第23話 こうすれば、あったかいよ?
みんなから札幌旅行のサプライズプレゼントを受け取った後、僕らはそのまま家に帰って、これからのことを話し合うことに。
「それで、いつ行こうか、札幌」
笑菜が淹れてくれたホットコーヒーを片手に、僕はノートパソコンをポチポチ操作してよさげな日付を探す。
「うーん、学校自体はもう行かなくてもいいから、いつでも行こうと思えば行けるんだよね」
ぽちゃぽちゃと、いつものように胸やけしそうなくらいの量の角砂糖をコーヒーに入れる笑菜は、僕の操作するパソコンの画面を覗き込む。
「……じゃあさ。つがゆうさえ良ければ、クリスマスに行かない?」
すると笑菜は、画面に映る予約カレンダーの二四日の〇表示に、白く細い指をさす。
「クリスマスデート、しようよ。せっかくなら」
笑菜が口にする、デートという単語に、一瞬僕は心臓がドクンと跳ねるのを感じる。
……違う、違う、違う。勘違いするな。この気持ちは、もう、心の奥に閉じ込めただろ。
「僕は……別に構わないけど」
笑菜にバレないよう、平静を装って首を縦に振る。
「やった。じゃあ、クリスマスの日で決まりだね。そうと決まれば、早速予約の手続き済ましちゃわないと」
日程が決まり、僕の代わりにパソコンを操作していく笑菜。そんな活き活きと楽しげな笑菜の横顔を眺めながら、あることを思う。
そういえば、笑菜と泊りがけでどこかに旅行に行くのは、初めてかもしれない。
高校の修学旅行は、たまたま笑菜の体調が優れなくて欠席していた。大学に入ってからも、日帰りでどこか行くことはあっても、泊まることは一度だってなかった。
笑菜の体の弱さというのは、それだけネックになっていたんだ。
でも、どうやらこの世界での笑菜は至って健康みたいだ。現実では参加することもなかった体育の授業でも元気に笑菜は体を動かしているし、夏休みにだって僕と一緒にアミューズメントパークで騒いでいたし。
現状において、笑菜の体に関して憂うことは何もないわけだ。気にすることなく、札幌旅行に行ける。
取り立ててイベントを期待することができないはずの高三の十二月に、こんなチャンスそうそう起きない。
笑菜の言う、「私を幸せにしてよ」がどういう意図なのかは、今になってもわからないけど、さもないと笑菜が現実に帰れないかもしれないなら背に腹は代えられない。
変わらない。僕の気持ちは、望みは。
笑菜のお願いどうこう関係なく、僕は、君が幸せになってくれるならそれでいい。
そのためなら、僕は踏み台にでもなんだってなる。それが、僕にできることなのだから。
そして迎えた、クリスマスイブ当日。あの新宿でのクリスマスと同じように、この日の東京は表に出している指が赤くかじかむほど、冷える一日だった。
午前中に家を出発して、電車を何本か乗り継いで向かう羽田空港。道中笑菜はウキウキした様子で僕にちょっかいをかけては、楽しそうに表情を緩めていた。
「私、飛行機乗るの初めてなんだよねー、ちょっと緊張するなー」
当然、泊りがけの旅行が初めての笑菜にとって、飛行機だって未知の代物になる。
羽田空港の旅客ターミナルに着くなり、笑菜の引くスーツケースと、僕の背負ったリュックサックを預け、ひとまず身軽になる。
「お昼ご飯、新千歳に着いてからのほうがいいかな? まだちょっと早いもんね」
笑菜が見上げる時計の針は、まだ十一時を指している。確かに、お昼ご飯を食べるにしてはちょっと早い。ただ、新千歳に着く頃になるともうお昼ご飯を通り越しておやつの時間になる。
「うーん、笑菜が我慢できるなら、千歳着いてからでも僕はいいけど」
「私は全然いいよ。朝ごはん遅めに食べたし。それに、ラーメンっ、私味噌ラーメン食べたい、つがゆうっ」
「……言うと思ったよ。絶対に」
「だって札幌と言えばラーメン? お寿司? 美味しいものたくさんあるんでしょ? 一泊しかしないから、一食入魂でいかないと、食べたいもの食べ損ねちゃうよ」
