EP 3
ポポロ村の月兎村長、借金持ちを拾う
遠目には、のどかな農村に見えた。
だが、近づくにつれて義正の脳内にある「村」の概念がガラガラと崩れていった。
土の道はいつの間にか、荷馬車がすれ違えるほど広く平らに整備された石畳へと変わっていた。畑の間を、エンジン音のような低周波を響かせて小型の魔導車が走り抜けていく。巨大な岩の角を持つ牛――ロックバイソンが、荷台に満載された木箱を牽いていく。
そして何より、村の入口に設置された魔導通信掲示板の周囲だ。
『ルナキン・ポポロ支店、秋の肉椎茸フェア!』
『タローソン、ポポロシガー新ロット入荷!』
『タロマート、日替わり特売・太陽芋詰め放題!』
『タローマン、特注安全靴オーダー受付中!』
『ルナミスパーラー、新台【異世界転生トラックでドン!】稼働開始!』
『ジオ・リザード競竜中継、本日15時出走!』
義正は掲示板を見上げ、低く呟いた。
「農村の情報量じゃないな」
「えっへん! ポポロ村は緩衝地帯ですから、いろいろ便利なんですぅ!」
リリスが、自らの手柄のように胸を張る。
義正は冷静に村の全景を見渡した。
「便利、で済む密度じゃない。商圏ができてる」
ファミレス。コンビニ。スーパー。軍需品店。そしてギャンブル施設。
これは単なる農業拠点ではない。交易、宿泊、娯楽、そして軍事的な中継点として、強固なサプライチェーンの中心に位置している証拠だ。
一体誰が、この辺境の村をここまで「太く」したのか。
村のメインストリートから少し外れた畑では、さらに奇妙な農作業が行われていた。
「ギャーッ! 収穫反対ー! 自由を寄越せー!」
二本足の生えたオレンジ色の大根――いや、人参が、畑の畝を器用に駆け抜けていく。その後ろを、農家の老人が網を持って全力で追いかけている。
別の畝では、土に半分埋まった巨大なキャベツが、鍬を振り上げた農夫に向かって命乞いをしていた。
「待て待て! 俺、まだ今日の小粋な小話を披露してねぇ! ルナミスの内務官の極秘スキャンダルだ! 収穫するならせめてオチまで聞け!」
「こいつ、昨日も同じ導入だったぞ。鮮度が落ちてる。抜いて塩もみにしろ!」
「待ってぇぇ!」
義正は半眼になった。
「野菜の概念が壊れてるな」
「アナステシアでは、よくあることです!」
リリスが満面の笑みで答える。
「その言葉、便利に使いすぎだ」
さらに畑の一角では、太い葉巻をくわえた「ネギ型の樹人」が、農夫に向かって滔々と説教を垂れていた。左腕には、ぎらりと光る鋭いネギ型の刃物――ネギカリバーが宿っている。見た目はふざけているが、立ち上る気配は相当に鋭い。
「違う。収穫とは略奪ではない。契約だ。土と水と太陽と労働と作物の間に成立する、極めて高度な相互扶助だ。その理解なしに鍬を振るうな、この農業蛮族」
「朝っぱらからネギに説教される身にもなってくれ……」
葉巻を吹かしたネギが、ふと義正たちに視線を向けた。
「ほう。煙草臭いが、目は腐っていない旅人だな」
「ネギが喋った」
「人間も大して中身のないことをよく喋る。驚くほどの差はない」
リリスが義正の袖を引いて小声で言う。
「あれがネギオさんです。ポポロ村の名物ですぅ。たぶん、怒らせない方がいいです」
「たぶんじゃなく、確実に面倒なタイプだな。関わらないでおこう」
義正がそう結論づけた時だった。
「捕まえたっ!」
澄んだ声と共に、畑道の奥から土煙が上がった。
先ほど空を跳んでいた兎耳の少女が、片手に暴れる人参マンドラをぶら下げて戻ってきたのだ。もう片方の手で、額に浮かんだ汗を軽く拭う。
月白色の髪。淡い黄金の瞳。
動きやすいパーカーにショートジャケット。ポケットには飴玉がぎっしり詰まっているらしく、歩くたびにカラカラと鳴る。
そして、その華奢な足元には、無骨な黒い特注安全靴。腰にはミスリル合金のダブルトンファー。
「食われる……俺はまだ若い人参なのに……!」
人参マンドラが悲壮な声で呟くと、少女は優しく微笑みかけた。
「大丈夫。美味しく食べるからね」
義正は内心で突っ込んだ。(優しい声で言う内容じゃない)
少女が、義正とリリスの存在に気づいた。
パッと表情が明るくなる。だが、義正はその一瞬の視線の動きを見逃さなかった。
彼女の黄金の瞳が、自分の腰の白雪、煙草の匂い、リリスの片方だけの草履、死蟲機の素材が入った菓子袋、そして義正の重心(警戒姿勢)までを、コンマ数秒で「査定」したのがわかった。
「ポポロ村へようこそ。私は村長のキャルルです」
キャルルは柔らかな笑顔で歩み寄り、名乗った。
近くを通りかかった農夫や商人が、「おはよう、村長」「今日も可愛いねぇ」と声をかける。彼女は全員の顔を見て、名前を呼んで挨拶を返していた。
