⑤
港の炎はまだ燃え続けていた。
赤く染まる空を、巨大な旗艦の甲板から一人の女が見つめていた。
ハルカ・セレスティア。
世界最強の魔女。
そして世界で唯一の魔女だった。
夜風が漆黒の長髪を揺らす。
「……酷いものね」
彼女は小さく呟いた。
港では今も悲鳴が続いている。
逃げ惑う民。
燃え上がる倉庫。
死体の山。
だが、その瞳に罪悪感はなかった。
……慣れていたからだ。
⸻
魔法使いが確認されたのは、わずか二十年ほど前だった。
それ以前、人類は魔法という存在を知らなかった。
最初に現れた魔法使いは一人の少年だった。
森に迷い込んだ少年は空腹で絶命しかけていた。
そこへ現れたのは獰猛な野獣の群れだった。
死を覚悟した時、少年の前に雷が落ちた。
野獣達はは一瞬で黒焦げになり、その肉を食べる事で少年は命を繋ぐことができた。
だが、それは自然現象ではない。
少年が起こした現象だった。
死を覚悟した時に魔法使いに覚醒した。
次に現れたのは漁師の男。
仲間と海に出た時、船が座礁した。
動力が壊れて港に帰ることができない。
天候も悪くなり始めて助けは来ない。
暫くすると嵐が起こり、豪雨となった。
海は荒れ、船から海中に投げ出された。
肺が水で満たされ死を覚悟した時、海中に巨大なサメが視界に入った。
意識が消え失せようとした瞬間、突然サメは体内から勢い良く爆発し、衝撃で男の身体は海上に押し上げられた。
天候は回復しており、仲間に助けられて男は助かった。
その後も命の危険に晒された者が魔力に目覚めたが、共通するのは、おとなしく、穏やかな性格の者たちばかりだった。
そして、全員が男で、同じ力を持っていた。
闇の力。
破壊の魔法。
人々はそれを暗黒魔法と呼んだ。
だが万能ではない。
傷を癒すことも出来ない。
命を生み出すことも出来ない。
暗黒魔法とは破壊の力だった。
だからこそ魔法使い達は争いを、戦争を嫌った。
自分達が戦場へ出れば大量の死者が出る。
誰よりもそれを理解していた。
だから暗黙の了解が生まれた。
魔法使いは戦争に参加しない。
……ハルカ・セレスティアが現れるまでは。
彼女が確認された当時、世界中の魔法使いが騒然となった。
初めてだったからだ。
女の魔法使いが現れたのは。
そして、誰もがすぐに理解した。
彼女だけが異常だった。
他の魔法使いと違い好戦的な性格。
一人で十人の魔法使いを圧倒した。
一人で国家を壊滅させた。
誰も敵わない。
誰も勝てない。
誰も逆らえない。
気付けば世界中の魔法使いが彼女の下へ集まっていた。
敬愛や、忠誠ではない。
畏怖からだった。
世界最強にして、魔導の頂点。
そして、唯一の魔女。
それがハルカ・セレスティアだった。
彼女が命じれば魔法使いは従う。
だが、そのハルカにも理解出来ない感情があった。
「何を見ている?」
背後から声がした。
ウィルヘルムだった。
「別に」
ハルカは笑う。
「ただ考えていたの」
「何をだ」
「どうして私は貴方に従っているんだろうって」
ウィルヘルムは眉を上げた。
「今さらか」
「そうね」
クスリと笑う。
世界中の誰も逆らえない。
魔法使い達ですら頭を下げる。
そんな自分が、なぜ一人の男に付き従っているのか。
———
十年前。
まだ無名だった頃。
全ての人間が彼女を恐れた。
化け物。
災厄の魔女。
そう呼ばれていた。
だが、一人だけ違った。
ウィルヘルム・ロック。
彼だけは怯えなかった。
「君は綺麗だな」
初めて会った日。
最初にそう言われた。
戦争に利用しようと、幾つもの国が彼女に接触してきた。
だが、その全てを断り、使いの者を何百人と惨殺してきた。
自由でいたかったからだ。
ある時から誰も近づかなくなったが、ウィルヘルムは、利用価値のある魔女ではなく、ただ一人の女として見てくれた。
その瞬間、彼女は堕ちた。
世界最強の魔女は、一人の男に恋をした。
⸻
ウィルヘルムは港を見下ろす。
「後悔しているか」
「いいえ」
「私は貴方が望むなら世界だって滅ぼせる」
それが本心だった。
だが、ハルカの瞳が僅かに揺れる。
脳裏に浮かんだのは、自分の魔法に抗い続けた存在。
「消えたわね」
小さく呟く。
「何がだ?」
「私を邪魔していた力よ」
ハルカは空を見上げた。
もう感じない。
一年間、ずっと存在していた気配。
だが三日前、突然消えた。
まるで、命が尽きたように。
だが、ハルカは気付いていなかった。
自分が勝ったと思っているその相手が、命を燃やし尽くす瞬間に仕掛けをした事を。