ああ、しかし、長い通院生活に入院生活を過ごしていた笑菜にとって、食べたいものを食べる、っていう経験もそんなにしていないのかも、とか思うと、こうした些細な望みさえも叶えてあげないといけないのでは、って気になる。
「はいはい。いいよ、味噌ラーメン。食べましょ食べましょ。明日のお昼は回転寿司でいいですか?」
「つがゆうの奢り?」
「僕の財布を殺す気ですか」
「うん」
即答かい。いや、即答かい。僕がしばし無反応でいると、可笑しさを堪えきれなくなったのか、吹き出すような笑い声をあげながら、
「くふふ、冗談だよ冗談。全額つがゆうなんてそんなこと言わないって」
僕の背中をポンポンと軽く叩く。
「七:三くらいでいいから」
「僕の感動を返してもらっていいですか」
「もー、仕方ないなあ、じゃあ割り勘ねー」
飛行機に乗る前から、すっかり僕は笑菜に振り回されている。こりゃ、気が休まる瞬間はないかもなあ……。
事実、初の飛行機で色々と慣れない笑菜の世話を焼くので、なかなか落ち着かなかった。
まず保安検査で金属探知機に引っかかるのはお約束として、ペットボトルのお茶も持ち込んでいたみたいで、再検査のダブルパンチで笑菜はあわあわしていた。
「電車に乗るのとは話が違うんだねー、びっくりしちゃったよー」
全ての検査を終えて、新宿で迎えたクリスマスと同じ、クリーム色のダッフルコートを着なおした笑菜は、恥ずかしそうにもちもちの頬を掻きながら僕のもとに歩み寄る。
「そうなる読みで、多少時間に余裕は持たせてたから、計算のうちだよ」
「むー、まるで私が時代の変化についていけないおばあちゃんみたいな言いかたしてー」
「この間スーツケース買いに行ったとき、家の最寄り駅の東口と西口間違えて迷子になったのはどの口かな。おかげで僕は寒空の下笑菜が着くのを一時間近く待たされたんですけど」
「いだいいだいいだいほっぺたつねらないで」
……なんで体感一年経った同じクリスマスで僕は笑菜のほっぺたをつまんでいるのだろうか。
あまり長いこと頬をつねると、痕も残るし周りの視線も生温かくていたたまれなくなるので、僕はすぐに指を離して搭乗口へと歩き出す。
「ほら、飛行機乗るよ。そろそろ搭乗始まるから。あ、ちゃんとスマホは機内モードにするか電源切ってね。こればっかは忘れてましたじゃ済まないから」
「信用無いなー私」
「……さすがに航空法違反はオチとして笑えないから」
と、飛行機に乗るまで色々あったものの、無事に搭乗完了。あとは千歳に着くのを待つだけ……だと思っていたのだけど。
「ほわわわわ、えっ、何この感じ、こ、こそばゆいよつがゆうっ」
離陸着陸時特有の浮遊感に驚いたのか、狭い機内だというのに思いっきり隣の僕にしがみついて得体の知れない感覚に笑菜は怯えていた。
うん、落ち着くわけがないね。飛行中くらい、うとうとできるかなとか思ったけど、ずっと笑菜の話に付き合わされたし。うん、でもまあ、わかっていたことだよ。
「着いたー……って、寒っっ!」
二時間に満たない飛行時間で、新千歳に到着。飛行機を降りた瞬間、笑菜の口から漏れたのは、それだった。
「……CAのお姉さん、何度って言ってたっけ、つがゆう」
「氷点下7度」
「……ちなみに、今日の東京の気温は?」
「10度」
わかっていたこととは言え、めちゃめちゃ寒い。コート一枚なんかじゃ足りないよこれ。
「コンビニでカイロ買ったほうがいいかもね。っていうか、手袋持ってくれば良かったな」
窓の外から覗く一面の銀世界に、僕は自分の防寒装備がいかに甘かったかを思い知らされる。
「んー、カイロもいいけどさ?」
すると、笑菜はニコリと小首を傾げて目を細めると、コートのポケットに突っ込んでいた僕の左手を掴んだ。
「……え?」
「こうすれば、あったかいよ?」
視線を落とすと、しっかりと僕の左手と笑菜の右手が繋がっている。きっちり、指と指まで絡ませて。いわゆる、恋人繋ぎってやつだ。
「……笑菜さん? さすがにやりすぎじゃないですかね」
「だって寒いんだもんー、私も手袋忘れちゃったし、つがゆうはポケットに手突っ込めばいいかもしれないけど、女の子でそれはできないもんー。いいでしょ? 手貸してよーつがゆう」
