第12話 処刑
兎も角も王都を攻め落とし、〈残された半身〉も〈敗北の王〉も、その始末をつけた。まだ地方的な叛乱や小競り合いは続いていたが、それも徐々に治まりつつある。
多大な被害を出した戦争で、統治には難しい面もあるだろう。しかし、もう、王国は失われた。大きな戦いはない。
さえずりが聞けないのは寂しいが、しばらくは任務もなく静かに過ごせる。そう思っていたところへ、〈血まみれの聖母〉から、王国の西の果て、海岸近くの街へ行けと指示された。
〈忿怒の遺産〉を持ち、手紙を待て、何が起ころうと動くな。というもので、旅費と給金として唸るほどの金も渡された。
おかしな任務とは思ったが、何も聞かず従うのが習慣になっていた。自分も後から行くという〈血まみれの聖母〉の言葉を信じた。
辿り着いた街は、辺境の小さな街ではあったが、船での交易も盛んで、思ったより活気ある街だった。
酒を飲み、女を抱いて、手紙を待つ。
だが、手紙よりも早く届いたのは、〈血まみれの聖母〉が処刑されるという知らせだった。〈狂喜の大帝〉の意向を無視した略奪行為、鏖殺、拷問、騙し討ち、卑劣かつ残虐な数多の行為を罪状として。
その噂に、元の王国の民である街の住民は歓喜し、慈悲深い〈狂喜の大帝〉を讃えた。ほとんどお祭り騒ぎの街の中で、この街の住民を鏖殺してやりたいと思うどす黒い気持ちに耐えられたのは、噂を聞いた後に届いた手紙のおかげだった。
手紙は〈血まみれの聖母〉からのもので、最後に自分が処刑されるところまでが〈狂喜の大帝〉との取引きだったのだという。
戦争で生まれた憎しみや恨みをぶつける先が必要だ。すべての罪を被って私が魔女として死ぬ。そうして、ようやく平和が贖える。
これまで私の犬として、よくやってくれた。〈忿怒の遺産〉と、同封したロザリオは、おまえにやる。餞別代わりだ。ねじくれた左腕で姿を変えて身を隠せ。大陸から島へ渡るのもいいだろう。
おまえのことは……
と最後の一行には何度か書き直した様子があって、はっきりと読み取れなかった。墨塗りの最後に、良い部下だったと書いてあるが。
手紙を読み終えて呆然としながらも、ふつふつと怒りが込み上げてくるのがわかった。気をつけろ、気をつけないと〈狼の皮〉の力を呼び覚ましかねない。
街の噂では、処刑は大々的に行われるため、まだ日にちを要するという。
どうするか、そんなことはもう決まっている。〈血まみれの聖母〉の犬として、最後まで従うのみ。だが、時として、犬も飼い主を噛むものだ。〈忿怒の遺産〉を背にして、処刑地の旧王都へ向かった。
帝国軍の中では顔も知られているため、ねじくれた左腕を使った。姿を変えた時、その指が一本崩れて消えた。残り四本。
目立たない兵士の姿で旧王都に入る。
まだ処刑は行われていないらしい。街の中は、〈修道院の悪魔〉こと〈血まみれの聖母〉の最期を一目見ようという輩で一杯だった。王城前の広場で晒し者にしたうえで、公開処刑にするという。
背中に〈忿怒の遺産〉を背負い、襤褸の外套を羽織って聴衆に紛れ込んだ。広場は、人また人で溢れんばかりだ。強引に人垣を抜けて前へ出る。
聴衆の最前列に出て、目に飛び込んできたのは、〈血まみれの聖母〉の無残な姿だった。広場中央に立てられた十字架もどきの柱に縛り付けられ、うなだれて座り込んでいる。服も髪も襤褸ぼろで、顔は腫れあがり、身体中、傷だらけだった。明らかに、拷問、暴行、陵虐を受けたのだとわかる。
帝国軍の将校らしき者が、〈血まみれの聖母〉の罪状を述べ始めていたが、沸騰する怒りに、言葉が入ってこない。
聴衆から石がぶつけられ始めた。
周囲のすべては敵だ。自ら望んだことだとしても、戦争犯罪人に仕立て上げられた〈血まみれの聖母〉が嬲り殺されるのを、黙って見届けることが自分の役目なのか。いや、暗闇の牢獄を思い出せ、慈悲の剣を突き立てた感触を思い出せ、背中の温かさを思い出せ、拾い集めた石の冷たさを思い出せ。
バラバラと飛礫の舞う中、一歩前へ。
制止しようとした帝国軍の兵士を、一刀の下に斬り捨てた。その血が生き物のように蠢き、死んだ兵士を立ち上がらせる。何が起こったのか、他の兵士も聴衆も理解できないでいるところへ、〈忿怒の遺産〉が広場中に響き渡る声をあげた。
ゲヘヘ、〈修道院の悪魔〉は不死身よ。死にたい奴は前へ出ろ! このオレに、血をひとすすりでもされれば最後、死ぬまで奴隷だ!
