう。
どうするかは貴方次第。最後の財産を差し出すかどうか。どうしますか?
差し出す。差し出すから助けてくれ。
では、と〈残された半身〉が、ねじくれた左腕を伸ばした。ひっ、と声をあげて逃れようとする〈敗北の王〉の体が変わっていく。ねじれて、膨れて、破裂して、ちぎれ、つながり、ごぼごぼと溶けた。
玉座から垂れ落ちた〈敗北の王〉であったものが、シューシューと音を立てながら蠢き、向かってきていた火蜥蜴を飲み込んでいく。溶け落ちる火蜥蜴の分だけ、泥沼が大きくなった。
ごぼごぼと動いて、〈残された半身〉を肩に乗せた巨人に縋るようにする。巨人の足が泥沼に飲み込まれ、沈み込みながら溶けていく。
無表情なまま、巨人の口から怒号のような悲鳴のような叫び声が発せられた。
くくく、もう火蜥蜴も巨人も愚王もいらん。ここでの魔術の研鑽は終わりだな。最後に見物してから立ち去るとしよう。
〈残された半身〉は、嗤いながら、ねじくれた左腕で自分の体に触る。小柄な体を黒いケープで覆った少女が、不吉な鴉へと変貌する。
溶けていく巨人の肩から飛び立ち、天井近くに彫り込まれた異教の女神像に爪を立てて止まってみせた。
くくく、我は知っているぞ。〈血まみれの聖母〉が振るう魔剣〈忿怒の遺産〉は、人であれ獣であれ化物であれ、血の通う物には凄まじい力を発揮するが、そうでない物には並の剣に過ぎないと。
それそれ、泥沼が魔竜に変わるぞ。血の代わりに毒液を吹き出す魔竜、〈死体を飲み込む者〉を、どう倒すのか見せてくれ。
その言葉どおり、泡を立てて蠢いていた泥沼が、火蜥蜴と巨人を飲み込んで膨れ上がり、輪郭のはっきりしない竜の姿をとった。声にならない咆哮をあげ、〈死体を飲み込む者〉が一歩前へ出る。
こちらは一歩引くしかない。
だが、引かずに残る者があった。〈血まみれの聖母〉だ。〈忿怒の遺産〉を床に突き立て、〈死体を飲み込む者〉を真っ直ぐに見据える。
他が一歩引いたせいで、一歩前へ出たように見えた。〈死体を飲み込む者〉の咆哮が、暴風となって長い髪を揺らす。凛とした横顔は出会った頃から変わらない。悪魔、聖母、魔女、なんと呼ばれようと、覚悟を決めた姿は美しかった。その口が動いて、振り向かずに言う。
人を見下ろし、見下し、蔑む、クソ鴉を逃がすなよ。頼むぞ、おまえたち。
ゲヘヘ、俺様が並の剣だと? 竜でも悪魔でも神でも、なんでもぶった切ってやるよ。吹き出る毒液のことまでは知らんがな。
ふんと鼻を鳴らして〈血まみれの聖母〉が踏み込んで魔剣を構えた。
黒々とした波打つ体を揺らす〈死体を飲み込む者〉が、突進しながら切り裂かれていった。毒液を撒き散らし、長く響く悲鳴をあげて。尾の先まで、右と左と綺麗に切り裂かれていた。
魔竜が両断された後には、〈血まみれの聖母〉が立っていた。その体が、ぐらりと揺れる。魔竜の体から吹き出した毒液を浴びたのだろう。魔剣を支えに膝をついて、倒れることを拒否する。
駆け寄って肩を貸そうとしたが、体が動かないのか、そのまま腕の中へ倒れこんできた。森の中で抱きあげた時以上に軽く儚い。
くくく、さすが〈修道院の悪魔〉と呼ばれるだけのことはある。おまえに対する恨みが充満するこの国をそれほどまでに欲するか。いいだろう。我にとってはどうでもよいことだ。好きにするがいい。
〈残された半身〉が翼を広げて飛び立とうとした時、荒い息の奥で、〈血まみれの聖母〉が、くたばれ、と呟くのが聞こえた。
同時に、異教の女神像から伸びた腕が、鴉の足首を掴んだ。それは彫像の腕ではなく、見慣れた〈沈黙〉の左腕で。彫像が刻まれた柱から抜け出すようにしながら短剣を振るい、鴉の胸から生えるねじくれた左腕に斬りつけた。
だが、断ち切るまでは行かず、短剣が突き刺さったままのねじくれた左腕が〈沈黙〉の腕に触れた。
ぱきぱきと音を立てて〈沈黙〉の体が石と化していった。異教の女神像から上半身を突き出したような格好のまま固まっていく。
おのれ! よくも我が腕を傷つけてくれたな。粉々に砕いてくれる!
