③
王都西方。
パンジャ王国最大の港湾都市、ナヤゴ。
その日、港は歓声に包まれていた。
「船だ!」
「食糧船が来たぞ!」
「助かった!」
見張り台の鐘が鳴り響く。
水平線の向こうから現れた巨大船団。
白い帆には黒竜の紋章。
カリメア帝国。
誰もが恐れる侵略国家。
だが今だけは違った。
人々の目に映るのは敵ではない。
救世主だった。
港には数万人が集まっていた。
痩せ細った老人。
赤子を抱く母親。
骨の浮いた子供達。
皆が祈るような目で船団を見つめている。
「本当に来た……」
「これで皆んな助かる」
涙を流す者もいた。
やがて船が接岸し、最初の輸送船から次々と荷が降ろされ、巨大な木箱が開けられる。
中身は小麦、米、乾燥肉、豆。
大量の保存食。
「すごい……」
「本当に食糧だ……」
歓声が上がる。
民衆は泣きながら抱き合った。
兵士達ですら安堵の表情を浮かべていた。
飢えは終わる。
この国は救われる。
誰もがそう信じた。
ウィルヘルム・ロックは船上からその様子を見て静かに笑った。
「我々を好意的に受け入れているな」
隣の副官が頭を下げる。
「予定通りですな」
「ああ」
ウィルヘルムは頷いた。
「飢えた人間ほど目先の事しか見えなくなるものだ」
その蒼い瞳には一切の感情がなかった。
「豊かな者は警戒する」
「だが、絶望の淵にある者は、自らに都合の良い解釈しかしない」
副官は苦笑した。
「残酷ですな」
「戦争とはそういうものだ」
ウィルヘルムは後方の海を見た。
水平線の彼方。
そこには数百隻を超える艦隊が待機している。
パンジャ側からはまだ見えない。
だが確実に近付いていた。
⸻
同時刻の王都。
「何だと!?」
報告を聞いたハルキが立ち上がる。
「カリメア船団が既に入港しただと!?」
「は、はい!」
若い騎士が答える。
「第一陣の食糧搬入が始まっています!」
嫌な予感がした。
胸騒ぎが止まらない。
あまりにも展開が早過ぎる。
「馬を出せ!今すぐ港へ向かう!」
⸻
港では祭のような空気が流れていた。
食糧が配られ始めていた。
子供達がパンを抱えて走る。
母親が泣きながら礼を言う。
老人達は地面に膝をつき神へ祈っていた。
生きられる。
明日が来る。
そう信じていた。
だから気付かなかった。
第二船団が入港していることに。
そして、第三船団、第四船団と入港し、巨大な木箱が次々と降ろされ、パンジャ人によって警備兵の手薄な倉庫へ運ばれて行く。
「おお!これも全て支援物資か?」
「さすがカリメア帝国だ」
誰も疑わない。
腹が減っていたから、皆、目の前の食糧しか見ていなかった。
⸻
夕暮れ。
最後の木箱が港湾倉庫へ運び込まれると、鈍い音が響いた。
カチリ。
木箱の内側から音がした。
次の瞬間、蓋が内側から押し開かれる。
現れたのは魔導師だった。
「始めろ」
合図と共に無数の木箱が一斉に開いた。
倉庫の中から溢れ出る黒い軍勢。
その手には魔法の杖。
港の警備兵が凍り付く。
パンジャ王国には魔導師がいない。
この世界では魔法使いは数限られた、希少な存在であった。
「な……」
言葉が出ない。
「な、何だお前達――」
最後まで言えなかった。
魔法で身体が内側から破裂して消し飛んだからだ。
鮮血が夕陽に舞う。
警備兵達の悲鳴が上がった。
「敵だぁぁぁぁ!!」
⸻
地獄が始まった。
逃げ惑う民衆。
泣き叫ぶ子供。
押し倒される老人。
転倒した母親。
その腕から赤子が投げ出される。
「いやあああああ!」
悲鳴が響き渡り、人が次々と容赦なく死ぬ。
数分前まで歓喜に包まれていた港が、瞬く間に死体の山へ変わっていく。
配給されたばかりのパンが血溜まりに転がった。
それを抱えたまま死んでいる少年がいた。
ようやく手に入れた明日の命。
だが明日は来なかった。
⸻
沖合では、水平線の彼方から黒い影が現れる。
数百隻を超えるカリメア帝国艦隊。
隠れていた本隊が遂に姿を現した。
黒竜の旗が夕陽の中で翻っていた。
⸻
「急げ!!」
ハルキは全力で馬を走らせていた。
嫌な予感は確信へ変わっていた。
だが、港が見えた瞬間、彼の顔から血の気が引いた。
黒煙と炎の中で、黒竜の旗が高々と立てられていた。
「……そんな」
目の前でパンジャ王国の民が血を流していた。
そして彼は理解する。
間に合わなかったのだと。
ほんの少しだけ遅かったのだと。
夕陽は赤かった。
まるで港全体が血に染まっているように。
そして、パンジャ王国滅亡への戦いが幕を開けた。




