第10話 代償
ともあれ、首尾よく〈忿怒の遺産〉を奪還し、その持ち主である〈血まみれの聖母〉の元へと戻ってきた。野営地から離れた小さな村の教会へと。ところが、
いない? 連れていかれただと!
と、声を荒げてしまった。ほんの数日前のこと、野営地からきた一団の兵士が、まだ満足に歩けもしない〈血まみれの聖母〉を連れ去ったのだという。
抵抗すれば教会や村の人間を殺すと脅され、おとなしく従うよりなかったらしい。さらったのは〈無能の騎士〉の部下たちだ。
旅の疲れを癒す間もない。だが、どうするべきか視線を向けると、
にゃはは、ここまで来たら、行くしかないっしょ!
と〈さえずり〉が元気よく応じ、〈沈黙〉も寡黙に頷いてみせた。
駆けに駆け、〈無能の騎士〉の野営地にたどり着いたのは、その夜のことだった。
とにかくも〈無能の騎士〉を捕えることだ。
例によって〈さえずり〉の歌で侵入する。指揮官の天幕とはいえ、〈沈黙〉の力を使うまでもなく、たやすく入り込むことができた。
そこでは、予想はしていたが、見たくはなかった光景が広がっていた。どろりとした闇と、かぼそい灯りの下で、〈無能の騎士〉が〈血まみれの聖母〉に覆いかぶさっていた。
果てた〈無能の騎士〉が、荒い息を吐く。
なんだ、もう済んだのか?
蔑むような声音で〈血まみれの聖母〉が言う。答えは、激しい平手打ちだ。
黙れ! 魔女め。泣きわめくなり可愛げを見せれば、妾くらいには扱ってやろうと思ったが。どうだ、両腕を縛られ、玩具のように扱われる気分は?
まだこれからだぞ。兵士どもの慰みものにくれてやるからな。ははは、その生意気な態度がいつまで続くか楽しみだ。
ペッ、と口中の血を吐いて睨み返す〈血まみれの聖母〉に、もう一度、平手打ちを喰らわせようとした〈無能の騎士〉の腕を、魔剣で斬り落としてやった。
妙な声を上げて、逃げ出そうとしたその足にも斬りつける。錯乱したように命乞いを繰り返す哀れな姿を眺めても、止めを刺してやろうという気持ちにはなれなかった。ただ、くだらない言葉を吐く口に〈忿怒の遺産〉をねじ込み、悶えながら死んでいく様を、淡々と眺めて過ごした。
やがてその肉塊は静かになり、痙攣も治まった。
ようやく振り返って〈血まみれの聖母〉を見た。顔中、痣だらけで、手首には縄の跡がついている。
裸体の上に、〈さえずり〉のマントを羽織っていた。平素の無表情な顔の奥が揺れているような。静止した壁の向こうで風が唸り声をあげているような。
遅くなって悪かった。
絡みつく喉の奥から、やっとひねり出した言葉は、まるで馬鹿みたいな言葉だった。そうじゃないだろう。もっと何か……。
そう思って言葉を探していると、〈血まみれの聖母〉は、乾いた声で笑い、
いや、よく来てくれた。こんな傷や辱めなど、なんてことはない。私に、こんな身体に、なんの価値も……。
と、言い終えることなく、すすり泣き、しゃくりあげながら抱きついてきた。声を上げて泣くその姿に、ロザリオに手を伸ばす少女の姿を思い出した。
その後のことは、嵐のように起こった。
無能とはいえ、指揮官が死に、部隊としての頭をなくした集団に、〈残された半身〉率いる王国軍が襲いかかったのだ。
自分たちを追ってきたのか、当初からの予定か。いずれにせよ、巨人や火蜥蜴をも交えた軍団に奇襲され、〈無能の騎士〉が率いていた部隊は全滅した。
なんとか脱出はしたものの、〈血まみれの聖母〉が王国と通じ、〈泥甕の貴公子〉と〈無能の騎士〉を殺したとの注進がなされ、〈狂喜の大帝〉に呼び出されることとなった。
罪人扱いではなく、申し開きの機会を与えられた〈血まみれの聖母〉は、〈狂喜の大帝〉となんらかの取引をしたらしい。
そして、数年。
帝国軍は、王国の領土を蹂躙し、破壊し、支配し、その王都を残して、ほとんどを統治下においた。戦いの尖兵となったのが〈血まみれの聖母〉で。
まさに血まみれになって戦い続けた。
かつての慈悲を感じさせるものはなく、女子供にも容赦はしなかった。聖女とも魔女とも呼ばれていた頃が懐かしいくらいだった。呼び名は〈修道院の悪魔〉に変わりつつあった。
それほどに容赦なく。殺して、殺し、殺させて、殺し続け。刃向かうものは、徹底的に弾圧し、鏖殺した。血で贖う平和、その代償は大きく、どれほどに値を吊り上げれば気が済むのだろう。
帝国軍が〈血まみれの聖母〉の旗の下で結集し、カリスマ的な力で駆り立てられるも、それだけの対価を支払わねばならなかったのは、〈残された半身〉のせいだ。
主人である〈敗北の王〉に無制限の権限を与えられ、魔術で味方をも化物に変えて戦わせる。王国や民への慈愛など何も感じられない。
王国も帝国も、互いに逼迫し、息を切らせていた。
だが、それも、ようやく終わりを迎えようとしている。帝国軍が王都を包囲し、総攻撃に移らんとしているのだ。すでに人と人との戦いは趨勢が決まった。王国軍の一部は、諦め、投降し始めている。
王城に残るのは、〈敗北の王〉の側近と〈残された半身〉のみ。
普段は無表情な〈血まみれの聖母〉が、唇を噛んで強い意志を露わにしていた。
ゲヘヘ、緊張しているのか?
品のない笑い声とともに〈忿怒の遺産〉が言う。らしくないじゃねぇか、と続く揶揄いに、ふんと鼻を鳴らして魔剣を掲げた。
さあ、くだらん戦争の幕引きだ。王国軍はすでに瓦解した。残るは愚かな王と道化のみ。〈さえずり〉〈沈黙〉〈狼の皮〉、ここまでしぶとく生き抜いてきたのだ。勝手に死ぬことは許さん。死ぬ時は、私の許可を得てからにしろ。
行くぞ、と静かな声が響く。




