EP 4
人参マンドラを追え、元商社マンの初労働
ポポロ村での初仕事は、予想以上に難航していた。
理由は単純だ。商品が「足を持っていた」からである。
「やーい、初心者マーク! 鈍足女神ー!」
「むきー! 女神を馬鹿にしましたねぇ!」
畑の中を、二本足のオレンジ色――人参マンドラが駆け抜けていく。
それを追うリリスが、勢いよく網を振りかぶり、履き慣れない草履をずらして盛大にすっ転んだ。
「ふぇっ!」
自分が投げた網に自分が絡まり、泥だらけの芋虫状態になる。
それを見た人参マンドラが腹を抱えて笑った。
「ぎゃはは! 自分を収穫してるー!」
義正は無言でリリスに近づき、網を解いてやった。
「お前は畑の損耗を増やすな」
「労働って難しいですぅ……」
涙目の見習い女神を放置し、義正は畑の縁に立った。
キャルルが事前に行った説明によれば、ルールはこうだ。
『人参マンドラは足が速いけど長距離は苦手。傷なしで捕まえれば銅貨三枚。逃げ方が綺麗だったり、叫び声が面白かったりすると四枚。傷が入ると加工用で一枚』
「生鮮食品に芸点があるのか」
「ポポロ村では大事な評価項目だよ」とキャルルは笑っていたが、義正からすれば冗談ではない。一割の傷が三倍の損失を生む世界だ。
周囲では、農家たちが大声を上げながら人参を追い回している。
義正は動かなかった。ポケットのコーヒーキャンディを舐めながら、ただ地形を見ている。
畝の高さ。水路の位置。石垣と柵の隙間。
そして、農家が追い込んだ時の「人参の逃走ルート」。さらに、一度逃げた個体がなぜか戻りたがる「湿った土の場所」。
(物も人も、流れを見る。流れが詰まる場所にこそ、価値が生まれる)
商社の物流も、畑の収穫も、基本は同じだ。
義正の横に、キャルルが音もなく立った。
「追わないの?」
「追う前に、逃げ道を見る」
義正の短い答えに、キャルルは黄金の瞳を少しだけ丸くした。
数分の観察を終え、義正は動いた。
近くの農家たちに声をかけ、配置を指示する。
「右の水路側に一人。石垣側は空けてくれ。逃げ道に網を低く構えろ。叫ばせすぎるな、品質が落ちる」
そして、泥だらけのリリスを指差す。
「リリス。正面に立つな。お前は餌役だ」
「餌役!?」
「お前が一番挑発されやすい」
義正の言葉通り、人参マンドラがリリスの姿を見つけて寄ってきた。
「やーい、借金女神ー!」
「誰が借金女神ですかぁ!」
「反応するな。だが餌としては優秀だ」
人参マンドラがリリスを嘲笑い、石垣の空いたスペースへ逃げようと方向転換した瞬間――。
すでにそこに、義正が立っていた。
追ったのではない。
天極流の極小の足運びで、畝を「滑るように」渡り、人参が逃げたい場所へ【先に】回っていたのだ。
刀は抜かない。代わりに、脱いだジャケットを闘牛士のようにはためかせ、人参マンドラの視界を奪いながら優しく包み込んだ。
傷一つない、完璧な捕獲。
一匹、二匹、三匹。
無駄な体力を使わず、逃走ルートの「詰まり」で待ち構える義正の手腕に、キャルルが目を細めた。
「すごい。足は私たちほど速くないのに、ずっと先にいる」
「追うから逃げられる。逃げたい場所に先に立てばいいだけだ」
その時、畑の奥からひときわ大きな人参マンドラが現れた。
「俺を捕まえられると思うなよ、人間! 俺は七度収穫を逃れた伝説の人参だ!」
農家たちが「親分が出たぞ!」とざわつく。
「あれはちょっと厄介だよ」とキャルルが言う通り、親分人参は逃走ルートを熟知しており、普通に追えば他の作物を踏み荒らされかねない。
義正は周囲を見渡し、キャルルに視線を向けた。
「村長、あの水路の向こうへ回れるか」
「跳べるよ」
「跳ぶな。着地の衝撃で畑が傷む。低く回ってくれ」
キャルルが少しだけ嬉しそうに笑った。
「畑優先なんだ」
「商品価値が落ちる」
「いいね、それ」
キャルルが身を屈め、マッハの初速を完全にコントロールして水路側へ回り込む。
義正が正面から静かに圧をかけ、退路を塞ぐ。
そこへ、背後でリリスが「あっ」と声を上げ、持っていた飴玉を落とした。
親分人参が、一瞬だけその菓子へ視線を向けた。
そのコンマ数秒の硬直。天極流が最も得意とする「決裁の隙」。
