⑨
龍の谷を出たハルキは馬上で前を見据えていた。
隣にはウィルヘルム・ロック。
少し後ろを、ハルカ・セレスティアが歩いている。
カリメア帝国側は不遜にも、たった二人で王城へ向かおうとしていた。
だが、魔女の圧倒的な力の前では近衛兵達は手を出すことは出来なかった。
三人の後方を、生き残った者達は連れ立つのみだった。
そして、ハルキは誰にも言わなかった。
渓谷で交わされた、たった一つの約束を。
「王城へ案内してもらえば、兵と国民は一人も殺さない……あなたを除いては」
ハルキには分かっていた。
断ればどうなるか。
あの魔女が本気を出せば、ここにいる近衛騎士団は一人残らず死ぬ。
そして王都も民も。
(俺一人で済むなら安いものだ)
ハルキは静かに拳を握った。
副官が命を懸けて守った国だ。
その死を無駄にはしない。
だから何も言わなかった。
———
王城。
謁見の間には深夜にもかかわらず灯火が焚かれている。
重厚な扉が開かれると、そこには既にアマギ・パンジャが待っていた。
「何処かで会ったか?」
アマギはウィルヘルムの顔を見ると、思案顔で言った。誰かに似ているような気がした。
ウィルヘルムは微笑む。
「初対面ですよ」
王の背後には近衛兵。
その前にはハルキ。
誰も動かないが、王を守れるよう臨戦体制を保っていた。
やがてアマギが口を開いた。
「聞こう」
王の声は落ち着いていた。
「この国に何を望む」
真っ直ぐウィルヘルムを見据えた。
「パンジャ王国は貧しい」
「資源は無い」
「交易路としても価値は低い」
アマギは続ける。
「奪うなら他に幾らでも国はある」
王の瞳が鋭くなる。
「何が目的だ」
ウィルヘルムは笑った。
そして、あまりにも軽い口調で答えた。
「人です」
部屋が静まり返る。
「……人だと?」
「ええ」
ウィルヘルムは頷いた。
「この国の価値は人材にあります」
その声は穏やかだった。
「勤勉で学習能力が高く、規律を守る」
「優秀な技術者も多い」
蒼い瞳が細くなる。
「帝国では非常に高く評価されています」
「奴隷としてか」
「労働力としてです」
ウィルヘルムは肩を竦めた。
「呼び方はどちらでも構いません」
王の拳が僅かに震えた。
「安心してください」
ウィルヘルムは続けた。
「全員を連れていく気はありません」
「若い男女を定期的にいただきます」
「こちらが指定する人数を」
まるで税を徴収するような口調だった。
「代わりに」
彼は微笑む。
「食糧を支援しましょう」
「干ばつで苦しむ民も救われる」
「国も維持できる」
「王家も存続できる」
「悪い話ではないでしょう?」
ウィルヘルムはさらに続ける。
「ただし、軍は解散していただきます」
「代わりに我々の兵が駐留します」
「我が国の最強の軍隊が、他国から守ってあげましょう」
「王はそのまま国を治めれば良いのです」
「治安維持組織だけは残しても構いません」
あまりにも不遜な言葉だが、誰も言葉を発しない。
その沈黙を破ったのはアマギだった。
「断れば?」
「皆殺しです」
冷たく即答した。
王は目を閉じた。
長く、深く。
そして再び目を開く。
「ならば私を殺せ」
誰も予想していなかった言葉だった。
ハルキが顔を上げる。
「陛下!!」
だがアマギは止まらない。
「私の命ならくれてやる」
王は立ち上がった。
「覚悟はできておる」
「だから民を救え」
王は真っ直ぐウィルヘルムを見据える。
「飢えた子供達を、この国の民を、私ではなく、彼らを救え」
長い沈黙だった。
ウィルヘルムはしばらく王を見つめていた。
やがて、ふっと笑う。
「驚きました」
それは本心だった。
「これまで多くの王と会ってきた」
ウィルヘルムはゆっくり王の前に歩き出す。
「誰もが保身を考えた」
「自分だけ助かろうとした」
「財産を持って逃げようとした」
だが。
「あなたは違う」
蒼い瞳が柔らかくなる。
「立派な王だ」
その言葉に嘘はなかった。
「だからこそ」
ウィルヘルムは笑う。
「生きてもらいます」
謁見の間がざわめいた。
「気に入りました」
それは支配者の宣告だった。
「アマギ・パンジャ」
「あなたには、この国の王であり続けてもらう」
その時、ウィルヘルムの視線が、不意に玉座の奥へ向いた。
「ところで……」
その声に違和感が混じる。
「姫はどこです?」
空気が凍った。
ハルキの瞳が見開かれる。
アマギも、ほんの僅かに呼吸を止めた。
ウィルヘルムは、その一瞬の変化に気付いた。
「なるほど」
小さく笑う。
「何か隠していますね」
その瞬間、誰よりも先に反応したのはハルカだった。
今まで興味なさそうに壁へ寄りかかっていた魔女が顔を上げる。
「……姫?」
その声には初めて感情が混じっていた。
そして誰も知らない。
死んだミライ・マティーニが遺した最後の祈りが、今まさに世界のどこかで芽吹こうとしていることを。




