②
夢洲の空は、真夏の鏡のように強い光を跳ね返していた。
大阪・関西万博会場。
各国の国旗が風に揺れ、世界中から集まった人々の熱気が地面から立ちのぼる。
Hは、白いシャツの袖をまくり、外国人記者たちに英語で説明をしていた。
専門的な内容に、わずかなユーモアを混ぜる。
記者たちは頷き、笑い、流暢な英語に感嘆の声を上げる。
コミュニケーション能力に欠けるとはいえ、仕事となれば別だ。
社内では雑談力を上手く発揮できなくとも、他社の前では不思議とユーモアも言える。
……意識の違いなのか。
その様子を、少し離れた場所から見つめていたのがSだった。
社内でも憧れの女性として知られる存在。
美しく、誰に対しても公平で、仕事には一切の妥協を許さないが、面倒見が良い。
午後の熱気が最高潮に達したころだった。
隣のブースで、突然ざわめきが起きる。
大型ディスプレイが暗転し、外国人客が困惑した声を上げた。
「えっ……電源、入らない……?」
Hの主要取引先に勤める、新人スタッフだった。
額の汗を拭いながら、何度もスイッチを押している。
その様子に気づいたHは、迷いなく歩み寄った。
「もしよければ……少し見せてもらっても?」
彼女は驚いたように振り向き、すぐに深く頷いた。
「は、はい……お願いします!」
Hは数秒で状況を把握した。
工具を借り、手早く修復する。
数分後、ディスプレイが再び光を放った。
周囲から、自然と拍手と歓声が湧き起こる。
彼女は目を丸くし、胸の前で手を合わせた。
「すごい……ありがとうございます! 本当に助かりました!」
「困った時はお互い様です。大変でしょうけど、おもてなし……頑張ってください」
「はいっ!」
Hが去っていく背中を、彼女はしばらく見送っていた。
陽光の中で、白いシャツがやけに眩しかった。
数日後。
会場スタッフ控室で、二人は偶然再会した。
「この前は、本当にありがとうございました」
彼女が頭を下げると、Hは小さく笑う。
「無事に動いているみたいで、何よりです」
そして、彼女は少し迷うように視線を泳がせてから唐突に尋ねた。
「Hさんって……万博の通期パス、持ってますか?」
「え? いや、AD証があるから」
「じゃあ……お仕事以外では万博会場内に入らないんですか?」
「そうなるかな」
彼女は一瞬だけ、寂しそうに微笑んだ。
「せっかく世界が集まってるのに……仕事だけなんて、もったいないです」
「あなたは?」
「はい。私は通期パスを持っています」
少し胸を張って、続ける。
「お休みの日も、一般の人の目で、この場所を見たくて」
彼女は息を整え、勇気を振り絞るように言った。
「今度……お昼、ご一緒してもいいですか?この前の、お礼がしたくて……」
Hは私生活では人と距離を取る。
だが、仕事となれば別だ。
彼女の勤める会社は重要な取引先。
断れば、角が立つ可能性もある。
「……僕でよければ」
断る理由はなかった。
その瞬間、彼女の瞳が柔らかく光を宿した。
……こうして、二人の“最初の休日”が生まれた。
———
約束の日。
夢洲駅。
一般入場の列に並びながら、Hはぽつりと呟く。
「……一般入場って、こんなに並ぶんだな」
彼女は振り返り、笑った。
「でも、この“待つ時間”も思い出になりますよ」
手渡された万博チケット。
プリントアウトされた電子チケットのデザインに、Hはふと違和感を覚える。
……以前、対応した時に見た、障害を持つ来場者の“特別チケット”と、よく似ていた。
胸に、針のような何かが刺さる。
だが、聞けない。
「行きましょう、Hさん!」
彼女の笑顔に向き直りながら、Hは思った。
……この子の笑顔を見ると、不思議と心が安らぐ。
それが、自分でも気づいていなかった……運命の始まりだった。