溶けそうになってしまう自分の心を強く持って、僕は一度冷静に頭のなかを落ち着かせる。
「……もう、好きにしていいよ」
大丈夫、恋人繋ぎくらい、なんでもない。笑菜に他意なんてあるわけがない。そんなわけ、ないんだ。
預けていた手荷物を受け取り、手を繋いだまま僕らが向かったのは新千歳空港にあるラーメン滑走路と呼ばれる、ラーメン屋さんが並ぶ横丁。さすがにおやつの時間となると、お客さんの数もそれほど多くはなく、どの店もすぐに入ることができそうだ。
「味噌ラーメン食べたいんだよね。じゃあ、あそこの端っこのお店とか、味噌ラーメンっぽいけど」
エビそばとか、函館塩とか、旭川しょうゆとか、色々空っぽのお腹をくすぐる文言は色々あった。
「うん、じゃあそこにしよう。初志貫徹ね」
でも、羽田で話していた通り、僕らはラーメン滑走路の端に位置している味噌ラーメンのお店に入店した。
すぐにテーブル席に案内されたことで、一旦繋いでいた手と手は離される。結構長いこと繋いだままだったから、左手には笑菜の手の温もりがまだ残っている。
「うわっ、すごいよつがゆう、テーブルにゆでたまご置いてあるっ」
膝の上に置いた左手をまじまじと眺めていると、笑菜のハイテンションな声が聞こえる。
「……え? ゆでたまご?」
突然の単語に、僕も思わずオウム返しで聞き返す。なるほど、確かにテーブルの上には、山のように積まれたゆでたまごと「無料サービス」の文字が。
「まじ、これいくらでも食べていいの?」
「み、みたいだね」
早速、北海道のグルメパワーに当てられた僕らは、お冷とたまごの殻入れを持ってきた店員さんに、味噌ラーメンを注文。人気だと言うチャーシュー麺にしても良かったけど、ここで食べ過ぎると夜ごはんがきつくなるだろうし、ひとまず我慢。
ほどなくして、味噌のいい匂いを携えたラーメンが僕らの前に到着。
「生きてて良かったね、つがゆう」
パチン、と小気味よい音を立てて割りばしを割った笑菜は、感慨深そうに僕に呟く。
「う、うん。生きてて……? 良かったよ」
僕は死んでいるんじゃ、とか思ったりもしたけど、美味しそうなラーメンを目の前に変なことをうだうだ考えるのも無粋だろう。
笑菜とほぼ同時に、味噌スープが絡んだ中太のちぢれ麺を口に入れると──
「「……生きてて良かったね」」
自然と言葉が揃って漏れ出ていた。いや、真面目に美味しい。豚骨ベースのスープは濃厚だけど、されどくどくない仕上がりになっていて、麺とよく合っている。具だって、歯ごたえ十分のキクラゲに、シャキシャキのネギ、そしてスープの奥底にウズラ。……卵推しがすごいな。
厚切りのチャーシューだけでなく、キューブ状のチャーシューも入っていて、あ、チャーシュー麺にしたら食べきれなかったかもしれないと、自分の判断の正しさにホッとした。
ふと、正面の笑菜に視線を上げると、彼女も心底美味しそうにラーメンを啜っている。時折頬に左手を当てて恍惚の表情を浮かべるあたり、よほど気に入ったのかもしれない。
……これだけでも、札幌来た甲斐があったかもしれないな。
僕が何かをした、っていうわけではない。でも、僕は笑菜を幸せにしないといけない。
札幌旅行はまだ始まったばかりだけど、確かな手ごたえを、このときの僕は感じていた。
大満足の味噌ラーメンを平らげると、時刻は夕方四時近く。だと言うのに、すっかり空は蒼黒に染まりあがっていて、夜なんじゃないかなと勘違いさせられてしまう。
名残惜しそうにお土産屋さんを見つめていた笑菜の手を引いて(というかさっきと同様繋いだまま)空港を後にした僕らは、そのまま停車していた快速電車に乗り込んで札幌市街へと移動した。
「札幌着いたー! で、やっぱり寒いっ!」
札幌の駅舎を出た瞬間、キンキンに冷え切った空気を切り裂く勢いで笑菜は叫ぶ。
「ねえねえつがゆう、私たち、ホテル着くまでに何回雪道に滑って転ぶと思う?」
「……転ぶ前提なんだね。いや、僕も正直自信はないけど」
