EP 5
ゴルド商会、ポポロシガーを買い叩く
「村長! ゴルド商会の使者が来ました!」
その報せに、ルナキン店内の空気がピンと張り詰めた。
キャルルは黄金の瞳を村長のそれに変え、すぐさま村役場へと向かう。義正とリリスもその後を追った。
リリスはまだパフェの余韻でふにゃふにゃしていたが、義正が容赦なく首根っこを掴んで引っ張った。
石畳を歩きながら、義正はキャルルに短く確認する。
「俺も同席していいのか」
「うん。さっきの契約書の話、ちょっと気になるから。でも、最初は私が話すね」
「村長の交渉に割り込むつもりはない。必要なら合図しろ」
その言葉に、キャルルは少しだけ嬉しそうに兎耳を揺らした。自分の立場を尊重しつつ、後ろ盾になってくれる感覚が心地よかった。
村役場の応接室。
そこに、やけに派手な服を着た男が座っていた。
蛇のように細く冷たい目を持つ、蛇目族の商人。金色の刺繍が入ったベストに、指にはこれ見よがしな宝石の指輪が光っている。
ゴルド商会・地域買付担当、ジャバロ・ゴルドン。
「いやぁ、キャルル村長。今日もでら可愛らしいがね。ポポロ村さんとは、末永く仲良うしたいと思っとるんだわ」
ジャバロは、胡散臭いほどの柔らかい笑顔で立ち上がった。
義正は内心で警戒レベルを引き上げた。
(笑顔が厚い。こういう商人は、笑顔の下に原価表を隠している)
「金ピカですぅ」
リリスが背後で小声で呟いた。
「黙ってろ。値踏みされるぞ」
キャルルは笑顔で応対する。
「ようこそ、ジャバロさん。今日は買い付けのお話ですね?」
「そうだがね。村長さん、ポポロシガーはええ品だでよ。ただ、辺境の村だけじゃ販路に限界があるがね。そこでワシらゴルド商会が、一括で買い上げて大陸中へ流してやる。村は安定収入。ワシらは販路。お互い得だがね」
ジャバロが提示した条件は、一見すると村を豊かにする「大商会の慈悲」のように聞こえた。
だが、彼がテーブルに出した買付価格表を見たキャルルの眉が、わずかに動いた。
「少し、安くありませんか?」
ポポロシガーの上物は通常市場価格の半値。高級酒であるサケスキーも量販酒扱い。陽薬草に至っては、乾燥薬草として一括で買い叩くような値段だった。
ジャバロは鷹揚に笑う。
「大量買い付けだで、そこは勉強してちょーよ。村も在庫リスクを抱えんで済む。悪い話じゃないがね」
義正は腕を組み、黙って聞いていた。だが、ポケットのコーヒーキャンディを舌の上で転がし始めている。まだ噛まない。
「今サインしてもらえれば、今日の分の前金をすぐ出せるがね」
ジャバロはそう言って、分厚い羊皮紙の契約書をキャルルの前に滑らせた。
表面には『長期安定契約』『年間買付保証』『前金一部支払い』と、大きな文字で景気の良い言葉が並んでいる。
だが、その下部。余白を埋め尽くすように、小さな文字がびっしりと書き込まれていた。
キャルルもその罠の匂いに気づいたが、専門用語が並ぶ細かい条項を瞬時に読み解くのは難しい。
「前金……いい響きですぅ」
「前金ほど首輪になりやすい金はない」
義正はリリスに釘を刺し、キャルルに小声で囁いた。
「村長。少し読ませてくれ」
「お願い」
キャルルは即座に契約書を義正に渡した。
ジャバロが少し嫌そうな顔をする。
「そちらの旅人さんは?」
「今日から村で働いてくれる人です」
「契約は村長さんと商会の話だがね」
「だから、村長の許可を取った」
義正は淡々と返し、契約書の「小さい文字」に目を通した。
数秒後、義正の目が静かに細められた。
「……輸送費はポポロ村負担。品質不良時の賠償が販売予定額の三倍。しかも検査基準はゴルド商会側が決める」
義正の低い声が、応接室に響いた。
「これじゃ、遠方販売するほど村の利益が削れるし、商会が難癖をつければいくらでも村に違約金を請求できる」
「なっ……」
ジャバロの笑顔が少し引きつる。
義正は止まらない。
「販売独占。期間五年。村は他商会へ売れない。さらに価格改定権は商会側。これは買い付け契約じゃなく、首輪だ」
「天候や魔獣被害、三国駐留所の封鎖でも村側責任。不可抗力条項が一切ない」
「それと、最後だ」
義正は契約書の最後尾、最も文字が潰れている箇所を指で叩いた。
