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第二話、嗅覚、触覚



「うわ、……くっさ」


 扉の先は、淡い光に包まれていた。

 ゴツゴツとした岩肌に、ぽつりぽつりと取り付けられた松明が揺れている。

 未来羽(みらいば)は鼻をつまみながらも、堂々と前に進んでいく。


「知ってたけど、やばい匂いだな。なんて言うのかなぁ。腐敗した、肉の匂いみたいな……。酸っぱくて嗅いだだけで吐きそうになるやつ」


《最悪》

《まじのやつじゃん》


「うん。でも、……まあ、もう嗅覚無くなっちゃったし。余裕で息吸える」


 画面を見やった未来羽は、深い呼吸を繰り返した。

 吸って、吐いて。吸って、吐き出して。

 しばらくする内に、先ほどまでの気持ち悪そうな様子は消え去っていた。


「攻略サイトによると、第一層は魔物すら出ないんだよね。ただ扉を開けた瞬間に強烈な異臭がするだけで、そのうえ嗅覚が奪われるから何も感じないの。感覚としては変な感じかも」


 未来羽は、怖気づくことなく足を前に進めていく。


「というか、皆知ってる? 腐肉で思い出したんだけどさ、俺、この前久しぶりに自炊しようと思ってね。多分……、半年ぶりくらいかな? 冷蔵庫開けたらとんでもないものがあって。見てよ、コレ」


 突然未来羽は立ち止まると、携帯を操作する。

 そして画像を一枚。追尾カメラに見せて、カラカラと笑う。

 そこには、芽が伸び切って原型を無くした玉ねぎと、萎れに萎れ小さくなった人参が映っていた。


《食べ物大事にしろ》

《センシティブ注意しろ》

《未来羽、お前……》


「ごめんって。各方面には申し訳ないと思ってるよ。でも俺、本当こういう食材管理とか超苦手なんだよな。気が付いたら忘れ……」


『未来羽様』


 テンポ良く話す未来羽の声に重なるよう、イッパちゃんの無機質な声が響いた。

 時間にしては久しぶりの登場だ。


「ん? どうしたの、イッパちゃん」


《久しぶり!》

《主に何か言ってやってよ、イッパちゃん》

《イッパちゃん可愛い》

 

『未来羽様。第一層の空気は、地上の数百倍濁っています。未来羽様の場合、百五回以上肺に取り込むと、致死量となり得ます。バイタルを確認していましたが、残り三十二回程で、致死量を迎えます』


「……イ、イッパちゃん?」


《やばくて草》

《急げ未来羽》

《イッパちゃん、結構ポンコツAIちゃん?》


 珍しくも困惑した様子の未来羽は、淡々と言い放つ端末を見やると、苦笑いを零した。

 そして、大きく息を吸うと、屈伸を繰り返す。


「そういうことは、次はもっと早く言ってね。……距離はそんな長くなかったはずだから、最後まで走ろうかな」


『第一層の出口まで、残り213メートルです』


「うん、ありがとう」


 画面の右側を埋め尽くすコメントの焦りとは裏腹に、未来羽は随分と落ち着いていた。寧ろ、楽しんでいるといった様子が正しいか。

 次はアキレス腱を伸ばす運動をすると、再び深呼吸を繰り返した。

 そうして、風を切って走り出す。


〇×


「……は~、マジで緊張した」


《よくやった》

《危なかったな》

《ここで死にかける実況者はじめてだわ》


 約数十秒。

 全力疾走で第一層を駆け抜けた未来羽は、荒い呼吸を吐き出しながら地面に寝転がっていた。

 第一層とはまた違った、いくらか人工的な場所である。


「……うわ、嗅覚戻ってきたみたい。めっちゃ服が臭い。最悪」


 未来羽が自分の服を嗅いでは、心底嫌そうに顔を顰めている。


《草》

《臭》

《普通に可哀想》


『未来羽様。第一層クリアおめでとうございます。残り呼吸回数は二回でした。続いて、第二層の攻略となります。ご説明はお聞きになりますか?』


《二回!?》

《生き急ぎすぎだろ。イッパちゃんの話ちゃんと聞いとけって》


 地面へ無造作に置かれた端末から、イッパちゃんは単調に話す。

 未来羽はコメントと端末を交互に見やると、「んー」と静かに息を零した。


「……、タイトルに二人三脚なんて書いたけど、本当はひとりで攻略するつもりだったんだよね。まあ、でも、なんかイッパちゃん可愛いし。俺、このままだと余裕で死にそうだし。折角だから沢山補助してもらおうかな」


