第四話、味覚
「流石に疲れたな」
蔦で生い茂った第三層の扉を開き、レストルームに足を踏み入れた瞬間。
今まで聞こえなかった音が、戻る。
久しぶりに聞いた自分の声も、ダンジョン内の静かなノイズも、足音も、呼吸音も、全部、聞こえる。
――……良かった。
未来羽はポケットから端末を取り出すと、文字を紡ぎ続けていたイッパちゃんに話しかけた。
「イッパちゃん、もう喋っていいよ。俺、聞こえるようになった」
『未来羽。聞こえるようになったのですね。第三層、攻略おめでとうございます。今更ですが、〝ローンウルフ〟に囲まれていた時の、あなたの生存率は12%でした』
「今言う? それ」
『ですが、わたしの介入によって生存率は27%となりました』
《おかえり、イッパちゃん》
《イッパちゃんの声落ち着く》
《無事でよかったよ、イッパちゃん》
「俺の心配はしてくれねぇの?」
《草》
《忘れてたけど、未来羽って強いし》
《よっ、戦闘狂》
――……なんだよ。
未来羽は小さく息を吐き出すと、地面に座り込んだ。
まずは怪我の手当てをした方が良いだろう。第二層で不覚にも傷付いた箇所の包帯は、真っ赤に染まっている。第三層での〝ローンウルフ〟から受けた傷もまた、酷く出血していた。
救急セットから消毒液や包帯を取り出しつつ、未来羽は口を止めない。
――曲がりなりにも、配信中だ。
「てかさ、〝ローンウルフ〟って名前なのに、群れでいるってどういうこと?」
『いい質問ですね。〝ローンウルフ〟は、確かに元々、単独行動を好む魔物です。しかし音に敏感な性質故、同じ種族同士で連携をするようになったのです。完全な協力状態、というよりかは、環境適応といった方が適切でしょう』
「ふぅん……」
《勉強になるな》
《そういうことなんだ》
流れ続けるコメント欄と、饒舌に話し続けるイッパちゃん。
――……眠い。
ダンジョンに潜り、既に六時間は経過していた。
現実の時間でいえば、既に深夜零時を迎えた頃か。
未来羽は大きな欠伸をすると、配信用カメラに手を振った。
「うん、よし。第四層の解説をしてから、一、……二時間くらい仮眠しようかな」
《OK》
《仮眠大事。待機待機》
「イッパちゃんもそれでいい?」
『はい。未来羽のバイタル――心拍数、低下。バイタル――体温、微量に上昇中。負傷を鑑みると、仮眠が最適解でしょう』
「ん。じゃあ、第四層の解説しようか。イッパちゃん、お願い」
『分かりました。第四層では、未来羽の味覚が奪われます。また、ここからは第三層よりも討伐ランクの高い魔物が出現いたします。全長は標高1089メートル。森林、崖を含んだが生成されており、高度な地形把握能力と、戦闘力が要求されます。未来羽の生存率は、――7%です』
「山なんだよね。相当体力持っていかれる、って話だから、ちゃんと回復しないとな」
未来羽は再び大きな欠伸をすると、カメラに向けて「おやすみ」とひとつ。
急激に襲ってきた眠気には、もう抗えなかった。
『未来羽、……おやすみなさい』
そんな、無機質な声を最後に、深い深い暗闇へと落ちていく。
〇×
目を覚ました時。
そこは、一面、白色に囲まれていた。
前を見ても、白。振り返ってみても、白。首を横に振っても、白。
天を見やっても、地を見つめても白。
境界線など何もない。
音のひとつもない、ただの白い空間。
そこに、未来羽は存在していた。
頬を叩いてみても、身体を殴ってみても、鈍い痛みが広がるのみで何も変わりやしない。
「あ、い、う、え、お」
言葉を発せば、それは大きく反響する。
でも、それだけだった。
――なあんだ、夢か。
ジジ、と、強いノイズが走った瞬間、未来羽は大きなため息を吐きだした。
タチの悪い夢だ。こんなものを見るのは、疲労が限界を迎えていたからだろうか。
ぽこり、ぽこり、と。
白い地面から、球体が浮かぶ。
ふわり、ふわり、と。
球体は宙を彷徨うと、溶けて消えていく。
現実世界ではありえないその光景に見とれていれば、今度は、真っ白い空間に大きな映像が映し出された。
二人の青年が、ダンジョンの中腹に立っている
画質は荒く、音は途切れ途切れ。映像の右側には、無数のコメントが流れていく。
《お前らなら行ける》
《初踏破、いっけえええ!》
青年のうちの一人が大きく笑った。
その隣の青年もまた、自信満々の笑みを浮かべている。
「よし、行こうか」
「うん、行こう。絶対勝つぞ」
二人の声が響くと同時に、映像へノイズが走る、はしる。
その瞬間。
画面が、映像が、真っ赤に染まった。
青年のうちどちらかの鮮血か、はたまた、対峙していた魔物の血液か。
「……ご、めん」
静かなる謝罪がひとつ。
その折、映像は消えた。
――……また、あれか。
白い空間に残された未来羽は、目を強く閉じた。
赤茶色の髪を勢いに任せて掻き、上がった呼吸を落ち着かせようと両手拳を握り込む。
『俺、もう普通に生きていこうと思う』
聞き慣れた相棒の声が、響く、ひびく。
『お前はさ、強いよ。一人でも十分やっていけるだろう』
あの瞬間で大怪我をした相棒の姿が、瞼の裏に、浮かぶ、うかぶ。
『頑張れよ』
冷たく、でも、柔らかく、背中を押してくれた相棒の温かい手の感覚が、身体に染み付いて離れない。
――相棒なんてものは、もう要らない。
――こんな想いをするくらいなら、もう、ひとりでいい。
未来羽は自身の膝を抱え込むと、奥歯を食いしばる。
――忘れろ、わすれろ。
上がっていく呼吸を抑え込んで、唇に血が滲むほど噛み締めて、張り付いた感覚の全てを放棄する。それくらいしか、未来羽には出来なかった。それが、一番楽だったから。
〇×
『未来羽。バイタル――心拍数、上昇中』
自分の名前を呼ぶ声がする。
『未来羽。未来羽。未来羽、未来羽』
――うるさい、煩い、ウルサイ!!
