EP 6
漢飯は外交を動かす、ネギ豚バラ味噌炒め
ゴルド商会の使者が去った後、村役場には安堵と、かすかな緊張が入り混じった空気が漂っていた。
大商会の不当な買い叩きを跳ね返したとはいえ、目をつけられたのは事実だ。村の特産品をどう守り、どう高く売るか。
だが、力武義正が今考えているのは、村の未来という壮大なテーマより、もっと差し迫った問題だった。
「村長。ルナキンの厨房を借りられるか」
「えっ?」
「腹が減ってると、人間は判断を間違える。それに、この村の食材を少し試したい」
義正の提案に、ルナキン・ポポロ支店の店長はあっさりと厨房の端を貸してくれた。村を救ってくれた旅人の頼みとあらば、断る理由はないらしい。
義正はシャツの袖をまくり上げ、厨房の作業台に食材を並べた。
朝の捕獲作業で傷が入り、売り物にならなくなった人参マンドラ(沈黙している)。シープピッグの豚バラ肉。太陽芋。そして、農家から買い上げた見事なネギ。調味料として、厨房にあった醤油草の絞り汁と、この村特有の味噌に似た発酵調味料。
(村の連中は、自分たちがどれだけ強い商材を持っているか、正確に理解していない)
素材が良いからこそ、複雑な調理をせずとも「美味い飯」になる。義正は商社マン時代、深夜に帰宅しては冷蔵庫の余り物で己の胃袋を満たしてきた、生粋の自炊男子(漢飯の達人)でもあった。
「おい、煙草臭い旅人。厨房に入り込んだと思えば、何をしている」
厨房の勝手口から、太い葉巻をくわえたネギオが顔を出した。
「俺のネギをそんな雑に切るつもりか? ネギの繊維はな、宇宙の真理とリンクして――」
「繊維を断ち切るように斜め切りにする。そうすれば甘みが出やすくて、タレもよく絡むんだよ。黙って見てろ」
義正は手早く食材を刻んでいく。その包丁さばきに迷いはない。天極流で鍛えられたブレのない手首が、無駄のないリズムを刻む。
熱した分厚い鉄鍋に、シープピッグの豚バラ肉を投入する。
ジュワァァァッ!
一気に脂が溶け出し、野性味がありながらも上品な香りが厨房を満たした。豚肉に焦げ目がついたところで、斜め切りにした大量のネギを放り込む。
「俺のネギが、あんな油まみれの鉄鍋で……」
ネギオが渋い顔をするが、義正は構わずフライパンを煽る。
ネギが豚の脂を吸い、しんなりとしたところで、すりおろしたニンニク、味噌調味料、そして醤油草の汁を回し入れた。
焦げた醤油と味噌、そしてニンニクと豚の脂が混ざり合った、暴力的とも言える香りが爆発的に立ち昇った。
「これは……」
ネギオの葉巻が、ぽとりと床に落ちた。
義正は炊きたての米麦草ライスを深めの丼に盛り、その上に炒めたばかりの『背徳のネギ豚バラ味噌炒め』を豪快に乗せた。付け合わせには太陽芋と人参マンドラの素揚げを添える。
「できたぞ。食え」
ダイニングテーブルに並べられた丼の前に、キャルル、リリス、そしてなぜかネギオが着席していた。
「いただき、ますぅ!」
リリスがスプーンを突っ込み、一口食べた瞬間、その目から滝のように涙が溢れ出した。
「ふぇぇぇぇ! 美味しいですぅ! お肉の脂とネギの甘さが、ご飯に合って……私、もうマグローザ漁船に乗ってもいいですぅ!」
「乗るな。借金が増えるだろ」
キャルルも、おずおずと箸を伸ばした。普段は苺パフェなどの甘い物ばかりを好む彼女だが、豚バラ肉とネギを一緒に口に運んだ途端、黄金の瞳がカッと見開かれた。
「……っ!」
兎耳が、これまでにないほどの速度でピコピコと跳ね回る。
「義正さん、これ……」
「美味いか」
「うん! すごく美味しい! 味は濃いのに、ネギが甘くて、ご飯が止まらない……! おかわり、ある!?」
「村長の分は多めに作ってある」
そして、最も気難しそうな顔で腕を組んでいたネギオが、ゆっくりと箸を取った。
「俺のネギを、こんな労働者のエサのように雑に炒めおって。大体、作物の対話というものは――」
文句を言いながら、ネギオは豚肉とネギを口に入れた。
咀嚼する。
一度、天を仰いだ。
そして、黙々と丼をかき込み始めた。
「……火入れは悪くない。豚の脂をネギが完璧に受け止めている。醤油草の香りも活きている。……続けろ」
「だから褒められてる気がしねぇな」
暴力的な香りに誘われて、ルナキンの店内にいた冒険者や村人たちまでが厨房の周りに集まってきた。
「おい、あの上等な匂いはなんだ!?」
「新しいメニューか!?」
ルナキン・ポポロ支店の店長が、興奮した様子で義正の手を握った。
「義正さん! これ、うちのメニューにしませんか!? レシピの使用料はお支払いしますから!」
義正は、空になったフライパンを見つめながら、頭の中で算盤を弾いていた。
(日本式の自炊料理が、この世界では十分に商品価値を持つ。素材が良すぎるから、複雑な調理は不要だ。……いけるな)
村の価値を高めるには、まず自分たちが「価値を作る手段」を持つ必要がある。
義正は、リリスから『エンジェルすまーとふぉん』を取り上げた。
「えっ、義正さん? お菓子買うんですか?」
「違う」
義正は、日本の通販アプリの画面を開いた。
フライパン、包丁、密閉保存容器、日本の調味料、効率的な小分け用の真空パック機。
ポポロ村の食材を長期保存し、さらに高付加価値の「商品」として周辺や三国へ売り捌くための『武器』だ。
現在のカードの利用可能額は、残り十万円。
これを切れば、限度額の天井がすぐそこまで迫る。借金地獄への片道切符になりかねない。
だが、義正は商社マンだ。
「消費」を恐れて「投資」を渋る人間に、利益は生み出せない。
ガリッ。
義正は、口の中でコーヒーキャンディを力強く噛み砕いた。
「……決済」
「ああっ! 義正さんがルチアナ先輩のカードを使いましたぁ!」
「騒ぐな。これは借金じゃない。村を黒字化するための初期投資だ」
義正が静かに宣言した数分後、空間が歪み、日本の段ボール箱がポポロ村のルナキンに次々とドロップされた。
最新の調理器具と保存容器の山を見て、義正は満足げに頷く。これで、品質を安定させた「商品」が作れる。
だが、その直後だった。
ピロリン、とエンジェルすまーとふぉんに通知が届いた。
『ルチアナ・プラチナ・エンジェルカード』
『今回の利用額:8,760円』
『今月のご請求予定額が更新されました。現在のご利用残高:908,760円』
「…………」
義正は、画面の数字を見つめて無言になった。
「義正さん?」
キャルルが小首を傾げる。
投資だとわかっていても、数字として可視化されると、商社マンの胃に冷たい鉛が落ちたような重圧がかかる。
「……明日も、人参を捕りに行くぞ」
「ふぇぇ、また労働ですかぁ!」
「俺たちは今、間違いなくマグローザ漁船に片足を突っ込んでいるからな」
背徳のネギ豚バラ味噌炒めは、ポポロ村の外交と経済を動かす最初の一皿となった。
だが、力武義正の借金返済への道は、まだ始まったばかりである。




