①
極東の国 パンジャ王国。
かつてこの国は、世界で最も豊かな国の一つと呼ばれていた。
四季があり、海に囲まれ、豊かな森と水に恵まれた美しい国。
そして何より、人々の勤勉さと高度な技術力。
資源に恵まれなかったこの国は、他国から鉄鉱石や燃料を輸入し、それを優れた加工技術によって高付加価値製品へと変え、世界へ輸出することで繁栄を築き上げた。
農村の若者たちは工場へ向かった。重労働で収入も少ない農業より、安定した製造業の方が魅力的だったからだ。
国は発展し、人々は豊かになった。
食料は海外から買えばよかった。
だが、その繁栄は永遠には続かなかった。
かつて世界最先端だった技術は、数十年を経て当たり前のものとなった。
パンジャ王国が持っていた優位性は他国の発展と共に衰退して国力は失われていった。
輸出は減少し、食料を買うための財力も失われていった。
そんな中、大干ばつが訪れた。
雨が降らなくなって、既に一年の月日が流れた。
食料自給率は低く、輸入に頼っていた食料品は徐々に他国から得られなくなり、食料自給率を上げるべく政策転換も既に遅く、大地は痩せ、田畑は荒れ果てていた。
———
空は今日も青く澄んで、人々の願いとは裏腹に、皮肉なほど雲一つない空が続いていた。
王都から南へ下ると、数少ない農産業が盛んな、タニガイ村がある。
老人は乾ききった田んぼの中央で立ち尽くしていた。
かつて水面だった場所は、ひび割れた土が蜘蛛の巣のように広がっている。
「……駄目か」
背後で孫娘が小さく尋ねる。
「おじいちゃん、お米はできないの?」
老人は答えられなかった。
幼い少女はまだ知らない。
村に残る穀物があと一か月分しかないことを。
子供達は痩せ細り、隣村では餓死者が出たことを。
「来年はできるよね?」
老人は笑った。
笑うしかなかった。
「ああ」
嘘だった。
来年など来ないかもしれない。
このままなら村は消える。
国も消える。
そう思わせるほど状況は酷かった。
王都も事情は変わらない。
市場から米が消え、野菜が消え、果物が消え、川も干からびて魚すら取れなくなった。
備蓄食糧の値段は十倍、二十倍、三十倍と、物価は容赦なく上がり続けている。
昨日まで銀貨一枚だったパンが、今朝には銀貨三十枚になっていた。
それでも買えない。
例え買う金があっても物が無い。
お金の価値など無いに等しかった。
街路には物乞いが溢れている。
治安は崩壊寸前で、盗み、略奪、暴動が各地で起きていた。
兵士ですら満足に食事を取れなく気力を失っており、もはや統率も取れなくなっていた。
王都警備隊は既に限界だった。
———
王城。
重苦しい空気が会議室を支配していた。
円卓を囲む重臣達の顔には疲労と焦燥が混ざり合っていた。
「南部地方の備蓄は尽きました」
「東部もです」
「北部も来月まで保ちません」
報告が続く。
誰も口を開かない。
答えが無いからだ。
若き国王アマギ・パンジャは黙って聞いていた。
三十五歳。
本来なら若く活力に溢れる壮年だが、気苦労から白髪も増え、五十代のごとく老けて見えた。
「……他国の反応は」
外務大臣が立ち上がった。
「西方諸国は全て支援を拒否しました」
誰かが舌打ちをする。
「北方連合も同様です」
さらに重い空気が場を支配した。
「ですが……」
その一言で全員が顔を上げた。
「最大軍事国家カリメア帝国が支援を申し出ています」
会議室がざわつく。
誰も喜ばなかった。
喜べるはずがない。
カリメアの名が出たからだ。
世界最大の軍事国家。
百年で十二か国を滅ぼし領土を拡げ続けている侵略国家。
豊かな土地を求め、鉱山を求め、資源を求めて戦争を繰り返してきた国。
「条件は」
国王が聞く。
外務大臣は答えた。
「食糧百万トンの無償提供をすると言っております」
誰もが疑いの目を向けた。
無償提供などあり得ない。
「代償があるだろう?」
外務大臣が答える。
「友好協定締結のみで良いとの事です」
誰かが鼻で笑った。
「そんなもの信じられるか!」
老公爵が吐き捨てる。
「ですがこの申し出を受けなければ我が国は滅びます。こうしている間も国民はどんどん餓死しているのをご存知でしょう」
「だからと言って……あいつらのやり方を見てきただろう!受ければ国は確実に乗っ取られる。そして、生き延びたとしても、全員奴らの奴隷だ!」
誰かが呟いた。
その通りだった。
全員理解していた。
カリメアは慈善事業をしない。
何かを奪うために行動する。
問題は、それが何なのか。
目的がまだ見えていないことだった。
パンジャ王国は貧しい資源を持たない国だ。
そして極東の島国であり、カリメアにどんな利があるのかが分からない。
国王はゆっくり目を閉じた。
このままでは民は確実に餓死する。
だが、受け入れれば民は生き地獄を味わうかも知れない。
どちらを選んでも国にとって、民にとっては地獄だった。
長い沈黙の末。
国王は言った。
「受け入れる」
誰も反論できなかった。
できるはずがない。
既に飢えは王都の門を叩いている。
「ただし監視を付けろ」
国王は注意深く言った。
「カリメアの船団が来たら全て記録しろ」
「港湾施設への立ち入りを制限しろ」
「兵の数も確認しろ」
だが、その指示はあまりにも遅かった。
会議室の誰も知らない。
今この瞬間、水平線の向こうで、食糧を積んだ輸送船団の後方に数百隻を超える軍船が静かに進軍を始めていることを。
そして、その艦隊の旗艦。
黒い竜の紋章を掲げる巨大戦艦の艦首で、一人の青年が海を見つめていた。
金色の髪と蒼い瞳。
二十歳前後の若き貴公子。
彼の名は、ウィルヘルム・ロック。
カリメア帝国公爵家嫡男にして、侵略軍総司令官。
夕陽に染まる海の向こうで、パンジャ王国へ向けて、運命は静かに動き始めていた。