札幌駅から予約したホテルまで徒歩で数分。でも、どこをどう見たってスケートリンクにしか見えないくらいテカテカに光っている歩道を、無事に歩けるとは到底思えなかった。
結論から言う。やっぱり無事じゃ済まなかった。
手を繋いだまま歩いた僕らは、見事なまでに冬道にすってんころりんを繰り返した。笑菜がバランスを崩したら僕も一緒にコケて、僕が足を滑らせたら笑菜と一緒に尻もちをついた。そのたびに意味もなく笑い合っていた僕たちは、端から見れば変なふたり組の男女に思われたかもしれない。
人生最後に過ごすクリスマスにしては、少々どころかかなり間抜けだったかもしれない。でも、こんなくだらないことで笑菜とケラケラ笑い合うのは、それこそ現実での高校生以来かもしれない。
「いやー、面白いくらい歩けなかったねー。もうお尻真っ白だよー私」
ホテルのエントランスに着く頃には、まるで遊園地のアトラクションひとつ満喫したくらいの謎の充足感が僕らには広がっていた。
ほんとに、つるつるに滑る道を歩くなんて、一種の競技だよもはや。こんな道を顔色変えずに歩く地元の人凄い。
鼻も頬も、指先も寒さで真っ赤にさせた僕たちは、やっとの思いでホテルのなかに入る。そのまま、チェックイン、っていう流れだったのだけど。
「ご予約の市川様ですね。ダブルのお部屋でご用意しております──」
フロントのお兄さんから言われた文言に、僕は耳を疑った。
「──こちらがルームキーです。お出かけされる際は、フロントへお預けください。それでは、ごゆっくりおくつろぎください」
すまし顔でルームキーを受け取り、エレベーターへと向かう笑菜に僕はたまらず肩を叩く。
「……笑菜さん、ちょっと聞きたいことがあるんですが」
「へ? なあにつがゆう。夕食の時間? 夕食だったら、ちょっと遅めの時間にしてるから、気にしなくてもいいよ?」
「へえ、そっか。それはありがたい……なんて言うとでも思った?」
エレベーターのかごに進み、指定のフロアに上がる間、僕は渋い顔で笑菜のことをじっと見つめる。
「ダブルって言ってたけど。いや、相部屋くらいはあり得るかなーとか思ってたけど、せめてツインでしょ、ダブルって正気ですか、ダブルって」
「……ツイン埋まってたし、二部屋取るのも厳しそうだったからー。仕方ないよねー。不可抗力不可抗力―」
「そこ、目を逸らして言わない」
失敗した……。ホテルの予約関係は全て笑菜に任せてしまった。日程を決めたあの日、パソコンの操作全部笑菜に預けたのがまずかった、なんでこうなることに気づけなかったんだ僕は。
チーン、という音とともにエレベーターの扉が開き、いそいそと部屋に向かう笑菜と、とぼとぼ遅れて後を追う僕。
客室内に入ると、やはり大きめのベッドひとつだけが鎮座した洋室が僕らを出迎える。
「大丈夫だってー、普段から同じ部屋で寝てるんだからー」
「……同じ部屋で寝てるかもしれないけど一応カーテンで仕切られてるし、そもそも同じベッドで寝るのとは訳が違うよね?」
「んー、それともつがゆうは私と同じベッドで寝るの嫌なの?」
スーツケースを部屋の隅の置いた笑菜は、コトン、と音を立ててベッドの上に腰掛ける。
まるで、隣にもうひとり座れるくらいのスペースを用意して。
「……い、嫌とか、そういう問題じゃ」
思わず、早口になってしまうし、脈拍だって加速している気しかしない。
「あーあ、こんなに私は勇気出してるのに、つがゆうは受け入れてくれないんだー。あーあ。まあそういうことなら仕方ないのかなあ」
「んぐっ……」
駄目だ、これ以上意地を張ると、せっかくの札幌旅行が台無しになってしまうかもしれない。ここは、大人になろう。いや、大人の階段は絶対に上るつもりはないけど、大人になろう。
「わ、わかったよ……。でも、絶対に何もしないし、何もしてこないでよ」
憮然とした態度で僕がそう言うと「わーい」とふにゃけたような笑みで喜んだ笑菜は、
「大丈夫大丈夫―。心の準備はしてるけど、私からは何もしないからー」
およそ僕にとっては全然大丈夫じゃないひとことを放って、ますます胃を痛くさせた。




