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組織的異世界転生〜終末の魔女を救う為、呪われ姫は夢洲に仕掛けをしました〜  作者: たりな
第一章 異世界への入り口(万博内郵便局)

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 海側のベンチを離れると、足元の影が少しずつ長く伸びていった。

 大屋根リングへ続く道は、人が多い場所とは思えないほどゆったりしていて、まるで彼女とHのためだけに空いた道のように感じられた。

「……あっ」

 彼女が立ち止まり、Hの腕をそっと引いた。

「見てください。海、さっきよりキラキラしてます」

 指差す先には、陽の角度が変わったのか、さっきよりも明るく瞬く水面が広がっていた。

「ほんとだ。午後の海って、ちょっと特別に見えるよね」

「はい……なにか、“これから何か始まる”みたいな感じがします」


 ……その予感は正しいのだが、二人はまだ知る由もなかった。


 彼女は頬にかかった髪を押さえながら、小さく笑った。

 その笑顔は、海より柔らかくて眩しい。

 気づけばHの足取りは軽くなっていた。

 彼女と話しているだけで、胸の奥からふわっと力が抜けていく。

「えへへ、なんか可愛い……」

 すれ違う子どもが万博のカチューシャをしているのを見ながら、彼女は優しい笑顔を見せた。

 彼女が笑うだけで、景色まで優しく見えるから不思議だ。

 少し歩くと、海風が強く吹いた。

「大丈夫?」

「だ、大丈夫です……でも、髪が……あっ、もう……」

 彼女が頬を赤くしながら乱れた髪を整える。

 その仕草ひとつに、胸がくすぐったくなる。

「風、強いな。上の方はもっとすごいかも」

「ふふ……じゃあ私、飛ばされないように頑張らなきゃ」

 彼女はそう言って、Hのそばへ半歩近づいた。

 エスカレーターへ近づくと、予想通り少しずつ混雑してきた。

「……あ、やっぱり並んでますね」

「かなり混んでるね」

 彼女はしばらく眺めていたが、ふいに「あっ」と声を上げて右側を指した。

「ほら、階段!」

 海側に隠れるようにして伸びる階段。

 確かに人がほとんどいない。

「こっちから行けるんですよね?」

「うん。知る人しか使ってない道だと思う」

 彼女は胸の前で手をぎゅっと握り微笑んだ。

「よかった……! せっかくなら、静かな道で行きたいなって思ってたんです」

「じゃあ、階段で行こうか」

「はいっ」

 彼女はぱっと顔を明るくした。

 さっきより少し速い足取りで、階段へ向かっていく。

 その横顔を見ながらHは思う。


———


 こんなにも嬉しそうに隣を歩いてくれる人がいるなんて。

 こんなにも自然に、気持ちが温かくなる時間があるなんて。

 彼女といると、当たり前の景色までやわらかく変わる。


———


 階段の前に立つと、彼女はそっとHの方を向いて言った。

「Hさんと一緒なら……どんな道でも楽しいです」

 海風に揺れる声は、ほんのり照れたようで、でもしっかり胸に響いた。

「……行こう。上まで」

「はい!」

 彼女は小さく頷いて、階段を一段上った。

 その背中を追いかけるように、Hも足を踏み出した。

 階段を上りきった瞬間、視界がふわっと開けた。

 大屋根リングの上は、海と空の境目がどこか曖昧になるほど眩しくて、景色全体が光をまとっているように見えた。

「……わぁ……」

 彼女は小さく息を漏らした。

 その声は驚きと嬉しさが混じっていて、まるで子どもみたいに素直で無邪気だった。

 彼女は手すりに駆け寄ると、海を見下ろしながら嬉しそうに目を輝かせた。

「すごい……! ほんとに広いんですね。なんだか、屋根じゃなくて、空の上に立ってるみたいです」

 彼女はくすっと笑った。

「今日、一番嬉しかったのは……一緒にご飯を食べた時間です」

「ハーリング、半分こしてかじりあって……同じ味を一緒に驚けたの、すごく嬉しかったから」

 その頬は少し赤くなっている。

「僕も……楽しかったよ」

 それしか言葉が出なかったが、彼女の目が、ぱっと嬉しそうに煌めいた。

「ほんと、ですか?」

「うん」

「よかったぁ……」

 彼女はほっと肩を落とし、胸の前で両手をぎゅっと握った。

 その柔らかい表情を見ていると、もっと何か言いたくなる。でも言葉が浮かばない。

 そんな沈黙を破ったのは、彼女の急な声だった。

「……あ」

 彼女はふいに動きを止め、視線を一点に固定した。

 大屋根リングの縁を見下ろすような角度。

 そこには、屋根に立つ有名キャラクターの巨大オブジェ。

 遠く淡路島の方向を指差している。

 彼女はそのパビリオンを見つめたまま、まったく動かない。

「……どうかした?」

 返事はない。

 息をしているのか不安になるほど、彼女はじっと固まっていた。

「大丈夫?」

 呼びかけると、ようやく瞬きをして、笑顔……の形だけを作った。

「……ごめんなさい。ちょっと、ぼーっとしちゃいました」

 明らかに声が小さかった。

 さっきまでの弾むような声じゃない。

「疲れちゃった?」

「いえ……違うんです。ただ……」

 彼女は言いかけて口をつぐみ目を伏せた。

「行きたい場所があるんです。でも……怖いんです。行けば、期待外れで……治らないって、分かってしまうかもしれないから」


 二人の距離が縮まったと感じてくれたのか、彼女はゆっくりと話してくれた。

 

 彼女の病気のこと。

 そして、この世界では治らない難病が、iPS細胞で将来的に治療法が確立されるのではとの期待を持っていること。

 だから、iPS細胞の心筋シートの展示を見たくてパビリオンの予約を取っていることを。


 だけど、その言葉は弱く震えていた。

「……無理に行かなくてもいいんだよ」

 気休めでも偽善でも、その言葉しか出なかった。

 彼女は首を横に振った。

「行きたいんです。ちゃんと知りたいんです。でも……期待して、期待した分だけ苦しむのが怖いんです」

 風が二人の間をすり抜けていく。

 笑顔ばかり見てきたせいか、その震えが一層痛ましかった。

 思わず手を伸ばしかけて……寸前で止めた。


 過去の出来事が脳裏に浮かんだ。


 同期のSと共有する秘密の出来事。


 大切にしてしまったら、勘違いさせてしまう。

 特別な距離になってしまう。

 あとで彼女が傷つく要因になるのは、避けなきゃいけない。

 頭ではそう理解していた。

 でも、胸の奥がきゅっと締め付けられる。

「……行こう」

 自分でも不思議なくらい自然と声が出た。

「怖いなら、僕は、その横にいるよ」

 彼女は大きく見開いた瞳でこちらを見つめた。

「Hさんは……ずるいです」

「え?」

「そんな言い方されたら……一緒に行きたくなるじゃないですか」

 笑っているのに、今にも泣きそうな声だった。

「……ありがとう。ほんとに、ありがとう」

 彼女は小さく頭を下げた。

 その仕草が胸に刺さった。

 守りたいと思ってしまうほどに。

 ……でも、それは今だけだ。

 彼女の病気のことや期待や希望を背負う役になってはいけない。

 感情で距離を詰めてしまったら、彼女のためにならない。

 分かっているのに。

「行きましょう。……大切な場所へ」

 彼女が顔を上げる。

 その先へ進むための階段はすぐ目の前にあるのに、

 Hの心だけが少し、後ろに引っ張られていた。

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