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組織的異世界転生〜終末の魔女を救う為、呪われ姫は夢洲に仕掛けをしました〜  作者: たりな
第三章 選定されし候補者たち

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21/30

 万博会場は日を追うごとに混雑し、午前中から来場者の列が途切れることはなかった。

 照りつける太陽の下、アスファルトの熱が足元からじわじわと伝わってくる。

 Sは額の汗をハンカチで押さえながら、隣の企業ブースを、何気ないふりをして横目で見た。

 彼女は、今日も変わらず明るかった。

 ……けれどSは気づいていた。

 あの日以来、彼女の瞳の奥に、ほんのわずかな影が差していることを。

 すれ違ったとき、彼女はSにだけ少し長く視線を留め、何かを言いかけたが、そっと口を閉じた。

 その仕草が、ずっとSの胸に引っかかっていた。


 昼休憩。


 スタッフ専用控室の隅でサンドイッチを頬張っていると、彼女が遠慮がちにSへ近づいてきた。

「あの……先日の件、ありがとうございました」

 記念のピンバッジが品切れになり、それに腹を立てた中年の男性が、彼女に詰め寄った場面を思い出す。

 彼女は必死に頭を下げていたが、男性は感情を荒げるばかり。Sは間に入り、毅然と対応した。

「いいのよ。よくあることだから」

 そう返すと、彼女はほっとしたように笑った。

「毅然と対応する姿、すごく……カッコよかったです。助かりました」

「本当は、他社さんに迷惑かけずに、こちらの事はこちらで解決しなきゃいけないんですけど……誰も助けてくれなくて」

 Sはサンドイッチを置き、彼女の目を見る。

「私に、何か聞きたいことがあるんでしょう?」

 彼女は、はっとしたように固まった。

 その一瞬の沈黙で、Sは確信した。

「……もしかして、Hのこと?」

 彼女は肩を小さく震わせ、目を伏せた。

「ち、違います……ただ……最近、見かけないから。どうしたのかなって……」

「本社でトラブルがあって、少し戻ってるだけよ。来週には、またこちらに来ると思うわ」

「……そう、なんですね」

 安心したような、でも完全には晴れない表情を浮かべた。

 そして、彼女は意を決したように、続けた。

「私……助けてくれたお礼にHさんを食事に誘ったんです」

 この子は義理堅い。

 私には、お礼に〝和菓子綾瀬の羽二重餅”をくれた。

 朝早くから並ばないと買えない人気商品だ。

 私が和菓子が好きな事を知って、休みの日にわざわざ買ってきてくれた……。

 彼女は言葉を選ぶように、ゆっくり続ける。

「食事の前に、郵便局で“20年後の未来からの手紙”を一緒に体験して……パビリオンも、いくつか回りました」

「そのとき……Hさん、こう言ったんです」

 彼女は小さく息を吸った。

「これは仕事の延長だからって」

 弱く、痛々しいほどの笑みが浮かぶ。

 その表情が、胸に刺さった。

 彼女の声は震えていた。

「Hさんって……どういう人ですか?」

 Sは言葉を失った。

「笑っている時でさえ、どこか、寂しそうじゃありませんか?」

 それは、私が何年も言語化せずにいた感覚だった。

 Hは時々、誰もいない場所で遠くを見つめていた。

 笑顔の奥に、透明な壁があるようで……触れようとすれば、すり抜けてしまいそうな影。

 ……ひとりで、何かを抱え続けている人の顔。

 彼女は続ける。

「もしかして……大きな悩みを抱えているんじゃないですか?」

 心臓を、ぎゅっと掴まれた気がした。

「もし……何かを隠してるなら。傷ついているなら、私は知りたいんです。知ったうえで、寄り添ってそばにいたい」

 その言葉は、まっすぐで、痛いほど誠実だった。

 Hの事を、好きと言っているのと同じだ。

 彼女は、Hの影を見て、それでも手を伸ばそうとしている。

 私は、笑顔を作った……つもりだった。

 けれど、声は思った以上に弱かった。

「……Hはね。優しい人よ。でも不器用で、良かれと思った行動が裏目に出る事があるの……」

 胸の奥が、熱く、じんと痛む。

 Hと共有する秘密を思い出す。

 Hの影に手を伸ばせるか、答えは、まだ出ない。

 けれど、ひとつだけ確かなことがあった。

 ……ここから何かが大きく動き出す。

 そんな予感が、静かにSの胸に芽生えていた。

 夕陽が万博会場を赤く染めていた。

 気の利いたアドバイスも出来ず、彼女は俯きながら去っていった。

 彼女は去り際に苦しそうな表情を浮かべた。

 笑おうとして、うまく笑えず、瞳は震えていた。

 ……そういえば。

 以前にも一度だけ、彼女が急に息苦しそうに、肩で呼吸をした瞬間があった。

 ほんの一瞬で、すぐに「大丈夫です」と笑顔を作ったから、その場では深く考えなかった。

 けれど今になって、その記憶が胸の奥で静かに疼き始める。

(……亡くなった私の母と似ている)