耳にこびり付いた相棒の声が、消えていく。
『未来羽、起きて』
「……ッ!!!!! は、……はー、……ああ、夢かあ」
未来羽は飛び起きると、辺りを見やった。
銀色に囲まれた、ここは、レストルーム。
思わず配信用のカメラに視線を向ければ、寝る前と同じ場所に佇んでいる。近くに置いておいた端末は、無機質な声で未来羽の名前を呼び続けている。
「ごめん、イッパちゃん、皆。夢を見ていたみたい」
《びっくりさせるな未来羽》
《イッパちゃん、心配してたぞ》
コメントを追いかけて、それから。
未来羽は頬を小さくかくと、再び「ごめん」と零して笑う。
――久しぶりに嫌な夢を見たものだ。
「よし。少し準備運動したら、第四層攻略、行こうか!」
脳裏に浮かんだ夢での光景に頭を振る。
少しでも仮眠を取ったおかげか、身体の疲労は幾分か取れていた。傷も、殆ど痛まない。
――これなら、十分だ。
〇×
第四層。
そこは、山、というよりも、崖に近かった。
足場の悪い道で、襲い来る魔物の数々。
いなし、登り、いなし、登り。休憩して、また、登り。
「……は、イッパちゃん、あとどれくらい?」
『現在、標高634メートルです。東京スカイツリーと同じ高さですね』
「うん、ありがとう。でも、今どうでもいいよそれぇ。この一帯の安全性はどう?」
『かなり安定しています。付近で休息をお勧めします』
「わかった」
ダンジョン攻略補助AIというのは、中々やるものだ、と未来羽は思う。
今までは、先駆者の攻略情報を学ぶことでダンジョンに挑むか、ないしは、自身が先駆者となりダンジョンを攻略するしか方法はなかった。
しかし、このAIが居るだけで、大きな事故はかなり減るのではなかろうか。
未来羽はイッパちゃんの指定する岩陰に腰を下ろし、ポーチを開いた。
――携帯食料と、水と、さっき殺した魔物の肉……。
「なあ、イッパちゃん」
『はい』
「この魔物の肉、食える?」
『はい、可能です。焼いて食べることを推奨します。未来羽が好きだとおっしゃっていた、カルビに近い味だと言われています。わたしには分かりませんが』
「イッパちゃん、俺、今さ、味覚ねぇのよ。俺も分からないの」
ぐぅ、と鳴った腹の音は、吹き荒れるダンジョンの風に溶けていく。
厄介なのは、何せ、味覚がないことだった。
――余裕、だと思ったんだけどなあ。
水を飲もうとも、咥内に広がるのは「無」。
温い何かが喉を通り過ぎていくのみで、何もない。
わずかに含まれるはずの甘味も、何一つ。
「……ちょっと、ミュートしていい?」
未来羽は手慣れた仕草で火をおこし、焼いた肉を見てからため息をひとつ吐き出した。鼻腔に届く香ばしい匂いは確かに美味そうだ。
分泌される唾液の量を考慮するに、腹は確かに空いている。
しかし――……。
「味、しねぇな」
口に入れた瞬間広がる熱い肉汁は、何の味もしやしない。
柔らかく、とろけるような触感があるのみで、それ以外は本当に何も。
まるで、ゴムを食べているかのような感覚だ。
美味そうな匂いはする。噛みしめる音も感覚もある。でも、何もない。虚無。
――ミュートにして正解だった。
未来羽はカメラに背を向けると、わずかにえずき、水で全てを流し込んだ。
そしてミュートを解除をして、静かに笑う。
「まじで、何の味もしねぇわ」
《きつそう》
《無理すんな》
「無理してねぇよ。胃に入ったら一緒だって。携帯食料も食ってみようかな。……うわ、肉より最悪かも」
未来羽は、笑う。
しかし、摂食量は、成人男性の平均の51%を下回っている。
咀嚼回数、低下。
発話数、増加。
主――未来羽は、空腹を誤魔化すような笑顔で、生配信の視聴者と会話をしている。
バイタル――心拍数、増加。
バイタル――体温、低下。
残り、455メートル。
生存率、6%。
魔物のバイタル、残り2。
未来羽は、無理を、している。
「ねぇ、イッパちゃん」
『はい』
「あとどれくらい?」
『残り455メートル。未来羽の生存率、6%』
「はは、また下がったな」
未来羽は、笑う。
ブロンズの瞳を細め、赤茶色の髪を揺らし、笑う。
「なあ、イッパちゃん」
未来羽は、第三層を終えた後から、妙に話しかけてくる。
『はい』
「味がしないってさ」
未来羽は、笑う。
声量、低下。
生配信のマイク、ミュート。
「……つまんねぇな」
未来羽は、笑う。
声量、上昇。
生配信のマイク、ミュート解除。
「よっしゃあ、頑張ろう! あと半分」
この数時間で、最も大きな声。
統計的に、未来羽の身体は限界を迎えていてもおかしくない。
生存率、5%。
わたしは、ダンジョン攻略補助用最新型プログラム。
わたしに出来ることは、計算と、予測。それから。
主を最下層まで導くこと。
未来羽は、笑う。
からからと、笑う。
その身体は、とうの昔に限界を感じているというのに。
――どうして?