 一息で言い切った未来羽は続ける。


「誰かと組むのなんて、久しぶりだし。ところでイッパちゃん。第二層の情報を聞いておこうかなと思うんだけど。第二層は『触覚』が無くなるんだよね?」


『はい、その通りでございます。物に触れる、触れられる、その全ての感覚が無くなります』


「うんうん。ちなみにさ、痛覚とかってどうなるの?」


『無くなります』


「だよねぇ。先に俺からも解説しておくと、第二層もまだ魔物は出現しない。ただ、至る所に罠が仕掛けられていてね。大体覚えてきたんだけど……、常日頃ダンジョンの内容が更新されていることを考えると油断大敵だな」


『はい。未来羽様の生存確率、75%です』


 未来羽はイッパちゃんと共に攻略情報を述べると、ゆっくりと立ち上がった。

 流れた汗を拭い、乱れた赤茶色の髪を手櫛で直し、準備運動を繰り返す。


「じゃ、さくっと行こうか。まだあと四層もあるからね」


 そして第二層に繋がる扉をあっさり開くと、軽快に足を踏み出した。


「……うっわ、マジで感覚ない」


《どんな感じ?》

《ヤバそう》


「なんか、文字通りなんの感覚もない、かも。まさに暖簾に腕押し、糠に釘、ってやつだな」


 未来羽は警戒のひとつもせずに、第一層と同じような岩壁へ触れる。


「なんなら歩いてる感覚もないかも。前に足を踏み出してるって、頭や視覚では分かってるんだけどね。超不思議」


 平然と話し続ける未来羽は、陽気にも歩き続ける。

 走って、飛び回って、そのまま次々と出てくる罠を軽々と避けた。


《よく避けたな、今の》

《さすが十代。身のこなしが違う》

《あんまり走らない方がいいのでは》


「そういえばさ、この前ヨコハマダンジョンで生放送したじゃん?」


《悠長で草》

《ダンジョン攻略でも雑談を欠かさない男――未来羽》


「あそこ、魔物のランク更新されたらしんだよね。レア素材がどうにも高く売れるっていうんで、近々また行ってみようかな。イッパちゃんって、ヨコハマダンジョンの事とかも分かるの?」


『はい。分かります。ご説明をご希望されますか?』


「うん。ヨコハマダンジョンはアミューズメント施設も併設しているような、楽しい所だからね。折角だから一緒に解説しよう」


 それから、どのくらいの時間が経っただろうか。

 未だ流れの止まらないコメント欄と、イッパちゃんも交えて雑談をする未来羽。

 と。


《未来羽、気付け》

《血、やばいって》

《これ大丈夫なの?! 本当に痛覚も無いんだ……》


 コメント欄は、異常な速度で流れていく。


 画面に映し出されるのは、赤、赤、赤、赤、赤、赤。

 未来羽の足から流れ出る鮮血が、ダンジョンの地面を濡らしていた。


「……ん? う、わ」


『未来羽様。左脹脛(ふくらはぎ)から、大量の出血を確認。緊急性は低いですが、第二層の傾向を鑑みると、毒の可能性もございます。即刻止血を推奨いたします』


「まじ? 全然痛くねぇけどな」


『数メートル先の岩陰は安全地帯です。バイタル――心拍数、急上昇中。早急な止血を推奨いたします』


 のらりくらりと首を傾げる未来羽と、無機質な声で緊急性を訴えるイッパちゃんの声が響く。

 コメント欄は加速していく一方だった。


「大丈夫。皆、落ち着いて」


 未来羽はイッパちゃんの指定した岩陰に小走りで近寄ると、座り込んだ。

 そして、腰につけていたポーチから救急セットを取り出すと、慣れた手付きで手当てを始めた。

 包帯を巻く手は、少し震えている……?


《手震えてるぞ》

《未来羽、無理するなよ》


『全身の震えを確認。バイタル――体温、血圧、安定。バイタル――心拍数、上昇中』


「震えてねぇよ」


 未来羽は静かに息を吐き出すと、立ち上がった。

 相当に深い裂傷を負ったのか、既に血が滲んでいる。


「……うん、全然歩ける。傾向はもう掴んだし、第二層も一気に駆け抜けていこうかな」


 うんと大きな伸びをした未来羽は、瞳を細めて笑うと、カメラに寄って手を振った。


「まじで大丈夫。ヤバくなったらちゃんと緊急脱出するよ」


 安心させるように向けられた眩しい笑顔の裏で、端末を握るその指先には、僅かな震えが残っていた。



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