 思考がゆっくりと、ひとつの答えを導き出していく。

 胸が、きゅっと締めつけられた。

 彼女は明るい。

 誰よりも優しくて、自分より先に、他人を気遣える子だ。

 でも……。

 理解した瞬間、Sの胸の奥が熱を持った。


———


 8月13日(水)


 本社のトラブルを処理してHは常務と一緒に大阪に戻っていた。

「H、今日は電車が止まってるってニュースになっているぞ。」

 電車が止まる。

 来場者が帰れない。

 会場内に人が溢れている。

 ……その光景の中で彼女は仕事をしている。

 そのことを考えた瞬間、椅子から立ち上がっていた。

「……行ってきます」

「待て、俺も一緒に行く」

 止まった電車の代替手段を探し、タクシーを乗り継ぎ、会場外ゲートに着いた時には23時を過ぎていた。


———


 ゲート周辺は混乱していた。

 帰れない来場者、泣き出す子ども、怒号、諦めたように座り込む人々。

 「H、俺の事は気にするな。急いで応援に行け」

 常務より先にタクシーを降りるとHはパビリオン目掛けて全速で駆け出した。

 スタッフ証を提示して中へ入ると、係員がほっとした声で言った。

「戻ってくれて、助かります…! スタッフの人数が全然足りなくて…」

「応援に入ります。状況は?」

「来場者に水と簡易食を配り始めたところです。でも、列整理に人手が足りません。通路で誘導を……」

「わかりました」

 走り出そうとしたとき……手が肩に触れた。

「……H?」

 振り返ると、Sが息を切らして立っていた。

 髪は乱れ、汗ばんだ額。その姿を見るだけで今日の混乱の苛烈さが分かった。

「来てくれたのね」

「ああ。状況は?」

 Sは短く説明しながら歩きだす。

「あの子は誘導してくれている。泣いてる子どもに配布物を渡して回っていたわ。ずっと休憩も取ってないはず」

 胸がざわついた。

 彼女は無理をするタイプだ。

「会いに行きたいんでしょ?」

 歩きながら、Sが小さく呟いた。

 図星だった。

 だが応える言葉は喉に詰まった。

 Sは俺を見つめた。

「行ってあげて。彼女、今日ひとりで頑張りすぎてる」

 胸が締め付けられる。

 行けばまた傷つけるかもしれない。

 離れたほうが良いと、自分に言い聞かせたはずだ。

 でも……彼女が泣きそうに笑っている姿が、記憶の奥から引き戻される。

「今は……行かない方がいいと思う」

 Sは目を閉じ、少し俯いた。

「……そう」

 その一言には、いろんな意味が詰まっていた。

「でも、もし、彼女が壊れそうだったら……それでも行かない?」

 胸の奥に、冷たい杭が刺さった。

 その言葉は、逃げ道を全部奪った。

 気づいたらHは走っていた。


———


 彼女は子どもを励ましながら、行列の整理をしていた。

 笑顔なのに、顔色は悪く、足取りもふらついている。

 彼女が親子を誘導し終えたその瞬間……膝がわずかに折れた。

 咄嗟に駆け寄った。

 振り返った彼女の瞳が、驚きで大きく揺れる。

 困惑、そして……信じられないという表情。

「……Hさん?」

「なんで……ここに……」

 問いの途中で、彼女の目に涙が広がった。

 泣いてるんじゃない。

 ……限界を超えて、勝手に涙が出ている。

「大丈夫ですか」

「……大丈夫じゃないです。ずっと、大丈夫じゃなかったです」

 声が震えた。

「でも……Hさんに会いたいって思ったら……弱音なんて吐いちゃいけないって思って……」

 彼女は息を詰まらせながら続けた。

「今日みたいな日こそ……会いたかったです。会えたら、それだけで立っていられるのにって……思って……」

 胸が掴まれるように痛む。

 離れたほうが正しい。

 それでも離れられない理由が、今目の前にあった。

「……行こう」

 彼女は首を振る。

「まだ誘導……」

「無理するな。倒れるぞ」

「倒れたら……ダメですか?」

 その問いかけは笑っていたのに、涙が止まらなかった。

 Hは彼女の手首を軽く掴んだ。

「ついてこい」

 彼女は驚いた顔のまま、拒まなかった。

 ……そして二人は、人混みから離れ、来場者もスタッフもいないパビリオン裏手のベンチ前へ辿り着いた。

 彼女は息を整えながら、涙を指で拭った。

「……どうして来てくれたんですか?」

 涙の跡を残したまま、問いかける。

 その答えは、胸の奥で既に形になっていた。

「……ひとりにしたくなかった」

 彼女の瞳が大きく揺れた。

 この先の言葉が、二人の関係を変える。

 引き返すべきか。

 それとも踏み込むべきか。

 彼女は小さく、震える声で言った。

「……ここから先の言葉、聞く覚悟はあります」

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