④
地下礼拝堂に、再び静寂が戻った。
揺れる蝋燭の炎だけが、石造りの壁へ淡い影を映している。
アマギ・パンジャは、目の前の少女を見つめた。
姿は間違いなくミライ。
だが、その魂は別人。
それでも、奇跡は奇跡だった。
失ったはずの妹が、再びこの世界で息をしている。
その事実だけで胸が熱くなる。
しかし、王である彼は感情だけでは動けなかった。
「……何者であろうと、お前が生きていることだけは決して知られてはならん」
少女は静かに顔を上げる。
「カリメア帝国は、ミライ・マティーニを執拗に探している。」
アマギはゆっくりと言葉を選んだ。
「もし生存が知られれば、お前は必ず連れ去られ凌辱されるだろう」
少女は黙って聞いていた。
「アストラリオ共和国の伯父の所が良い」
「そこで身を隠しなさい」
長い沈黙が流れた。
少女は俯き、自分の胸へ手を当てる。
何も思い出せない。
名前も。
故郷も。
自分が誰だったのかさえ。
なのに、胸の奥だけが熱かった。
何かが、自分をどこかへ導いている。
言葉になる前に口が自然に動いた。
「……隠れません。」
アマギが目を見開く。
「私はカリメアへ行きます」
礼拝堂の空気が凍りつく。
「何を……言っている?」
少女自身も驚いていた。
(違う……。)
(私はそんなこと……。)
言うつもりではなかった。
それなのに、心の奥底から、その言葉だけが溢れ出してくる。
「分からないんです……。」
少女は震える声で呟いた。
「どうしてそんなことを言ったのか、自分でも分からない」
「でも……」
胸へ手を当てる。
鼓動が速い。
その鼓動の一つ一つが、同じ方向を指し示していた。
「行かなければならない」
「そうしなければならないって……」
「誰かが……私に教えてくれている気がするんです」
アマギは苦しそうに首を振った。
「駄目だ」
「絶対に駄目だ」
その声は王ではなく、兄のものだった。
「カリメアは、お前を手に入れるため戦争まで起こした」
「お前は美しい」
「それだけで奴らの性の標的になる」
「連れ去られれば、どんな目に遭うか分からぬ」
拳を強く握る。
「私は兄として、お前をそんな場所へ送り出すことはできない!」
少女は静かに目を閉じる。
その瞬間だった。
身体の奥で、何かが重なる。
柔らかな温もり。
優しい祈り。
光のミライが、そっと少女へ寄り添う。
二つの魂が一瞬だけ重なった。
そして、少女はゆっくりと目を開く。
その瞳には、先ほどまでの戸惑いはなかった。
「……お兄様」
その呼び方に、アマギの身体が震える。
それは昔のミライしか使わなかった呼び方だった。
「世界を救うためなら。」
穏やかな声が礼拝堂へ響く。
「私は、どうなっても構いません」
「誰か一人の幸せより、多くの命が救われる未来を選びます」
「それが……」
一瞬だけ光のミライと視線が重なる。
「私に託された使命だから」
アマギは言葉を失った。
目の前にいるのは別の魂のはずだった。
それなのに。
今だけは、確かに妹がそこにいた。
「……そうか」
震える声が漏れる。
「お前は……」
涙が頬を伝った。
「前もそうだった」
「誰にも知られぬまま、自分だけが傷付き、自分だけが命を懸けた」
「最後まで……誰かのために生きた」
アマギはゆっくりと少女の頭へ手を置く。
「それがお前の生き方なのだな」
優しく微笑んだ。
「誇りに思う」
「我が妹よ」
少女も微笑み返した。
その笑顔はミライのものでもあり、新たな少女のものでもあった。
———
翌朝
王城の裏門
夜明けの風が草原を渡っていく。
旅支度を整えた少女は、一頭の白馬へ跨った。
アマギは一冊の古びた手帳を差し出す。
「これはミライが残した日記だ」
「いつか、お前の助けになるだろう」
少女は静かに受け取り、胸へ抱いた。
「ありがとうございます」
門がゆっくり開く。
東へ。
カリメア帝国へ続く長い街道が、朝日に照らされていた。
その道の果てで待つのは、希望か、それとも絶望か。
まだ誰にも分からない。
ただ一つだけ確かなことがあった。
世界の運命を動かす歯車は、静かに、しかし確実に回り始めていた。