「“村内で生産される全特殊薬品および月光由来薬効製品について、ゴルド商会が優先交渉権を持つ”……月光薬を狙ってるな」
キャルルの表情が凍りついた。同席していた村の役員たちもざわめく。
義正は契約書をテーブルに放り投げた。
「この契約、村を殺す気だな」
ジャバロは必死に笑顔を取り繕う。
「いやいや、誤解だがね。大商会の契約書は形式が大事なんだわ。細かい条項は念のため。村を守るためでもあるがね」
「なら、村を守る条項が一つもないのはなぜだ」
義正の冷ややかな一瞥に、ジャバロの言葉が詰まった。
「リスクは全部村側。利益調整権は商会側。販路は独占。月光薬への足場まで入ってる。これを形式と言うなら、形式だけで村は潰れる」
義正はただ契約を破棄するだけでなく、すかさず「代案」という名の反撃に出た。
「独占ではなく、初回限定の試験販売にしろ。輸送費は販売地域ごとに按分。品質検査は第三者立会い。不可抗力条項を入れ、価格は最低保証価格+販売成果に応じた歩合制。月光薬関連は当然、契約対象外だ」
「な、なんちゅう無茶苦茶な……」
「イモッカとサケスキーはロット番号管理。買い叩き防止のため、村側に販売記録開示権をよこせ」
義正の言葉は、キャルルにとって目から鱗だった。
彼は単に契約を壊したいのではない。村が損をしない形で、村の価値を守りながら商売を作ろうとしている。
「村長さん、ポポロシガーは、ただの煙草じゃない」
義正はキャルルを見据えて言った。
「この村の土、気候、職人、保管、物語が乗ってる。安く大量に流せば、短期では売れる。だがブランドは死ぬ。高く売るには理由が要る。その理由を作るのが商売だ」
「……義正さん」
応接室の開いた窓の外。
葉巻をくわえたネギオが、ほんの少しだけ目を細め、白煙を吐き出した。
ジャバロは冷や汗を拭い、負け惜しみのように言った。
「旅人さん、なかなか口が回るがね。だが、ゴルド商会の広大な販路なしで、この村がどこまで売れるかね?」
「販路は一つじゃない」
義正は窓の外のルナキンやタローソンの看板を指した。
「ルナキン、タローソン、駐留所、冒険者ギルド、三国の使節。この村にはすでに客が来てる。あんたたちは唯一の道じゃない。太い道の一つにすぎない」
沈黙が落ちた。
キャルルは、村長としての凛とした声で言った。
「今回の契約書には、サインできません」
ジャバロは忌々しそうに契約書を丸めた。
「……では、持ち帰って再検討するがね。オロチ会長にも、よぉく報告しておくでよ」
ゴルド商会の馬車が村の石畳を去っていく。
その背中を見送りながら、義正は胸ポケットのセブンスターの箱を軽く叩いた。
「勝ったんですか?」
リリスが小声で尋ねる。
「今日はな」
義正は短く答えた。
「ただ、目をつけられた」
キャルルは小さく息を吐いた。
「ありがとう。あのままサインしてたら、村は少しずつ首を絞められてたかもしれない」
「小さい字に危ないことを書く奴は、次も書く」
「義正さん、本当に商社マンだったんだね」
「元、な。今は宿代を稼ぐ人参捕獲係だ」
キャルルがクスッと笑った。
村役場の役員たちの、義正を見る目が変わっていた。ただの借金持ちの旅人ではない。「村の契約を守った男」になったのだ。
窓の外で、ネギオが葉巻の煙を吐いた。
「煙草臭い旅人。口先だけではないようだな」
「ネギに評価される日が来るとは思わなかった」
「まだ評価ではない。観察対象に格上げしただけだ」
義正は肩をすくめた。
緊張が切れた途端、村役場の中に「ぐぅ〜」という空腹の音が混じった。
リリスのお腹からではない。キャルルの耳が、恥ずかしそうにぴくりと動いた。
義正はふと、さっきルナキンで食べた肉椎茸の旨味を思い出した。
畑にはネギオのネギ。村にはシープピッグの豚肉。調味料になる醤油草もある。
商材としても強い。料理としても強い。
なら、試す価値はある。
「村長」
「なに?」
「厨房を借りられるか」
リリスの目が、一瞬で輝いた。
「ご飯ですか!?」
「働いた後の飯だ」
義正は、ようやくコーヒーキャンディを奥歯で軽く噛んだ。
ガリッ、と小さな音がした。
「この村の食材、少し試す」