もはや戦場の伝説ともいえる〈忿怒の遺産〉を知る者は、兵士も聴衆も怖気づき、我れ先に逃げ出し始めていた。一部の勇敢な兵士が向かってくるも、〈忿怒の遺産〉に傷つけられ、生きたまま、あるいは死んで操られる血まみれの軍勢と化した。戦えば戦うほど力を増し、恐怖を増し、聴衆の恐慌を誘った。
広場中が混乱するなか、〈血まみれの聖母〉の縛を解く。助け上げ、混乱にまぎれて逃げ出そうとした時、血まみれの軍勢が不意に力を失って倒れこんだ。
逃げ散った聴衆や斃れた兵士の代わりに、〈狂喜の大帝〉率いる親衛隊が姿を現した。広場の中央を囲むようにする。
一軍に矢をつがえさせている。
なぜ魔剣の力が失われたのか、なぜ血まみれの軍勢が倒れ伏したのか、その答えは、〈狂喜の大帝〉が手にした鳥籠にあった。
その中には、胸におかしな傷痕のある鴉。
王国の魔術師〈残された半身〉の成れの果て、言葉を忘れた異形の鴉だ。だが、言葉を発せなくなっただけで、嘴にインクをつけ、〈狂喜の大帝〉の側近が差し出した羊皮紙に、がりがりと何事か書きつける。
動くのも億劫そうな〈狂喜の大帝〉は、まだ若いはずなのに、老練な、饐えたような声で笑った。
うひひ、鴉めが! 偉そうな書き振りよ。まだまだ自分の立場がわかっておらんようだな。ねじくれた左腕を取り返せだと?
ああ、取り返してやるとも。わしのためにな。さあ、そこな男。最後の〈狼の皮〉だったか。魔剣と左腕とを寄越せ。おとなしく渡せば助けてやってもいいぞ。そこの襤褸切れのような女が欲しいなら、それもくれてやろう。
……わしの使い古しだがな。うひひ。
その言葉を聞いた瞬間、心の奥で狼が目覚めるのがわかった。グレイプニルを引きちぎるフェンリルの如く、解き放たれた狼が狂ったような叫び声をあげた。
それは嘆きであり、怒りであり、悲しみであり、威嚇であり、悲鳴でもあった。視界の端で、取り落とした魔剣とねじくれた左腕、座り込んだままの〈血まみれの聖母〉が映った。
ぎりぎりと歯が軋み、身体中の筋肉という筋肉が、ごうごうと収縮する。いまにも吹き出しそうなほど勢いよく血が流れ出す。代わりに、思考が停止し、意識が飛んだ。
……目覚めた時、広場には何もなかった。
正確には、原型をとどめない無数の死体が、大鍋で煮込まれたように、ぷかぷかと血の海に浮かんでいた。右手には千切れた鴉の首、左手には野太い〈狂喜の大帝〉の首を握っていた。鴉は絶命していたが、左手の首は、生きて呻いていた。
そして、足元に。後ろから縋るように、〈血まみれの聖母〉が。折れ曲がった腕で〈忿怒の遺産〉を握り、殺すな、殺すな、と繰り返していた。頼む、殺すな。こんなクズでも、殺せば、また戦争が起こる。〈泥甕の貴公子〉亡きいま、帝国の後継者足り得る者がいないのだ。
絞り出すような声を聞いて、発作のような怒りは失せ、代わりに冷たい心が帰ってきた。
〈狂喜の大帝〉の首から手を離し、どさりと地に落とす。あわせて、力の失せていく体を無理やり動かし、魔剣を手にした。
喉を抑えて呻く〈狂喜の大帝〉の左腕を斬り落とす。痛みに転げ回る豚のようなそれを踏みつけ、かつて厩舎で言われた言葉を思い出しながら伝える。
おまえには、二つの道がある。ここで、いますぐに死ぬか、私心なき統治者として王道を生きるか。これ以上の説明はしない。待たない。妥協もない。安らかな死か、高潔を演じる生か。どちらでも、好きな方を選べ。