義正のジャケットが、親分人参をすっぽりと包み込んだ。
「菓子に釣られた……俺の人参生が……!」
「食欲も流れだ」
義正は淡々と包みを結んだ。
捕獲作業が終わり、報酬が計算される。
義正の成果は傷なし多数。キャルルも数匹捕獲しつつ畑の被害はゼロ。リリスはゼロだが、親分人参捕獲の(偶然の)アシストが認められた。
キャルルから渡された銅貨は数十枚。これで今日の宿代と昼食代にはなる。
「労働単価は悪くない。ただ、捕獲効率を上げれば倍はいけるな」
義正が即座に計算すると、キャルルが首を傾げた。
「倍?」
「逃走ルートに低い柵を置く。網の位置を変える。人員配置も固定しない。商品を追い回すより、流れる場所を絞った方がいい」
農家たちが「なるほど」とざわめく。
「ほう。初日から農業に口を出すか、煙草臭い旅人」
声の主は、葉巻をくわえたネギオだった。
義正は動じない。
「効率の話をしただけだ」
「効率とは、時に作物との対話を殺す言葉だ」
「非効率は、時に農家の腰を殺す言葉だ」
ネギオが少し黙った。義正は続ける。
「収穫は略奪じゃなく契約だと言ったな。なら契約には条件が要る。作物は傷なしで出荷され、農家は無駄な疲労をしない。村は品質を揃えて高く売る。その方が全員得だ」
ネギオが、長く白い煙を吐いた。
「……言葉は雑だが、筋は悪くない」
「褒められたのか?」
「まだ侮辱ではない、という段階だ」
「ネギオさん、分かりにくいですぅ」
「理解力のない女神に合わせると、世界の言語水準が下がる」
「ふぇぇ!」
労働の汗を流した後、キャルルは約束通り二人を『ルナキン・ポポロ支店』へ案内してくれた。
異世界の農村にある、二十四時間営業のファミレス。看板は少し派手だが、中は村人、商人、冒険者、駐留兵らしき者たちが入り乱れ、活気に満ちている。
(ファミレス一つで、この村の経済が見える)
メニューの豊富さ、客層の広さ、食材の地元比率、物流の安定性。義正の商社マンとしての評価が、また一段階上がった。
「お昼だし、昼定食がいいよ。ポポロ村の自慢なんだ」
キャルルの勧めで、義正の前に運ばれてきたのは『肉椎茸ハンバーグ定食』だった。
肉椎茸の圧倒的な旨味。太陽芋コロッケの甘み。醤油草スープの深い香り。
義正は一口食べ、目を見張った。
「素材が強いな」
「でしょ?」
キャルルが嬉しそうに笑う。
義正は深夜に自炊をする「漢飯」の料理人でもある。この村の食材は、商材としてだけでなく、料理の素材としても一級品だと確信した。村の価値は、想像以上に高い。
「義正さん、苺パフェがありますぅ!」
リリスが目を輝かせてメニューを指さした。
「報酬の範囲で頼め」
リリスがこっそりエンジェルすまーとふぉんを取り出し、カード決済画面を開こうとした。
義正は、無言でそのスマホを上から押さえ込んだ。
「何をしてる」
「投資ですぅ。女神の士気向上に」
「消費だ」
泣きそうになるリリスを見て、キャルルが笑いながら自分の『人参ハニー小パフェ』を分けてくれた。リリスは感涙しながらそれを頬張る。義正は短く礼を言った。
食事が終わる頃だった。
「村長! ゴルド商会の使者が来ました!」
タローソンの制服を着た若者が、慌てて店に飛び込んできた。
店内の空気が、ほんの少し変わった。
さっきまで肉椎茸ハンバーグの匂いとドリンクバーの音で満ちていたルナキンが、急に商談前の会議室みたいな硬さを帯びる。
キャルルは笑顔のまま立ち上がった。
だが、その黄金の瞳だけが、村長のものに変わっていた。
「分かった。すぐ行くね」
義正は食後のコーヒーを置いた。
「面倒事か」
「たぶんね。ポポロシガーとイモッカの買い付け。ゴルド商会は大きいけど、いつも契約書の字が小さいの」
義正の目が、静かに細くなった。
「小さい字か」
リリスが、パフェのスプーンをくわえたまま震えた。
「義正さん、契約書の小さい文字、嫌いですもんね……」
「嫌いなんじゃない」
義正は立ち上がり、胸ポケットのセブンスターの箱を軽く叩いた。
「人を殺すから読むんだ」
ポポロ村での初労働は、人参の捕獲で終わった。
そして次の仕事は、どうやら商談らしい。