石像と化した〈沈黙〉を叩き割ろうとする鴉の背に矢が突き刺さった。姉の〈さえずり〉が放った矢だ。
怒りに燃える目を向けて、鴉が、鷲になり、空飛ぶ蛇と化し、目まぐるしく姿を変えながら、〈さえずり〉に突進する。
声をあげる間もなく、弾き飛ばされながら〈さえずり〉の体が石になっていった。
空中から降り立った〈残された半身〉は、巨大な狼の姿になって唸り声をあげた。長い前脚を振り回して、石と化した〈さえずり〉と〈沈黙〉の体を粉々に砕いた。
くくく、貴様ら、余計なことをしなければ生きて帰れたものを。
言うなり突っ込んできた〈残された半身〉に、〈血まみれの聖母〉とともに吹き飛ばされた。背中から壁に激突し、息ができない。
ゆっくりと〈残された半身〉が近付いてくる。こちらを見下ろすようにして嗤う。〈さえずり〉も〈沈黙〉も粉々に砕かれて殺された。〈血まみれの聖母〉は気を失っていて、自分の体も言うことを聞かない。諦めかけた時、狼の巨体が膝を折った。
くそ、魔力と血が足りん。
そう呟く巨大な狼〈残された半身〉の胸からは、鴉に変貌した時と同じく、ねじくれた左腕が突き出ており、〈沈黙〉の短剣が突き刺さったままだった。
ぽとぽとと滴り落ちる鮮血は、床に転がる魔剣〈忿怒の遺産〉を、わずかに濡らして……。
何年も昔の厩舎でのことを思い出す。
このオレが、一度でも血をすすったからには、いつでもおまえを殺せる。そう言っていなかったか。痛む身体を騙すようにして立ち上がり、〈忿怒の遺産〉を拾いあげた。
その刃が血に濡れていることに気付いたのか、〈残された半身〉が左腕で自らを撫で、再び、鴉に姿を変えて舞い上がる。逃げられる! そう思っても体が満足に動かない。
その時〈死体を飲み込む者〉の体が震え、そこから伸びた黒い触手が〈残された半身〉の脚を掴んだ。縋り付くように、懇願するように。
ゲヘヘ、見捨てた連中に捕まってやがる。ヤツを殺すには、いましかないぞ。動け! 動いてオレを投げつけろ!
びきびきと身体をきしませ、あいつを殺す、と一瞬だけ〈狼の皮〉の力を乗せて魔剣を投げつけた。
〈忿怒の遺産〉は、過たず、鴉の胸から生える、ねじくれた左腕を斬り落とした。
鴉が地面に落ち、その脚をとらえていた触手も、ぼろぼろと崩れ落ちた。
その鴉は、〈残された半身〉であった者は、傷痕から血を流し、ガァガァと喚くのみで、人の言葉を忘れたかのようだった。
ゲヘヘ、こいつの魔力の元は、この左腕だったんだ。いまは、ただの鴉になっちまった。
地べたを這う鴉を蹴り飛ばす。
喋れなくなっても、こちらの言葉はわかるのだろう。さっさと失せろ、鴉として生きることは許してやる。そう言うと、〈残された半身〉は、必死に羽をばたつかせて飛び去っていった。
ゲヘヘ、その左腕は持っておけ。望む姿に変身できる力を残しているぞ。
だが、ばらばらになった〈さえずり〉と〈沈黙〉を元に戻し、生き返らせることはできなかった。変身させられるのは生きている者だけ。
戦死率は不動の一位。
久々に思い出した。意識を取り戻した〈血まみれの聖母〉は、〈さえずり〉〈沈黙〉と呟いて長々と動かず。涙は枯れてしまったのか、黙々と石の破片を拾い集めていた。
ゲヘヘ、そんな石ころを拾ってどうするんだ? 勝利だぞ。死に物狂いで戦ってきた結果の勝利なんだ。勝鬨をあげろ!
〈忿怒の遺産〉の声は威勢よく、しかし、どこか寂しげに広間に響いた。