うひひ、痛い、痛いのぉ。それでも死にたくないのじゃ。助けてくれ。許してくれ。いくらでも蔑み、貶めてくれ。
その返答を肯定とみなして、さらに〈忿怒の遺産〉を鼻先に突きつける。
ゲヘヘ、見た目どおり、不味い血じゃないか。いいか、これで、おまえはこいつの奴隷だ。このオレが一度でも血をすすったからには、いつでもおまえを殺せる。
うひひ、わしが名君を演じれば良いのじゃろう。高潔さも、寛容さも、慈悲深さも、わしには無い。じゃが、わし自身の命を守るためなら、糞でも舐めようぞ。
うひひ、うひひ、と無くなった左腕を押さえながら笑う〈狂喜の大帝〉の前に、襤褸ぼろの〈血まみれの聖母〉が立つ。
肩を貸しながら見るその横顔は、汚されても汚されても美しく、気高いものだった。その口が、絞り出すように言う。
帝国を維持し、王国の統治を安定させるのに、綺麗事だけでは上手くいかないことは分かっている。だが、ダモクレスの剣を忘れるな。貴様の頭上には、常に〈忿怒の遺産〉がぶら下がっているぞ。
ぐらり、その体が揺れた。肩を貸しているにも関わらず、いまにも倒れそうだ。ささやくような声で、ねじくれた左腕を使うように言われ、空を行く姿を投影してみる。
〈血まみれの聖母〉の怪我が癒え、やつれた頰に赤みがさす。さらに、その背中からは純白の翼だ。馬鹿なイメージだな、と照れたように言いながら翼を広げた。
足元に広がる黒ずんだ血の海、またそこに浮かぶ死体との対比で、輝くばかりに見える。ばさばさと真昼の空に浮き上がったその白い翼を追って、黒く禍々しい翼を広げて空に浮かぶ。
一対の天使あるいは悪魔の姿となって飛び去る間際、もう一度、警告を発した。
いいか、〈狂喜の大帝〉よ。長生きしたくば、せいぜい善政をしくのだな。ダモクレスの剣は、どこかで見ているぞ。
後に〈死の広場〉と呼ばれることとなる旧王都の王城前を飛び去り、街を越え、村を越え、果てしなく続く大海のような森の中へ〈血まみれの聖母〉と舞い降りた。
少し開けた場所に、何を言うでもなく、並んで腰を下ろした。胸中を行き来するものは何か。
言葉にしなければ何も伝わらず、言葉にしたところで何も伝わらない、そんな悲しい生き物が、異形の翼で身を包んで座っていた。
馬鹿なことをしたな。
ぽつりと〈血まみれの聖母〉がつぶやいた。
だが、感謝しなければな。もうロザリオも渡した。いまの私には、金もなければ権力もない。働きに報いるものがない。
もし、こんな私で良ければ、私自身をやろう。慈しむなり、弄ぶなり、好きにしろ。飽きたら捨てればいい。なんだ、首を振って。不満なのか。違う? 喜んでもらい受けると言うのか。もう返さないと。ふふ、馬鹿だな、おまえは。
さて、どのみち天使や悪魔もどきの翼をつけたままではおれん。ねじくれた左腕の指は、あと2本か。
ただ元に戻るのでは芸がないし、互いにすねに傷持つ身だ。できれば、少し若くもなりたいな。なんだ、女っぽいだと? ふん、立派な女だよ、私は。妹の死がなければ、普通に結婚して子供を育て、平和な日々を過ごしていたのかもしれないぞ。ああ、そうだ……
何か思いついたらしい〈血まみれの聖母〉の要望をいれて、ねじくれた左腕を互いの体に当て、あるべき姿を想像する。
〈後書きに代えて〉
その日、深い森の奥から、体に見合わぬ大剣を背負った少年と、修道服に身を包んだ少女が駆け出してきた。明るい日差しの下で、少年は、胸に下げていたロザリオを少女に手渡した。それは、きらきらと、希望の光のように輝いていた。




