EP 7
月光薬は奇跡か、国家級利権か
日本の通販サイトから取り寄せた密閉保存容器と真空パック機を前に、義正はポポロ村の特産品をどうパッキングするか、真剣に工程表を練っていた。
品質を安定させ、適正な価格で市場に流す。商売の基本だ。
その作業が、けたたましい鐘の音によって遮られた。
「村長! キャルル村長、急患だ!」
自警団の男が血相を変えて叫びながら、村の広場へ駆け込んでくる。
数人の男たちに担ぎ込まれたのは、ボロボロの革鎧を着た若い旅人――冒険者だった。
ひどい有様だった。右脇腹から大量に出血し、傷口はどす黒く変色している。猛毒だ。呼吸は浅く、すでに意識は混濁している。
「道端で倒れてた! 普通のポーションじゃ毒が抜けねぇ!」
「どいて!」
人混みをかき分け、キャルルが飛び込んできた。
彼女は一目で冒険者の状態を把握すると、迷わず懐から青々とした『陽薬草』を取り出した。そして、それを両手で包み込むように握りしめ、目を閉じる。
義正は、その光景を静かに見つめていた。
キャルルの長い兎耳がピンと立ち、彼女の身体から淡い銀色のオーラ――月兎族特有の『月光闘気』が立ち昇る。
太陽の力を宿す陽薬草に、月の闘気が注ぎ込まれ、融合していく。
ぽたり、と。キャルルの指先から、銀色に輝く一滴の液体が冒険者の傷口に滴り落ちた。
――『月光薬』。
その瞬間、奇跡が起きた。
どす黒かった毒の色が一瞬で浄化され、深くえぐれていた肉が、まるで時間を巻き戻すかのように塞がっていく。冒険者の顔に血色が戻り、浅かった呼吸が力強いものへと変わった。
完全回復。どんな高位の治癒魔法でも、ここまで劇的な効果はあり得ない。
「……ふぅ」
だが、キャルルはその場に片膝をつき、荒い息を吐いた。額にはべっとりと汗が浮かび、顔面から血の気が引いている。手をついた地面が、わずかに震えていた。
周囲の村人たちは「さすが村長だ」「また助かった」と安堵の声を上げている。
しかし、義正の目は全く違うものを見ていた。
彼の脳内で、商社マンとしての冷徹なアラートが鳴り響いていた。
(どんな傷も病も、一瞬で治す完全な秘薬。原材料は村の草。だが、真の製造コストは――『製作者の生命力』か)
義正は、膝をつくキャルルを見下ろした。
月兎族の元姫君。彼女一人しか作り出せない、規格外のポーション。
(こんなものは奇跡じゃない。国家級の特大兵器であり、超絶利権だ)
もしルナミス帝国やアバロン魔皇国がこの薬の「真の効力」と「量産性(キャルルを拉致すれば手に入るという事実)」を正確に知れば、外交などという生易しい手段は取らない。軍隊を動かしてでも彼女を「所有」しようとするだろう。
村人たちが散り、息を吹き返した冒険者が診療所へ運ばれた後。
義正は、ベンチで休んでいたキャルルの前に立った。
「……お前、自分がどれだけ危険な真似をしているか、分かってるのか」
義正の声は、低く、冷たかった。
「え?」
「あれだけの効能を持つ薬だ。噂が広がれば、必ず国が動く。お前はただの村長じゃいられなくなる。金、権力、あるいは暴力で、お前自身が『資源』として刈り取られるぞ」
義正は胸ポケットのセブンスターを取り出そうとして、やめた。
「それになにより、あの薬はお前の命を削って作られてる。採算が合ってない」
「……」
「助けたいのは勝手だが、その善意は高すぎる。安売りするな」
合理と損得。商社マンとしての正論。
だが、キャルルは黄金の瞳を真っ直ぐに義正へ向けた。
「安売りなんかしてないよ」
「何?」
「私は王国で、安全な『籠』の中にいた。その籠を出て、自分の足でこの村に来たの。自分の自由で、自分の責任で」
キャルルは立ち上がり、義正の目をしっかりと見返した。
「目の前で死にそうな人がいて、私なら治せる。それを見捨てるくらいなら、私は籠の中でじっとしてるお姫様のままでよかった」
「……」
「私の命を削るのも、私の自由。助けられるなら、私は助けたい」
善意と価格の衝突。
義正は、彼女の強固な意志に言葉を失った。
彼女は馬鹿ではない。自分が危うい橋を渡っていることなど、とっくに承知の上なのだ。その上で、「意味」を選んで命を削っている。
(……損得で動く奴は読みやすい。問題は、損得を超えて動く奴だ)
義正が奥歯で小さく舌打ちをした、その時だった。
「あのー、お話中すみません」
空気を完全に読み違えたリリスが、エンジェルすまーとふぉんを片手にひょっこりと顔を出した。
「その『月光薬』って、すごく高く売れそうですよね? 私のスマホで、天界の通販サイトに出品とかできませんかねぇ? そしたらカードの借金も一発で――」
「お前は黙ってろ!!」
義正とキャルルの声が、見事にハモった。
「ふぇぇぇぇ! なんで二人して怒るんですかぁ!」
涙目でしゃがみ込むリリスを見て、義正もキャルルも、毒気を抜かれたように小さく息を吐いた。
「……まあいい」
義正は頭を掻いた。
「お前が善意を貫きたいなら、そうしろ。ただし、その善意が国に潰されないための防波堤は、俺が作る。あの薬の価値をコントロールするぞ」
「義正さん……」
キャルルが少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
その日の夕方。
診療所で目を覚ました冒険者の事情聴取に、義正たちも立ち会っていた。
「助けてくれて、本当にありがとう……」
ベッドの上の冒険者は、青ざめた顔で感謝を口にした。
「どこでやられた? その傷と毒は尋常じゃなかったぞ」
義正が問うと、冒険者は震える声で答えた。
「『天魔窟』だ……。一攫千金を狙って、S級素材を探しに潜ったんだ。でも、途中でとんでもない魔物の群れに襲われて、パーティーは全滅。俺だけが、何とか命からがら逃げてきた……」
「天魔窟……死蟲王のダンジョンか」
キャルルの表情が険しくなる。
「でも、タダじゃ帰らなかったぞ。仲間が命と引き換えに奪い取った、S級の『お宝』を、俺はしっかり持ち帰ってきたんだ……!」
冒険者は、自分が抱え込んでいた革の鞄を指差した。
義正は、その言葉に違和感を覚えた。
仲間が全滅するほどの極限状態で、持ち帰れた「お宝」とはなんだ?
義正が革鞄に手を伸ばし、留め具を外す。
中に入っていたのは、金銀財宝でも、高価な魔石でもなかった。
それは、バスケットボールほどの大きさの、金属的な光沢を放つ「卵」だった。
表面には不気味な幾何学模様の亀裂が走り、微かな熱を帯びている。
そして、ドクン、ドクンと。
まるで機械の心臓のように、不気味な脈動を打っていた。
「……おい」
義正の目が鋭く細められる。
「なんだ、この卵は」
その直後。
卵の表面の亀裂から、シューッと不快な酸の蒸気が噴き出した。
ピキリ、と。金属が割れるような甲高い音が、静かな診療所に響き渡る。
天魔窟から持ち込まれた、死蟲機の卵。
ポポロ村の平穏を脅かす最悪の「負債」が、今まさに孵化しようとしていた。




