⑩
謁見の間は静まり返っていた。
ウィルヘルムの蒼い瞳は、もはや笑っていなかった。
「姫はどこです?」
再び問う。
アマギは表情を変えない。
「答える義務はない」
空気が張り詰めた。
ハルキも違和感を覚えていた。
王の反応がおかしい。
何かを隠している。
それだけは分かった。
だが何を隠しているのかまでは分からない。
ウィルヘルムが、ハルカ・セレスティアへ視線を送った。
魔女は肩を竦めた。
「仕方ないわね」
紫の瞳がアマギを見つめた。
「隠しても無駄よ」
白い指先がゆっくりと持ち上がる。
黒い霧が生まれた。
それは、漆黒の闇そのものだった。
生き物のように蠢く闇がアマギの身体へ絡み付く。
「ぐっ……!」
王の膝が崩れ、呼吸が止まった。
アマギは、首を絞められているかのような錯覚を覚えた。
肺が空気を拒絶する。
「陛下!」
ハルキが駆け出そうとした瞬間、凄まじい圧力が身体を押し潰した。
足が動かない。
立っていることすら困難だった。
「安心して」
ハルカは微笑む。
その笑顔は美しかった。
だからこそ余計に恐ろしい。
「殺しはしないわ」
「ただ……」
紫の瞳が妖しく輝く。
「あなたの意思とは関係なく身体が勝手に動くだけ」
黒い魔力が強まる。
アマギの身体が震えた。
額から汗が流れる。
歯を食いしばる。
見えない力に必死に抵抗した。
だが、次の瞬間王は立ち上がった。
本人の意思ではない。
まるで操り人形のように、ぎこちなく。
一歩。
また一歩。
前へ歩き出す。
「……陛下」
ハルキが呟く。
アマギは答えない。
いや、答えられない。
口が思うように動かない。
だが、すれ違う瞬間、王の瞳がハルキを見た。
来い。
その目はそう言っていた。
———
王城地下。
アマギは、長い石造りの階段を降りていく。
その後ろからウィルヘルムとハルカが続く。
そしてハルキが最後尾についた。
やがて、重い扉が現れる。
国王以外立ち入りを許されない礼拝堂。
ハルキですら入ったことはない。
扉が開く。
冷たい空気が流れ出した。
蝋燭の灯りが揺れる。
静寂だけが支配する空間。
その中央に、一つの白い棺が置かれていた。
ハルキの心臓が止まりそうになる。
嫌な予感がした。
理解したくなかった。
だが、足は勝手に前へ進む。
棺の前へ。
そして中を見た。
「…………」
声が出なかった。
世界が止まったかのように感じた。
白い肌と長い髪。
穏やかな寝顔。
まるで眠っているだけに見える。
だが、呼吸はない。
そこにいたのはミライ・マティーニだった。
「……嘘だ」
掠れた声が漏れる。
「嘘だろ……」
返事はない。
ハルキは棺へ手をつく。
力が抜け膝が崩れた。
「そんな……」
理解したくない。
認めたくない。
彼女がいると思っていた。
だから戦えた。
だから諦めなかった。
彼女だけは守りたかった。
「……なんでだ」
震える声。
アマギが静かに口を開く。
ようやく魔法が解かれていた。
「一年前だ」
王の声は悲しみに打ちひしがれていた。
「ミライは気付いていた」
静かに全てを語り始めた。
「この干ばつが自然ではないことを」
ハルキの瞳が揺れる。
「そして、自分だけが対抗できることを」
礼拝堂に響く声。
「毎日祈っていた」
「民のために、国のために」
「誰にも言わず、誰にも知られず……」
アマギの拳が震える。
「命を削りながらな」
王は棺を見た。
「三日前、最後の祈りを終えた」
「そして……」
声が掠れる。
「私の腕の中で息を引き取った」
何も言えなかった。
ハルキの瞳から涙が落ちる。
「……そうか」
ようやく絞り出した声だった。
「だから……」
思い返す。
最近、誰も彼女を見ていなかった。
会おうとしても、会えなかった。
それでも、生きていると思っていた。
信じていた。
「そうか……」
泣きながら笑ってしまった。
「俺は……」
拳を握る。
「守れなかったのか……愛した人を」
突然、礼拝堂に笑い声が響いた。
「ふふっ……」
ハルカだった。
肩を震わせ笑っている。
「なるほど」
笑いが大きくなる。
「ははは……!」
やがて腹を抱えるほど笑い始めた。
「そういうことだったのね!」
紫の瞳が棺の中の少女を見つめる。
「あなただったの!」
狂喜にも似た声。
「私の邪魔をしていたのは!」
世界最強の魔女が笑う。
一年間、自分の魔法に抗い続けた存在。
ずっと探していた敵。
その正体が、こんな小さな少女だったとは。
「素晴らしいじゃない!」
ハルカは心の底から楽しそうだった。
「私に対抗する為に死んだなんて!」
笑い続ける。
だが、その姿を見ながらウィルヘルムは笑っていなかった。
蒼い瞳が棺を見つめる。
ミライ・マティーニ。
パンジャ王国第一王女。
この侵略で手に入れるはずだった宝。
その一つが既に失われていた。
初めて彼の計画に狂いが生じた。
そして誰も知らない。
ミライ・マティーニが命と引き換えに遺した最後の祈りが今まさに……。
遠く離れた世界の片隅で、一人の少年を目覚めさせようとしていることを。