義正は理解した。この女は、村人に愛されている。そして、ただ愛されるだけでなく、村の防波堤として愛されるだけの仕事をしている。足元の安全靴のソールの減り方が、その証拠だ。
義正はくわえていた煙草を携帯灰皿に落とし、火を消してから短く頭を下げた。
「力武義正。こっちはリリス。事情があって、この村に来た」
「見習い女神のリリスですぅ」
リリスがぺこりと頭を下げる。
キャルルはリリスの名札とピンクのジャージをじっと見て、少しだけ遠い目をした。
「ああ……またルチアナ様絡みですね」
「分かるのか」
「そのジャージと健康サンダルを“女神の正装”って言い張る方、他にいませんから」
「やっぱり嘘だったんですかぁ!?」
リリスがショックを受けたように叫んだ。義正が溜息をつく。
「だから言っただろ」
キャルルは笑って、村の入口横にある小さなベンチへ二人を案内した。
木陰の涼しい場所で、彼女は水筒から冷たい陽薬草茶を二つのコップに注いでくれた。
義正は茶を一口飲み、事情を簡潔に説明した。
森で目覚めたこと。池でリリスを助けたこと。財布が沈んだこと。
代わりにプラチナカードを渡されたが、すでに九十万円使用済みで、残り十万円しかないこと。そして、滞納すればマグローザ漁船行きであること。
途中まで真面目に頷きながら聞いていたキャルルの兎耳が、「マグローザ漁船」という単語でピクッと跳ねた。
「それ、普通に危ないやつだよ」
「分かってる。だから今、最初の支払い計画を考えてる」
「異世界に来て最初に考えることが返済計画なんだ」
「考えなきゃ漁船だ」
「マグローザは、おっきいですぅ……」
リリスが怯えたように小さくなる。
キャルルの瞳に、確かな同情の色が浮かんだ。しかし、彼女は「じゃあ無料で泊めてあげる」とは言わなかった。
「困ってるなら助けたい。でも、村の宿も食堂も、誰かの労働で動いてる。無料で泊めると、村の人たちに説明がつかないの」
その言葉を聞いて、義正はキャルルの評価を一段階引き上げた。
甘いだけではない。自分の善意を、村の経済という「制度」に乗せる感覚を持っている。トップダウンの独裁ではなく、村全体の公平性を理解している証拠だ。
この村長は、ただの善人じゃない。なら、話ができる。
「筋が通ってる。無料で世話になろうとは思ってない」
義正が即答すると、キャルルは嬉しそうに笑った。
「じゃあ話が早いね」
「えっと……もしかして、働くんですか?」
リリスが不安そうに首を傾げる。
「当たり前だ」
「女神なのに?」
「ポポロ村では、女神様でもご飯を食べたら働くよ」
キャルルが優しく宣告する。
「神に厳しい村ですぅ!」
キャルルは畑の方へ視線を向けた。
まだ数本の人参マンドラが、短い足でドタドタと逃げ回っている。農家たちが網を振り回しているが、なかなか追いつけない。
「ちょうど人手が足りないんだ。今日の朝市に出す人参マンドラが何本か逃げちゃって」
「人参が逃げる時点で、仕事の定義を見直したいな」
義正が半眼で突っ込むと、キャルルはカラカラと笑った。
「捕まえた分だけ、宿代と食事代に換算するよ。あと、そのお菓子の袋に入ってる死蟲機の素材も、ギルドで査定できると思う」
「査定できるのか」
「うん。危険だけど、素材としては使えるから。食べる人もいるし」
「ほら! エビ味ですぅ!」
「食うかどうかは毒抜きしてからだ」
義正がバッサリ切り捨てると、キャルルがまた少しだけ笑った。
キャルルはポケットから飴玉を取り出し、リリスに渡した。
「わぁ、ありがとうございます!」
義正には渡さなかった。義正が視線だけでそれを追うと、キャルルは気づいてもう一つ差し出した。
「義正さんもいる?」
「コーヒー味ならな」
「ごめん、人参ハニー味」
「遠慮する」
「私は食べます!」
「じゃあ、働こっか」
キャルルは、まるで昼飯に誘うような気軽さで言った。
その先の畑では、人参が二本足で逃げ、農家が網を持って走り、ネギが葉巻を吸いながら説教をしている。
義正は空を見た。
東京では、少なくとも人参は逃げなかった。
だが、ここには宿があり、飯があり、仕事がある。
そして、支払日が来る前に稼がなければならない。
「……初仕事が人参の捕獲か」
「ポポロ村では大事な仕事だよ」
「商品価値は?」
「傷なしなら銅貨三枚。叫び声が面白ければ四枚」
「基準が狂ってるな」
キャルルは楽しそうに笑った。
リリスは人参ハニー味の飴を舐めながら、何も分かっていない顔で両手を上げた。
「頑張りましょう、義正さん!」
「お前も働け」
「ふぇぇ」
畑の奥で、人参マンドラが叫んだ。
「労働反対ー! 収穫反対ー!」
義正は胸ポケットのセブンスターの箱を軽く叩き、深く息を吐いた。
ポポロ村。
どうやらここでは、商売も農業も、まず逃げる商品を捕まえるところから始まるらしい。




